2023年 7月19日

最後の80年代アイドル・酒井法子が乗った “3つのビッグウェーブ” を徹底検証!

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3つのビッグウェーブに乗った酒井法子


先月、自身のプロデュースによる35周年企画として、ベストアルバム『Premium Best』をリリースした酒井法子。3枚組のCDにはこれまでリリースしたシングル全36作に加え、カップリング曲やアルバム曲から本人がセレクトした18曲と、新曲「Funny JANE」が収録されている。

酒井法子のこれまでの芸能キャリアは正当に評価される機会があまりない。デビューしたタイミングの影響もあり80年代アイドルを振り返るような場でも、代表的な存在として扱われることが少ない。そこで本稿ではアイドル史を俯瞰し、彼女が “3つのビッグウェーブに乗ることができた稀有な80年代アイドルである” という事実を検証していきたい。

80年代最後のソロアイドル酒井法子


ビッグウェーブ1:80年代のアイドル黄金時代
酒井法子が芸能界入りしたきっかけは、1985年10月に開催された「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」に出場し、「BOMB!賞」なる学研(学習研究社)のアイドル雑誌名を冠した特別賞を得たことだった。大手芸能プロのサンミュージック入りした彼女は、すぐにレコードデビューせず、『BOMB!』ならびに、同じ版元のアイドル誌『Momoco』の誌面にてじっくりとプロモーションがなされた。両誌の読者は、キラキラした新しいアイドル候補生の誕生を自ずと知ることになった。

当時はアイドル雑誌の全盛期でもあり、『明星』(集英社)、『平凡』(平凡出版 ※現:マガジンハウス)、『近代映画』(近代映画社)などの男女アイドルが登場する老舗雑誌以外にも、女性アイドルに特化した多数の専門誌が存在した。そのなかで、『BOMB!』&『Momoco』は菊池桃子をトップアイドルに押し上げた実績があり、次に「桃組3人娘」と呼ばれた杉浦幸、西村知美、島田奈美らを輩出していた。酒井法子は畠田理恵(*当時の芸名は恵の右上に「、」が入る)とともに、それらに続くアップカマーとして大プッシュされた。このように、レコードデビュー前に雑誌グラビアに何度も露出することで徐々にファンを増やしていく手法は、80年代アイドルの典型的な売り出し方の一つである。

デビュー曲「男のコになりたい」がリリースされたのは1987年2月。すでにアイドル黄金時代の最末期であり、新人女性アイドルはブレイクしづらくなっていた。そんななかで「男のコになりたい」のオリコン週間チャートでの最高順位は6位を記録。以降、「渚のファンタシィ」、「ノ・レ・な・いTeen-age」、「夢冒険」、「GUANBARE」、「一億のスマイル」とハイペースでシングルをリリースし、16枚目の「イヴの卵」(1990年11月)まで連続してオリコン週間チャートのトップ10入りさせることになる。

このように、酒井法子は「80年代のアイドル黄金時代」という大きな波にギリギリで乗ることができたのだ。従来型で売れた最後の80年代女性ソロアイドルかもしれない。

ここで言う “従来型” とは、歌手業を活動の主軸に置き、過剰に仕事を選ばず、とにかく数をこなすアイドルのかたちである。ほぼ3ヶ月に1枚のペースでシングルレコードをリリース。早朝から深夜まで様々なテレビ、ラジオ番組に出演。全国のデパート屋上・遊園地・イベント会場・レコード店を回り、アイドル水泳大会では水着姿で歌う。マイナー雑誌やセクシャルな内容の雑誌の取材も受ける。このようなアイドルのスタイルだ。

酒井法子は明確な “従来型” だったが、同期デビューの森高千里はそれをやらないことでかえって目立つ存在となった。宮沢りえは1989年にCDデビューしたものの、そもそも歌手業を活動のメインとしなかった。



バブルの空気にマッチしていた明るくポップな酒井法子のキャラクター


ビッグウェーブ2:空前のバブル景気
酒井法子は見事に売れたが、同じ時期にアイドルのマーケット全体は冷え込んでいく。いわゆる “冬の時代” の到来だ。

それを象徴する出来事として雑誌の休刊がある。『平凡』は1987年12月号で早々と撤退。『DUNK』(集英社)1990年12月号、『T.Y.O』(CBSソニー出版 ※現:ソニー・マガジンズ)は1991年1月号、『DELUXEマガジンORE』(講談社)は1991年7月号で姿を消した。『明星』は1992年10月号より『Myojo 明星』に改称し、一時は脱アイドル専門誌を目指した流れもあったのだ。

ただ、落ち込んでいたのはアイドル業界だけで、日本の経済は未曾有の好景気を迎えていた。バブル時代は1986年末から1991年2月までだとされるが(諸説アリ)、それはまさに、酒井法子が売り出され、アイドルとして第一線にいた時期と重なる。彼女はバブル景気という巨大な波に乗ることができた数少ないアイドルなのである。

従来型アイドルである酒井法子だが、その活動にプラスした、独自の言語表現 “のりピー語” 、自らが描いたイラストのグッズ販売、オリジナルの映像ソフトのリリースなど、常に新しい話題作りを仕掛ける戦略は巧妙だった。それはバブルの空気にマッチしていた。同時に、明るくポップな本人のキャラクターは広告業界で重宝された。

企業のテレビCMの出稿量が桁違いに多かった時代、江崎グリコ、ライオン、ビクター、JR九州、月星化成(現:ムーンスター)、カンコー学生服、公共広告機構など多くのCMに出演し続けたのだ。なかでも、江崎グリコとは繋がりが強く、数年間にわたり「ジャイアントコーン」「キャンレディー」「キティランド」「チョコボンバー」など何種類もの商品の、いくつものバージョンのCMに起用されている。



「碧いうさぎ」のミリオンヒット、デビュー8年目で紅白に初出場


ビッグウェーブ3:平成のCDバブル
前述のように1991(平成3)年にバブル経済は崩壊したが、日本のポピュラー音楽業界に限っては我が世の春を謳歌していた。なぜなら、CDが爆発的なセールスを記録する “CDバブル” という波が起こったからである。これは、CDというメディアの普及、カラオケ需要の高まりが直接の原因となり、インターネットと携帯電話がまだまだ一般的ではなかった背景ともリンクしたブームである。当時は、特に人気テレビドラマの主題歌や、話題のCM曲は大ヒットとなるのが当たり前だった。そして、酒井法子はこのビッグウェーブにも乗った。

中国語圏での活動という新展開を経た1995年5月、主演テレビドラマ『星の金貨』(日本テレビ系)の主題歌「碧いうさぎ」をリリース。ドラマは当たり、曲は累計99.7万枚のヒット曲となるのだ(オリコン調べ:以下同)。数字の上で「碧いうさぎ」は、中森明菜の最大のヒット曲「セカンド・ラブ」(77万枚)よりも売れたのだった。デビュー8年目、25歳になった酒井法子は同年末の『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしている。

80年代にアイドルとしてブレイクする。バブル時代に広告業界の寵児となる。CDバブル期にビッグセールスを記録する。この3つを果たした80年代アイドルは、酒井法子以外では、松田聖子、小泉今日子、中山美穂…… ほかに誰がいるだろうか?



酒井法子 35周年 ANNIVERSARY

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