1945年11月2日、米国ミシガン州デトロイト生まれ。2024年9月17日に死去、78歳没。J.D.サウザーは、その名を見るのも久しぶりだったし、正直言って、特に想い出深い人でもありませんでした。作品も「ユア・オンリー・ロンリー」(1979年)しか知らなかったし。で、ちょっと調べたら、もう1曲、「憶い出の町」(Her Town Too / 1981年)という曲が全米11位と、まあまあなヒットでしたが、これはジェイムズ・テイラーとのデュエットで、曲も共作。ソロアーティストとしてはやはり、「ユア・オンリー・ロンリー」が唯一のヒットでした。
「ユア・オンリー・ロンリー」は、日本でも当時ラジオでかかりまくり、かなり流行っていました。また、これはのちの語り草ですが、大滝詠一さんが、『A LONG VACATION』をつくる前に、「こういうのがやりたい」と言っていたらしいということが、特にナイアガラー界隈で、この曲の評価を高めました。
でも私は、この曲の分かりやすいセンチメンタリズムがヒット性を持っていることは認めますが、名曲というほどではないと思っています。はっきり言って、『A LONG VACATION』のほとんどの曲のほうが、勝っています。上記のエピソードも、大滝さんをバックアップしたフジパシフィック音楽出版の朝妻一郎さんの話にはあるけれど、大滝さん自身は(たぶん)語っていません。
また、人への提供曲について。イーグルスはサウザーからの提供曲のうち、「ベスト・オブ・マイ・ラブ 」(1974年)、「ニュー・キッド・イン・タウン」(1976年)、「ハートエイク・トゥナイト」(1979年)の3曲が、ビルボードの「Hot 100」で1位を獲得しています。イーグルスといえどもシングル1位獲得曲はあと、「呪われた夜」(One of These Nights / 1975年)と「ホテル・カリフォルニア」(1977年)を加えた5曲だけですから、そのうちの3曲というのはたしかにすごいのですが、いずれもグレン・フライとドン・ヘンリーとの、「ハートエイク・トゥナイト」についてはさらにボブ・シーガーも加わった共作なのです。
それに、イーグルスの代表曲と言えば、まず「ホテル・カリフォルニア」と「呪われた夜」、そして「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」(1975年)、「言いだせなくて」(I Can't Tell You Why / 1980年)、「テイク・イット・イ-ジ-」(1972年)、さらに「ならず者」(Desperado / 1973年)あたりじゃないですか? 私の感覚ですが、サウザーが絡んでいる3曲よりも、曲としての存在感が強いと思います。
リンダ・ロンシュタットへの提供曲、「あてにならない恋」(Faithless Love / 1974年)や「ホワイト・リズム&ブルース」(1978年)などはサウザー単独の作ですが、シングルヒットはありません。というよりシングルになった曲がありません。「哀しみのプリズナー」(Prisoner in Disguise / 1975年)や「シンプル・マン、シンプル・ドリーム」(1977年)など、アルバムのタイトル(前者はそのまま、後者は『夢はひとつだけ』 “Simple Dreams” )につながった曲はあるのですが。