1972年 10月22日

全日本プロレス旗揚げ50周年!X世代に刺さる入場テーマ曲ベストテン(昭和編)

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昭和の全日系入場テーマ曲は非オリジナル。だが、そこがいい!


日本のプロレス界で、入場時にレスラーごとのテーマ曲をかける文化が定着したのは、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレス、全日本女子プロレスと団体が4つしかない70年代後半のこと。

全日本プロレスの会場で流れる入場テーマ曲は、『全日本プロレス中継』(日本テレビ)のスタッフが決めていたという。ジャンボ鶴田の「J」などオリジナル曲の名曲もあるが、70年代後半から80年代にかけては、エース級のレスラーには既存の楽曲、つまり非オリジナル曲を使うケースが目立った。特に初参戦(またはそれに近い)の大物には、番組を盛り上げるためか著名楽曲を用意する傾向があり、それらはX世代に属するプロレスファンが「カッチョイイ!」と感じる名曲ばかりだった。

そこで、「昭和期限定」、「非オリジナル曲限定」というシバリを設け、カタリベの主観をまぶしつつ、全日本プロレスの入場テーマ曲珠玉の10選をカウントダウン形式でご紹介したい。

米マットの大物に「スター・ウォーズ」を用意


第10位:“帝王”バーン・ガニア(スター・ウォーズのテーマ / MECO)

これは、あの誰もが胸躍るジョン・ウィリアムズ作曲の「スター・ウォーズのテーマ」を、アメリカのMECOというミュージシャンがディスコ風にアレンジしたバージョンである。AWA世界ヘビー級王者のガニアが、「ジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合」の対戦相手として招かれた際に使用された。

まだ、映画『スター・ウォーズ』(今でいう『スター・ウォーズ エピソード4 / 新たなる希望』)のテレビ放送も実現していない頃、この曲がテレビから流れるだけでワクワクするものだった。それは、馬場の記念マッチに相応しい大物を迎え入れるレッドカーペットのような役割を果たした。スキンヘッドに近いヘアスタイルで、すでに大ベテランの佇まいだったガニアが、果たして『スター・ウォーズ』のイメージとマッチしていたかどうかという問題はこの際スルーしておきたい。

第9位:“南海の黒豹” リッキー・スティムボート(ライディーン / イエロー・マジック・オーケストラ)

リッキー・スティムボートは1980年11月に初来日。“喧嘩番長” ディック・スレーターと組んで「世界最強タッグ決定リーグ戦」に参戦した。母親が日本出身で、空中殺法やカンフー風のアクションが得意だという、いかにも日本で人気が出そうな要素に満ちた若手注目株だった。また、『週刊少年ジャンプ』でたまたま「リッキー台風」(作:平松伸二)というプロレス漫画が連載されていたことも人気の追い風となった。

そんな次世代のスター候補には、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったYMOが約半年前にリリースしたシングル曲が選ばれた。シンセサイザーとコンピュータを用いたその曲、そしてリッキーのファイトスタイルは、それまでとは明らかに何かが違う、80年代という新しい時代を感じさせるものだった。

次期NWA王者候補を迎えたのは、あの神曲


第8位:“虎の爪”ケリー・フォン・エリック(アイ・オブ・ザ・タイガー / サバイバー)

「アイ・オブ・ザ・タイガー」は、言わずと知れた1982年公開映画『ロッキー3』のテーマ曲である。ロッキー・バルボアの異種格闘技戦の相手として “超人” ハルク・ホーガンが出演していること、シルベスター・スタローンは『パラダイス・アレイ』というプロレスを題材とした映画(テリー・ファンクも出演)に主演した “プロレスの味方” だったことから、『ロッキー3』は、プロレスファンが無視できない映画だった。そして、サバイバーによる主題歌は、プロレスファンに限らず、多くのX世代男子(女子も?)の中2的なマインドを射抜くスーパー神曲であった。

日本テレビはこのとっておきの曲を、1983年に「'83グランド・チャンピオン・カーニバル」に初来日を果たしたケリー・フォン・エリックの入場テーマとして使用した。のちに第67代NWA世界ヘビー級王者となるケリーは、次世代のスターとして『全日本プロレス中継』で大いにプッシュされたのである。

シリーズ開幕前、「アイ・オブ・ザ・タイガー」が流れるなかでのケリーの煽り映像にファンの期待は自ずと高まった。なお、「アイ・オブ・ザ・タイガー」はその後、ハルク・ホーガン、スーパー・タイガー、剛竜馬など何人ものレスラーが入場テーマ曲として使っている。

第7位:“風雲昇り龍”天龍源一郎(THUNDER STORM / 高中正義)

長期海外遠征から帰国した天龍が、馬場、鶴田に続く全日本プロレスの第3の男としてプッシュされたのは1981年の夏のこと。その頃から使用されたのがこの曲だ。

サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスを経て、ソロギタリストとして活動していた高中正義は1981年当時、インストゥルメンタルのスタジオアルバムを連続してオリコンのアルバムチャートでトップ10入りさせる人気を誇っていた。

「THUNDER STORM」は、そんな高中の2枚組アルバム『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』に収録されていた曲だ。リリースは、天龍の帰国直前の1981年3月である。「全日本プロレス中継」のスタッフはこの曲のイントロに雷鳴の効果音を加えるなどのアレンジをし、ハードなイメージの曲にバージョンアップさせた。

以後、「THUNDER STORM」は天龍の長いプロレス人生になくてはならないものになる。2015年11月、両国国技館で行われたその引退興行には高中正義が駆けつけ、リング上でナマ「THUNDER STORM」を披露した。天龍と高中はこの日、34年目の初対面だった。



70年代ロックの名曲たちを効果的に使用


第6位:“暴走戦士”ザ・ロード・ウォリアーズ(アイアンマン / ブラック・サバス)

「まだ見ぬ強豪」というプロレス用語があった。これは、海外での大活躍が伝えられる未来日のレスラーを指した。そして、80年代最大の「まだ見ぬ強豪」こそ、アニマルとホークのタッグチーム、ザ・ロード・ウォリアーズだろう。

1980年代中期、テレビ東京系で『世界のプロレス』という海外のプロレスの試合を流す番組がゴールデンタイムで放送されていた。そして、映画『マッドマックス』を思わせるコスチュームで、顔にペイントを施したマッチョな2人が大暴れする様子は同番組で毎週のように放送されていた。多くのプロレスファンは、疾風のようにリングインし、2人のパワフルなコンビネーションで相手を瞬殺する試合展開に夢中になり、彼らが日本にやってくるのを望んだ。

ロードウォリアーズの初来日は1985年3月に実現。全日本プロレスの「激闘! エキサイティング・ウォーズ」というシリーズに1週間の特別参加を果たしたのだ。その入場時、会場にはブラック・サバスの2ndアルバム『パラノイド』(1970年)に収録された「アイアン・マン」が流れた。

ギターリフが印象的なこの曲は、未来にタイムスリップした男が、いろいろあって「アイアン・マン」となり、やがて人類を破壊に導くまでを歌った曲である。そのSF的で金属的なイメージは、アニマルとホークのキャラクターと見事にリンクするものだった。ただし、2人は猛ダッシュしてリングに上がり、ゴングが鳴る前から暴れだすので、実際に「アイアン・マン」が流れる時間はいつも短かった。

第5位:“超獣”ブルーザー・ブロディ(移民の歌 / レッド・ツェッペリン)

ジミー・ペイジとロバート・プラントが手掛けた70年代ロック史における重要曲「移民の歌」はレッド・ツェッペリンの3rdアルバム『レッド・ツェッペリン Ⅲ』(1970年)のA面1曲目に収録されている。新天地に至る北欧からの航海者をテーマとしたスケールの大きな曲である。全日本時代のブロディ入場時、実際に使われたのはカバーバージョンだったが、だとしても、ブロディのイメージに見事にハマっていた。

ロード・ウォリアーズと異なり、ブロディは金属製のチェーンを振り回しながら、「ハウッ! ハウッ!」と吠えるように叫び、観客席を蹴散らしながら時間をかけて入場するので「移民の歌」がかかっている時間も必然的に長かった。



第4位:凶悪レスラー(吹けよ風、呼べよ嵐 / ピンク・フロイド)

「吹けよ風、呼べよ嵐」はプログレッシブロックのパイオニアであるピンク・フロイドの7thアルバム『おせっかい(Meddle)』(1971年)のA面1曲目に収録されている。曲のイメージを一言でいえば不気味。冒頭の風の音もゾクゾクッとするし、途中の叫び声もなんともいえない怖さがある。

『全日本プロレス中継』で、この曲は特定のレスラーではなく、「凶悪レスラー」のテーマとされている。“このレスラーは凶悪なので「吹けよ風、呼べよ嵐」を使用。このレスラーは凶悪というほどでもないから別の曲”―― と誰が決めていたか定かではないが、とにかくオフィシャルでそのように発表されていた。

もともとはタッグを組んでいた “黒い呪術師” アブドーラ・ザ・ブッチャーと “アラビアの怪人” ザ・シークが使用していたが、この両者が仲間割れし、ブッチャーは “流血大王” キラー・トーア・カマタ、シークは“アラビアの妖鬼”ザ・グレート・メフィストという別パートナーを帯同することで、「凶悪レスラー」の枠は広がっていった。

また、1981年には、ブッチャーが新日本に引き抜かれ、その報復として全日本が “インドの凶虎” タイガー・ジェット・シンを引き抜き返すという事件があったが、いかにも「凶悪レスラー」であるシンにもこの曲が使用された。“ブッチャーと同じ曲を流用” という扱いは、なかなかの冷遇のようにも思えるが、サーベルを手に、観客を追い回すように入場するそのスタイルに「吹けよ風、呼べよ嵐」は実に合っていた。

2位と3位は日本のバンドの曲。1位は?


第3位:“テキサスの若馬”ドリー・ファンク・ジュニア&“テキサスの荒馬”テリー・ファンク(スピニング・トーホールド / クリエイション)

1977年の「世界オープンタッグ選手権」の決勝戦で、ブッチャー&シークの凶器攻撃に耐えながら優勝を勝ち獲ったドリーとテリーのザ・ファンクスは日本で圧倒的な人気を獲得。その頃から使用されたのがこの曲だ。

もともとクリエイションがザ・ファンクスのテーマ曲を依頼されて生まれたのではなく、バンドの中心人物だったギタリストの竹田和夫が、ドリーとテリーの必殺技をイメージして作ったインストゥルメンタル曲だ。それがオフィシャルなテーマ曲として採用された経緯がある。

クリエイションは、60年代より活動していたブルース・クリエイションというバンドを前身とするロックバンド。「スピニング・トー・ホールド」は、1977年3月にリリースされたサードアルバム『ピュア・エレクトリック・ソウル』の収録曲だった。

この曲の音楽性の高さは度々評価の対象になる。B'zの松本孝弘はTAK MATSUMOTO名義でリリースしたソロアルバム『THE HIT PARADE』で同曲をカバー。吉井和哉はライブのオープニング曲として使用した。

なお、クリエイションはのちに、ボーカルにアイ高野(元ザ・カーナビーツ)を迎え、「クリエーション」に改称。1981年にテレビドラマ『プロハンター』(日本テレビ系)の主題歌に起用された「ロンリー・ハート (Lonely Hearts)」をヒットさせている。“スピニング・トー・ホールドのバンド” のブレイクは、プロレスファンには嬉しい出来事だった。



第2位:“不沈艦”スタン・ハンセン(サンライズ / スペクトラム)

1981年の年末、日本のプロレス界に大事件が勃発。新日本の看板外国人レスラーだったスタン・ハンセンが「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦の会場に乱入したのだ。

ハンセンはさっそく、年明けの「新春ジャイアントシリーズ」から全日本に参戦したが、ここで入場テーマ曲として選ばれたのが、ブラスロックバンド、スペクトラムの「サンライズ」という曲だった。

ただし、日本テレビ側は超大物を迎えるにあたり、手の込んだことをしている。ハンセンの “陽気なテキサスの暴れん坊” というイメージを演出するためか、冒頭にカントリーミュージック界の大御所であるケニー・ロジャースの「君に夢中」という曲のイントロをくっつけ、馬を表現する効果音を載せ、そこから「サンライズ」のクライマックスともいえるホーンセクションをつなげるミックス曲をつくったのだ。

「サンライズ」は本来、歌詞のある曲だが、そのボーカルパートを全部カット。まるで、アメリカ西部の牧歌的な風景に突然つむじ風が巻き起こるようなイメージの構成になっている。このメリハリがスゴい。

やがてハンセンは、ケニー・ロジャースパートでは通路に姿を見せず、スペクトラムのパートになってから登場し、ブルロープを片手にリングに突進する入場スタイルを見せるようになった。

最後に、ハンセンの入場バージョンの「サンライズ」はよく知っているが、スペクトラムのオリジナルを聴いたことがない…… という昭和プロレスファンにお伝えしたいことがある。「サンライズ」はボーカルが入ったバージョンも悪くない。いや、いい! 聴けば確実にアガる。そしてカラオケで歌いたくなる。



第1位:“仮面貴族”ミル・マスカラス、“飛鳥仮面”ドス・カラス(スカイ・ハイ / ジグソー)

どうしても1位を決めるとなれば、ベタを承知でやはりコレを選ばざるを得ない。ミル・マスカラスは、存在自体がキラーコンテンツだった。試合ごとにマスクを変える “千の顔を持つ男” というギミック、ラメなどを施したきらびやかな衣装、フライング・クロスチョップ、ダイビング・ボディ・アタックなど華麗な空中殺法、当時は珍しい正義の覆面レスラーであることなど、特に子ども受けする要素に溢れていた。そのため、全日本プロレスでは子どもたちの集客を狙い、毎年、夏休み期のシリーズ(「サマーアクションシリーズ2」など)にマスカラス、そして弟のドス・カラスを招聘していた。

いつもマスクを二重にかぶってリングインするマスカラスは、リングアナにリングネームをコールされる瞬間に、外側のマスク(オーバーマスクと呼ばれた)を外して、客席に投げ入れた。当然ながら、そこに子どもたちが殺到する。それは、夏の風物詩だった。

そのマスカラスをさらに特別な存在にしたのが、「スカイ・ハイ」だろう。あのフルオーケストラによるドラマティックなイントロが流れると、会場の盛り上がりは最高潮に達した。

ジグソーは、60年代のイギリスで結成されたバンドで、メインボーカルのデズ・ダイヤーがドラムスも担当する編成だ。「スカイ・ハイ」は、1975年に『女王陛下の007』のジョージ・レーゼンビーと香港映画界アクションスターであるジミー・ウォングの共演した香港・オーストラリア合作映画「スカイ・ハイ(The Man from Hong Kong)」の主題曲として制作された楽曲である。

映画そのものは、後の世で語られる機会の少ないB級アクション作であり、マスカラスのファンでも観たことがない人が大多数派だろう。しかし、主題歌の「スカイ・ハイ」だけは、アメリカでビルボード3位、全英チャートでも9位のヒットを記録した。日本でもその時期にシングルとしてリリースされている。

そして、1977年にミル・マスカラスの入場テーマ曲として使用されたことで人気が爆発。オリコンの週間シングルチャートで最高2位、洋楽チャートで11週連続1位、年間総合チャートで17位(洋楽では年間1位)を記録した。この年の年間17位というのは、松崎しげるの「愛のメモリー」や、山口百恵の「イミテーション・ゴールド」よりも上位である。その時代、初めて買った洋楽のレコードが「スカイ・ハイ」だという人も多かったのではないか?

プロレスの入場テーマ曲に起用されたことがきっかけでこれほど売れた楽曲はほかになく、やはり「スカイ・ハイ」は燦然と輝くワン・アンド・オンリーな曲なのである。その後、何度もカバーされたり、CMやテレビ番組などで用いられたりしたのも当然だ。



なお、「スカイ・ハイ」は曲調からポジティブソングのように感じられがちだが、“翼を広げて、大空へ高く羽ばたけ。虹を越えて、雲の向こうへ” といった旨の前向きな歌詞は皆無。サビの「You've blown it all sky high」は「君はそれを空高く吹き飛ばしてしまった」といった意味だ。大雑把に表現すれば、恋人に振られた人物の失恋ボヤキソングなのである。

ただし、その歌詞の意味が分かったとしても、「スカイ・ハイ」が流れた瞬間に胸が熱くなることに変わりナシ。やはり、これが第1位に相応しい。

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2022.10.22
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