2023年 4月19日

ハイスタこと Hi-STANDARD の魅力!その登場は日本のパンクシーンを虹のように変えた

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Hi-STANDARDのデジタルシングル「I’M A RAT」発売日
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恒岡章が生前最後にレコーディングした「I’M A RAT」


Hi-STANDARD(以下:ハイスタ)が6年ぶりとなるニューシングルを配信したのは、昨年の4月19日。同年の2月に逝去したドラムス・恒岡章が生前最後にレコーディングした楽曲だった。タイトルは「I’M A RAT」。収録時間はわずか2分。疾走感とエナジーが満ち溢れた、相変わらずのハイスタ・サウンドだった。そこには、「くよくよするなよ!アゲていこうぜ!」というアティテュードが満ち溢れている。



ハイスタは難波章浩、横山健、そして恒岡の3人で1991年に結成。絶頂期であった2000年に突如活動を休止。メンバーそれぞれの活動に移行していったが、2011年の東日本大震災をきっかけにバンド活動を再開していた。

「MAKING THE ROAD」は100万枚以上のセールスを記録




彼らの音楽性をわかりやすく表現するのなら ”FAST, LOUD & SHORT”、つまり1曲3分にも満たない楽曲を爆音で奏でる。メロディは親しみやすく、心の底から勇気が湧いてくるアッパー・チューンだ。そこに英語の歌詞を載せる。「英語で歌うとセールスに響く」と言われながらも、彼らはそれを貫く。そして、サードアルバムの『MAKING THE ROAD』は国内外で100万枚以上のセールスを記録。

言葉の意味について思考する隙を与えず、音楽の衝動に身を委ねることで、心の底から湧いてくる勇気!これがハイスタの魅力だ。そして、後で気づくことになる。彼らのメッセージは、そのサウンドに体現されていたことを。

彼らの代表曲である「STAY GOLD」では、こう繰り返される。

I won't forget
when you said me “stay gold”
I won't forget
always in my heart “stay gold”

つまり、「俺は絶対に忘れない。“輝き続けろよ” ってお前が言ってくれたこと。俺は絶対に忘れないから。その言葉、いまも心の中にあるんだ」ということだ。

人生で訪れる一瞬の輝きは、一生心の中で生き続けるんだ。だからくよくよするなよ… と語りかけている。それは、彼らが歌う英語詞の意味が咄嗟に分からなくても、その音に、歌詞の内容が存分に体現されているのだ。



メロコアの台頭と海外のムーブメントに連動したハイスタの活動


ハイスタの登場は、日本のパンクシーンの色を鮮やかに変えた。それは、『MAKING THE ROAD』のジャケットに描かれている虹のような印象だった。2017年には、『MAKING THE ROAD』から18年ぶりのニューアルバム『ANOTHER STARTING LINE』をリリース。圧倒的な現役感を見せつけた。昨年の恒岡逝去という信じられない現実を突きつけられても、一度ファンの心にかかった虹は今も消えることがない。



彼らが活動を開始した91年という時代を振り返ってみると、アメリカ西海岸を起点としたパンクシーンの大きな地殻変動があった。メロディック・ハードコア(以下:メロコア)の台頭だ。90年にはカリフォルニア州出身のグラミー賞受賞バンド、グリーン・デイがデビュー。91年にはメロコアの草分け的存在で、グリーン・デイと同じくカリフォルニア州出身のバンドNOFXのファット・マイクがインディレーベル “ファット・レック・コーズ” を立ち上げる。

ハイスタも94年に自身のレーベル “PIZZA OF DEATH” を設立。西海岸のムーブメントと同じようにD.I.Y精神を貫く。ちなみに、95年にリリースしたファーストアルバムは、ファット・マイクのプロデュースで、ファット・レック・コーズからリリース。逆輸入という形でファンの元に届き、海外のムーブメントとも連動した動きを見せる。

グリーン・デイ来日公演のフロントアクト、そしてAIR JAMを主催


このようなアクションで、ハイスタは日本に確固たるシーンを形成してゆく。オープニングアクトを務めた96年のグリーン・デイ初来日、晴海国際見本市会場では、「GROWING UP」のシングルCDが無料配布された。このCDは間も無く中古市場で高価取引されるようになる。翌年の97年からは、メロコア、ミクスチャーを中心としたラウドミュージックとスケートボード、BMXカルチャーを融合させたフェス ”AIR JAM” を主催。AIR JAMの熱狂は、マイノリティだったシーンの拡大に大きく貢献。



ハイスタの功績については、その音楽性だけでなく、ファンション面としても顕著だった。それまでの革ジャンに破れたジーンズというパンクファッションのパブリックイメージを葬り、Tシャツに短パンといったスタイルでステージに上がることが最高にクールだということを証明した。これは、FUJI ROCK FESTIVALなどのフェスカルチャーとも相まって、現在でも定番となっている。

音楽とファッションを連動させ、D.I.Y精神に満ち溢れた活動は、新たなパンクのイメージを形成し、未来へと繋げていった。その根底には常に「くよくよするなよ!アゲていこうぜ!」という前向きな決意表明が存在する。「STAY GOLD」の歌詞のように彼らが残した音楽はこれからも輝き続けていくだろう。

恒岡の遺作となった「I’M A RAT」は、当初デジタル配信のみのリリースだったが、盟友、ファット・マイクの手によりファット・レック・コーズより7インチのピクチャーディスクとしてもリリースされた。収益はハイスタメンバー、そしてマイクの意向により恒岡の家族に寄付されている。


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2024.02.14
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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to 90's — 渋谷系の裏で何があったのか:パンク、メロコア篇
カタリベ / 本田 隆