デビュー曲「潮来笠」のヒットでたちまちスターとなった橋幸夫
2023年の歌手引退に際して継承者たる2代目チームが選出されるも、翌年にまさかの復帰でファンを喜ばせてくれた橋幸夫。しかし再スタートからまだ1年半も経たない9月4日に残念な報せが届いてしまった。2022年には西郷輝彦が亡くなっており、“御三家” で健在なのが舟木一夫だけになってしまったのはなんとも寂しい思いだ。
1960年代の歌謡界で大活躍した御三家だが、1963年デビューの舟木、1964年デビューの西郷に対して、1960年には既にデビューしていた橋は先輩格。むしろ “四天王" と呼ばれることもあったもう1人、三田明の方が舟木、西郷との並びはフィットする気がするが、御三家は当時のあらゆる芸能誌でグラビアを飾るトップスターだった。各々の主演映画はもちろん、3人の共演作品も作られている。橋はビクターの専属作曲家・吉田正に師事し、1960年7月発売のデビュー曲「潮来笠」をヒットさせてたちまちスターとなった。同年の第2回『日本レコード大賞』新人賞を受賞、『第11回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たしている。
デビューヒットを受けて、初期の曲は “股旅もの” が多かったが、並行して青春歌謡も歌い、1962年には吉永小百合とのデュエット「いつでも夢を」で第4回『日本レコード大賞』大賞の栄誉に浴する。1964年に各社競作となった「東京五輪音頭」を歌ったことは、ビクターを代表する歌手と共に国民的なスターとなっていたことの証明だろう。早くも翌月に出されたその次のシングルが「恋をするなら」である。当時は毎月のようにシングルリリースされており、レコードの品番も「東京五輪音頭」と連番であった。
当時新鮮に映った橋幸夫が歌うリズム歌謡
1952年に美空ひばりが歌った「お祭りマンボ」然り、歌謡曲の世界ではそれまでにも海外発祥のリズムを採り入れた和洋折衷の歌謡曲は存在していたが、デビューから一貫してオリジナル歌謡、それも股旅もので和のイメージが定着していた橋幸夫が歌うリズム歌謡は新鮮に映ったに違いない。
作曲者の吉田正は数年前から諸外国へ視察に出かけ、サーフィンやエレキギターの流行を察知していたという。もっとも吉田は従来の歌謡曲とは一味違う、垢抜けた都会派ムード歌謡を開拓していた作曲家なのでこの流れはちっとも不思議ではない。それまでの吉田作品はほとんどが詞先で作られていたが、サーフィンリズムが導入された「恋をするなら」は曲先行で、佐伯孝夫が詞をつけたという。
続いて翌月には全編に車のエンジン音が挿入された和製ホットロッド「ゼッケンNO.1スタートだ」、さらに1964年には、もう1枚、シャムロックのリズムに乗せた「チェッ・チェッ・チェッ (涙にさよならを)」をリリース。主演映画『涙にさよならを』の主題歌となった。これら一連のリズム歌謡で翌1965年の第7回『日本レコード大賞』の企画賞を受賞する。ちなみに橋はこの年15枚ものシングルを発売した。
リズム歌謡の決定版「恋のメキシカン・ロック」
1965年もやはり “佐伯 × 吉田コンビ” で、スイムリズムの「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」、1966年にはアメリアッチリズムの「恋と涙の太陽」と、ニューリズムがフィーチャーされた作品が定番となる。その間にも、藤家虹二作曲の「恋のインターチェンジ」や、いずみたく作曲の「僕等はみんな恋人さ」といった、他作家によるリズム歌謡もあった。平川浪竜が作曲した「すっ飛び野郎」も和テイストながらリズミカルな1曲。
「恋と涙の太陽」が出された1966年は橋が「霧氷」で『第8回日本レコード大賞』大賞を受賞した年でもある。本来ならば年の初めに出した同じ作家陣(作詞:宮川哲夫、作曲:利根一郎)による「雨の中の二人」で受賞したかったと事あるごとに橋が語っていたが、そのB面に収録された「ネェ、君、君」もまたリズム歌謡なのであった。“宮川 × 利根コンビ” では「バラ色の二人」も出色の出来映え。1967年の「夜は恋する」のカップリング曲だが両A面のごとき扱いで映画化もされた。後にテレサ・テンがカバーしている。
そして橋のリズム歌謡の決定版、佐伯 × 吉田コンビによる第6弾となる1967年の「恋のメキシカン・ロック」でとどめを刺す。1968年に開催されたメキシコシティーオリンピックに因んだ曲で、橋も “細かいリズムを刻むパーカッションとブラスセクションの絡みがいい” と自ら評した傑作である。世は正にグループサウンズのブームが巻き起こっていた頃。その大きな流行は橋の楽曲にも影響をもたらし、ザ・タイガースのメインライターだった “橋本淳 × すぎやまこういちコンビ” による「思い出のカテリーナ」や「雨のロマン」が生まれている。これらはリズム歌謡からの流れで、いわゆる “ひとりGS” と呼べそうな作品たちである。
橋幸夫のリズム歌謡を集めた「SWIM!SWIM!SWIM!」
1990年には、歌謡曲研究の猛者でもある大瀧詠一監修の下、橋のリズム歌謡を集めたCD『SWIM!SWIM!SWIM!』がリリースされた。ことのほか評判よろしく、60年代歌謡再評価の一環としてロングセラーとなったアルバム。
そこに収録された「恋のアウトボート」は1966年の「汐風の二人」のカップリングだったノリのいい曲で、これをしっかりサルベージした大瀧は流石である。1994年に放送された三谷幸喜脚本のドラマ『王様のレストラン』(フジテレビ系)では、山口智子が演じたシェフが大の橋幸夫ファンという設定から、コーラス課題曲となった「恋のアウトボート」を全員で歌うシーンがある。それも大瀧が編んだCDありきのことだったろう。
最後に私事をひとつ。橋がいったん引退を表明し、夢グループの主催で2代目・橋幸夫を募集した際、記念受験と思い応募したところなぜか予選を通過。某カラオケ店で催された2次予選がもういきなり最終審査で、私もなんと橋幸夫本人の前で「恋のメキシカン・ロック」を歌うこととなった。結果はもちろん落選であったが、今思えば本当によき思い出になったと感謝している。もしもあの時、間違えて選ばれていたとしたら夢グループの社員になる道を選ばなければならなかったのだけれども。
2025.10.29