1998年 1月9日

90年代の女子高生と渋谷を描いた村上龍「ラブ&ポップ」をエヴァの庵野秀明が実写映画化!

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連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.29
▶︎ 映画:ラブ&ポップ
▶︎ 劇場公開日:1998年1月9日

映画は、昔の街並みを知るのに、この上ない貴重な資料になる


映画は、街の記録になる。

ふと、昔の街並みを振り返りたい時―― 資料として意外と役に立つのは映画である。テレビの場合、昔はビデオテープが高価だったこともあり、古い番組はことごとくテープが上書きされて、残っていない。それに対して、映画はフィルム撮影なので、今でもフィルムとして残っている。それらは昔の街並みを知るのに、この上ない貴重な資料になる。

例えば、東京・渋谷の歴史を映像で辿りたいなら、まず1953年に公開された新東宝の映画『恋文』は外せない。大女優・田中絹代の第一回監督作品でもある。まだ、渋谷109の一帯が “恋文横丁” と呼ばれてバラックが立ち並んでいた時代で、現在のスクランブル交差点も出てくる。もちろん、当時はスクランブルじゃないが、すでに三千里薬局と甘栗屋が見えるのが面白い。

1960年代の渋谷を見たいなら、日活の吉永小百合・浜田光夫コンビの『泥だらけの純情』(監督:中平康)もいい。街で不良に絡まれた女子高生を助けた縁で、チンピラ青年と富豪令嬢が愛を育む、よくある身分違いのラブストーリー。渋谷のロケシーンがふんだんにあって、こちらもハチ公口が登場して、大盛堂書店や渋谷西村(現:渋谷西村フルーツパーラー)の看板が見える。カラーで見る渋谷は思ったほど古い感じがしない。

1970年代の渋谷なら、若干15歳でデビューしたばかりの関根恵子(現:高橋惠子)が主演した大映の『おさな妻』(監督:臼坂礼次郎)もいいだろう。この時代まで来ると、渋谷はもう立派な繁華街で、出来たばかりのシブヤ西武(現:西武渋谷店)の雄姿も見える。ちなみに、渋谷パルコが出来たのは73年で、それ以前の公園通り(*当時は区役所通り)は連れ込み旅館(*今で言うラブホ)が並ぶいかがわしい界隈だった。

―― とはいえ、昔の映画はスタジオにセットを組んでのセット撮影が基本。当時はカメラなど撮影機材も大きく、上記のような街中のロケ撮影は珍しかった。また、昔の映画スターは国民的スターだったので、ロケともなると今以上に見物客の対策も大変だった。まだ、外国のように街中を占有して撮影できるフィルムコミッション制度もなく、無許可のゲリラ撮影も多かった。

79年に公開された、ジュリー(沢田研二)主演の『太陽を盗んだ男』(監督:長谷川和彦、製作:キティフィルム、配給:東宝)なんて、皇居や国会議事堂、渋谷、首都高など都内の主要地点でロケが行われたが、全編ゲリラ撮影。初めから警察に逮捕される前提で、当時助監督だった相米慎二らは “逮捕要員” として待機していたという。

庵野秀明、実写初監督作品「ラブ&ポップ」




で、ここからが本題。そんな日本で、1990年代後半の渋谷の街中を縦横無尽に半ドキュメンタリー的に撮りまくった映画『ラブ&ポップ』(98年1月9日公開、製作:ラブ&ポップ製作機構、配給:東映)が、今回のテーマである。メガホンを握ったのは、同映画が実写初監督となる庵野秀明サン。ちなみに、日本にフィルムコミッション制度が普及するのは、2000年にその第1号となる大阪ロケーション・サービス協議会(現:大阪フィルム・カウンシル)が発足して以降。90年代の時点では、まだ繁華街のロケは至難の業だった。

ところが―― 庵野監督には腹案があった。それは、自身が総監督を務めた『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に』(製作:EVA製作委員会、配給:東映)で実写パートの素材を自ら撮影した際、当時発売されたばかりのソニーの家庭用デジカメ “DCR-VX1000” を用いたところ、その映像の美しさに驚愕した経験である。“これなら、手持ちで自在に撮影できるし、映画館のスクリーンにかけてもそん色ない―― ”。そう、技術の進化は、時にクリエイティブの進化に連なる。

かくして1996年暮れ―― 庵野監督は、同年11月に刊行されたばかりの『ラブ&ポップ』(幻冬舎)の原作者の村上龍サンに “ドラマ化” を打診する際、3つの企画方針を提示したという。

▶︎(進化した)家庭用デジタルビデオカメラで撮りたい

▶︎(エヴァで顔の利く)テレビ東京の深夜枠でやりたい

▶︎(スタッフを最少に抑えて)低予算で撮りたい

―― 龍サン曰く “それは、よくあるクリエイターの理想論とは違う、確固たるプロデューサー的な視点があった” 。ドラマ化は快く許諾され、それまで自身の作品の映像化はすべて自ら監督した村上龍が、初めて他人に監督を託した作品となった。その後、いろいろあって深夜ドラマは映画作品となり、撮影は主人公たち女子高生らが夏休みの97年8月となり、公開は98年1月と決まった。

エンディングは三輪明日美が歌う「あの素晴しい愛をもう一度」


“新・黄金の6年間” がある。90年代半ば、エンタメ界でニューカマーたちのビッグヒットが相次いだ1993年から98年の6年間の現象を指す。そのキーワードは「スモール」「フロンティア」「ポピュラリティ」―― 彼らは、比較的小編隊で行動し、未開の開拓地を目指し、直接大衆に語りかけた。映画『ラブ&ポップ』も、そんな時代を象徴する作品の1つと言えよう。

ちなみに、今日5月22日は、庵野秀明監督の64歳の誕生日でもある。監督、おめでとうございます。

 命かけてと誓った日から
 すてきな思い出 残してきたのに
 あの時 同じ花を見て
 美しいと言った二人の
 心と心が今はもう通わない
 あの素晴しい愛をもう一度
 あの素晴しい愛をもう一度

映画『ラブ&ポップ』と言えば、本編をご覧になられてない人でも、有名なエンディングはご存知だろう。主演を務めた三輪明日美(公開当時15歳)が心もとない声で歌う「あの素晴しい愛をもう一度」(作詞:北山修、作曲:加藤和彦)をバックに、メインキャストの4人―― 加藤明日美、希良梨、工藤浩乃、仲間由紀恵らが女子高生の制服姿(ミニスカート&ルーズソックス)のまま、当時ドブ川だった渋谷川を稲荷橋から恵比寿方面へ延々と歩くアレである。

言ってしまえば、同映画は、1996年夏に村上龍が女子高生らに取材を始めた時点から、98年1月に映画が公開されて、あのエンディングが流れた一連のプロセス全てが、1つの作品と言っていいと思う。小説だけで終わってたら、ここまでの広がりはなかっただろうし、あのエンディングじゃなければ、ひょっとしたら、後の映画『シン・ゴジラ』(2016年公開、総監督:庵野秀明、製作・配給:東宝)は生まれてなかったかもしれない。

順を追って、その軌跡を辿っていこう。

1996年、時代の主役が一気に女子高生に




小説『ラブ&ポップ』が幻冬舎から刊行されたのは、96年11月18日である。その年―― “1996年” は、前年暮れに安室奈美恵が「Chase the Chance」(作詞:小室哲哉 & 前田たかひろ、作曲:小室哲哉)でオリコン1位に輝いたのをキッカケに “アムラーブーム” が到来。同年、彼女は3曲のミリオンセラーを放ち、時代の主役が一気に女子高生―― “JK” になった年として記憶される。

思えば、その前年(95年)まで、時代の主役は女子大生やOLらだったのに、一気に2世代くらい若返った。キーワードは、“女子高生(JK)・渋谷・コギャル・ミニスカ・ルーズソックス・ガングロ・茶髪・ポケベル・カラオケ・プリクラ・援交(援助交際)” ―― 。それは、ある種の時代への “抗い” だった。そうなると、作家・村上龍が彼女らに触手を動かされたのも分かる気がする。

もともと、彼が24歳で芥川賞を受賞した『限りなく透明に近いブルー』で扱ったのが “ドラッグ” だった。作家とは、まだ世間の人が気づいていない “視点” を見つけて、世間に教えてくれる人だと僕は思ってるので、漠然と村上龍という作家は、世に “抗う” 人たちをいち早く押さえて、その生き様を紹介してくれる作家と位置付けていた。だから彼が “女子高生” を書くとしたら、1996年しかなかったと思うし、取材から刊行まで4ヶ月余り―― もともと筆が早いほうとは言え、そのスピード感は、同年中に出すことに意味があったのだろう。

庵野秀明が実写映画を選んだきっかけとは?


で、そこに引っかかったのが庵野サンだった。こちらも小説が出てから、あまり間を置かずに映像化を打診しているので、やはり “96年” という時代のエネルギーがそうさせたのかもしれない。とはいえ、この時点の彼は、『エヴァ』で一躍時代の寵児となって、“次作” が注目された時期。何をやるにもカネは付いてきただろうから、そこでアニメではなく、“実写映画” を選んだのは、ある意味、前向きな自己投資だったと思う(そして、その投資は2016年に『シン・ゴジラ』で回収される!)。

つまり、スタッフを最小限に抑え、キャストも有名俳優を起用しない―― という方針は、自己投資に他人様(ひとさま)のお金をあまり使わせるのは申し訳ないという謙虚さの反面、この作品は、企画倒れではなく確実に実現するのでそれなりの爪あとを残したいという志が相まって、小説『ラブ&ポップ』の映像化に至ったのだろう。恐らく、庵野監督には初めから “着地点” が見えていた。

映画のアウトラインは、メインキャストの女子高生たちは女優経験を問わず、現役世代からオーディションで集め、なるべく彼女たちに “芝居” をつけずに “素” を引き出しながら、援助交際の相手役の男性は目を付けた手練のバイプレイヤーを起用し、そのやりとりを5~6台の家庭用デジカメで半ばドキュメンタリー的に同時に撮る。その際、カメラアングルで徹底して遊ぶ―― というものだった。電子レンジや指輪、エレベーターの床下からなど、その視点は多岐に及んだ。

メインキャストの4人は、主演の三輪明日美が女優・三輪ひとみの妹でエキストラ経験はあるものの演技未経験の素人(高1)、希良梨(高2)と仲間由紀恵(高3)は芸能界入りしてたがブレイク前、工藤浩乃(高1)は子役上がりだった。庵野監督はオーディションで三輪明日美を見て、“原作のイメージとは違うが、彼女しかいない” と即断。結果として、その読みは正しかった。

渋谷のスポットが縦横無尽に撮影された貴重な映像




物語はそれほど難解じゃない。女子高生たちの夏休みのある1日―― 7月19日(原作では8月6日)を描いた、いわゆる “ワンデイ・ムービー” 。端々に、彼女たちの “放課後” や過去の “援交”(援助交際)の回想がインサートで入る構成だ。この回想はすべて渋谷が舞台で、ここで1997年8月(ロケ時)時点の渋谷のスポットが縦横無尽に撮影され、今見ると貴重な記録映像になっている。渋谷の再開発が進んだ今見ると、非常に感慨深い。

回想と区別するカタチで、オンタイムに進むパートは、庵野監督らしい “7月19日午前10時03分” といったタイムテロップがその都度入る。夏休みの最初の日、高校2年のクラスメートの “親友4人組” は、来週、海へ行くための水着を買いに、渋谷のパルコ近くで待ち合わせて、渋谷マルイに繰り出す。この時、知佐(希良梨)と千恵子(仲間由紀恵)は私服で、裕美(三輪明日美)と奈緒(工藤浩乃)が制服というのが、面白い。この時代、女子高生はブランド化して、休日でも制服を着るのがある種のステータスになっていた。

エンディングのみ、映画用の35mmフィルムで撮影


ここで、物語が初めて動き出す。水着を買ったあと、裕美はふと目にした宝石売場で12万円の “トパーズ" の指環に一目ぼれ。無性にそれが欲しくなる。そして、他の3人が裕美に協力することを申し出て、4人でおやじ(平田満)とカラオケボックスで “援交” する(と言っても、一緒にカラオケしたり、マスカットを噛んで口から出したりする他愛のないもの)。その見返りに、4人は12万円をゲットする。

ところが、ここで裕美が急に泣き出す。「上手く言えないんだけど、みんなでカラオケしてもらったお金だから、みんなで分けたい」―― この辺りが女子高生なのだろう。倫理観があるのかないのか分からないが、本人たちの間ではスジが通っているらしい。3人は裕美の申し出を理解して、”自分1人でなんとかする” と宣言する裕美の健闘を祈って別れる。ちなみに、物語の端々で裕美のモノローグが入るが、それは三輪自身ではなく、カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)を受賞したばかりの若き河瀨直美監督だった。これはエンドロールで初めて明かされるサプライズである。

ここから裕美1人のパートになるが、このあと彼女は2つの “援交” を経験する。1人目が今や庵野組に欠かせないバイプレイヤーの手塚とおるサン扮する “ビデオ店に一緒に行ってほしい” 青年で、2人目が自称 “キャプテンEO” のイケメン(浅野忠信)。彼にはストレートにホテルに誘われる。ちなみに “キャプテンEO” はディズニー社の許可が下りなかったらしく(そりゃそうだろう)、映画ではそれを口にするたび “ピー音” が入る。だったら別の役名に変更すればいいと思うが、原作がそうなっているのだ。そして、どこまでも律儀な庵野監督である。

ちなみに、彼ら以外にも回想シーンで、援交オヤジとして、しゃぶしゃぶを食べさせながら女子高生に説教するモロ師岡サンや、自分の手製の料理を振る舞う吹越満サンらも登場するが、ダントツで面白いのは手塚とおるサンだ。庵野組に残っているのは、監督のインスピレーションを刺激しやすいからかもしれない。

物語は結局、裕美は “援交” で12万円を稼ぐのに失敗して(*クライマックスで浅野サンの迫真の演技が展開されるが、ネタバレになるので割愛します)、7月19日の夜に何事もなかったかのように帰宅する。当初の案では、このあと4人が沖縄の宮古島の海岸を水着で歩くシーンがエンディングで入ることになっていたが、3日かけて撮ったパートが全てカットされる。代わって急遽、撮影されたのが、例の渋谷川を歩くシークエンスだった。そして、劇中はすべて家庭用デジカメながら、このエンディングのみ、映画用の35mmフィルムで撮影された。

 広い荒野にぽつんといるようで
 涙が知らずにあふれてくるのさ
 あの時風が流れても
 変わらないと言った二人の
 心と心が今はもう通わない
 あの素晴しい愛をもう一度
 あの素晴しい愛をもう一度

劇場で見た人の話によると、それまでずっとデジカメのサイズで見ていた映画が、エンディングに入った瞬間、画面のサイズが広がり、あのドブ川のシークエンスが流れて不思議な解放感に見舞われたという。あのシーンの解釈は様々だが、下手にハッピーエンドにせず、かと言ってバッドエンドとも思えない不思議な映像である。3日かけて、最もお金をかけて撮影した宮古島のシーンをカットしたことで、この映画は伝説になった。

1つだけ確かなことがある。

同映画の “ある1日” となった1997年7月19日は、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に』の公開日であり、エンディングで流れる「あの素晴らしい愛をもう一度」は1971年の楽曲で、それは庵野監督のレーゾンデートルである『帰ってきたウルトラマン』と『仮面ライダー』がオンエアされた年であること。そして、エンドロールの最後を飾る「監督 庵野秀明(新人)」の文字―― 。

やはり、これは庵野監督自身を描いた映画なのだ。

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2024.05.22
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カタリベ
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