6月1日

浜田朱里が背負った2つの十字架、起死回生の夢を乗せた傑作アルバム「青い夢」

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1980年デビュー組の有望株、浜田朱里


1980年にデビューして活躍した女性アイドルといえば、まず松田聖子、続いて河合奈保子、三原じゅん子(当時は、三原順子)、柏原芳恵(当時は、柏原よしえ)、岩崎良美あたりが思い浮かぶ。花の82年組ほどではないが、80年も人気アイドルのデビューが集中した “当たり年”。男性も “たのきんトリオ” が結成されてトシちゃんがデビューするなど、アイドル全盛だった80年代の幕開けにふさわしい年だった。

そうした80年デビュー組のなかで、私が有望視していた(つまり好きだった)のは、浜田朱里だった。聖子に続き奈保子、順子、よしえらが次々にヒットを飛ばすのを見ながら、朱里の番はいつ来るかと待ち望んだものだ。

しかし、デビューから2年、そして3年経っても朱里はヒットに恵まれず、シングル8枚、アルバム4枚を出したのち、1984年に歌手活動を休止してしまう(女優やバラエティ業は継続)。

そんな朱里の歌手活動を振り返りつつ、42年前の本日(6月1日)発売されたセカンドアルバム『青い夢』に光を当ててみたい。というのも、彼女の短い歌手活動のなかで、このアルバムを出した頃が一番輝き、魅力を感じるからだ。


百恵と聖子、浜田朱里が背負ったプレッシャー


浜田朱里がデビューしたのは1980年6月。歌謡界では秋の引退を前にした山口百恵の“百恵フィーバー” が起きていた。一方、松田聖子が「裸足の季節」でデビューを果たしており、70年代と80年代を代表するトップアイドル2人が並立していた。そして朱里は、この2人から重い十字架(のようなプレッシャー)を背負わされる。

朱里が所属するレコード会社は、百恵や聖子と同じCBSソニー。百恵を育てた酒井政利プロデューサーにより、朱里は百恵の後継者として徹底的に売り出された。まず、百恵と三浦友和の共演で話題になったTVドラマ『赤いシリーズ』の主役に抜擢される。この『赤い魂』は、4月から半年間放送され、朱里は女優として先に名が知られた。また、ドラマ出演中に発売されたデビュー曲「さよなら好き」は、若い頃の百恵の歌を連想させるつくりで、ジャケット写真も百恵に似せたことは明らか(詳細は、KARL南澤氏のコラム『1980年にデビューした浜田朱里、山口百恵の引退と大いなる時代の変化』を参照)。朱里は小学生から児童劇団に所属し、歌のレッスンも受けていた。ルックスも百恵に似た正統派。酒井氏が期待するのも無理はない。

一方、同じCBSソニーからは、若松宗男プロデューサーが発掘した松田聖子が一足早くデビューしていた。親友だった2人は、NHK『レッツゴーヤング』の “サンデーズ” にも同時に選ばれ、同期として切磋琢磨しあったに違いない。

しかし、「青い珊瑚礁」の大ヒットにより、聖子はスターへの階段を一気に駆け上ってしまう。取り残された朱里は第2弾シングルの売上もぱっとせず、秋にはドラマも終了する。

しかし、当時のアイドルはデビューから2、3年かけて人気を高め、ファンを増やすのが一般的。翌年、朱里の陣営は最初の起死回生策を放つ。いわゆる “青いシリーズ” の展開である。

シリーズ集大成のアルバム「青い夢」


“青いシリーズ” とは、81年に朱里が発売したシングル「青い花火」と「青い嫉妬」、そして、この2曲を収録したセカンドアルバム『青い夢』に至る作品群のこと。私が勝手に命名した。

“青い✕✕” というタイトルの名付け親は酒井氏と思われるが、“赤いシリーズ” に対抗したのか、百恵のセカンドシングル「青い果実」を意識したのか、「風は秋色」のような色付きタイトルに触発されたのか、真相は定かでない。しかし、シリーズ全体を貫くコンセプトは明確だ。それは、愛の喪失。しかも、メラメラ燃える激情ではなく、青白くチロチロ燃える怨念のような感情なのだ(表現が難しいが…)。

その先陣をきった「青い花火」は、“赤いシリーズ” の主題歌のような “ザ・昭和歌謡”。パッと散るような儚い別れが主題で、サビのメロディーや間奏のトランペットが、山口百恵のセカンドシングル「青い果実」を彷彿させる。もしかしたら酒井氏は、性典ソングと言われる「青い果実」を百恵に歌わせ、ヒットに導いたことが頭をよぎったのかもしれない。一転して「青い嫉妬」は、当時のアイドル歌謡では珍しいボサノバ風。ここにきて朱里はポスト百恵の呪縛から脱し、岩崎良美のような作品重視路線を歩み始めたように思える。

そして、シリーズ集大成のアルバム『青い夢』は、少女から大人に至る女性の切ない心情を綴った曲が集められ、コンセプトアルバムのような仕上がり。昭和歌謡テイストを含みつつも、ボサノバやシティポップを意識した音作りが全体的にされていて、寄せ集め感がない。これは、10曲のうち7曲を作曲し、全曲を編曲した馬飼野康二さんの手腕だと思う。作詞家も、三浦徳子氏をはじめとする女性陣でまとめられ、作品を作ろうとした気概が感じられる。感情を込めて響きわたる朱里の歌声も素晴らしい。特に「ハーフ・ムーン・スナイパー」と「花の香り」の2曲は、女性シンガーのような大人っぽい歌唱が味わえる。

ここからは想像だが、「青い夢」がレコーディングされた1981年春は、同期の聖子がトップアイドルの地位を盤石にした時期。デビューして一年も経たずに一気に差をつけられた朱里は、どんな心境だったろう?そんな複雑でやるせない思いを、“青” がテーマのアルバムにぶつけた結果、感情が歌詞に乗り、傑作になった気がする。

といっても、作品性と人気は両刃の剣。『青い夢』は、朱里の4枚のアルバムの中で最高セールスを記録するも、オリコンで最高59位。先のシングル2枚もヒットせず、起死回生は起こせなかった。私がこのアルバムを聴いたのは2010年代の復刻盤CDで、リアルで聴けていないが、百恵の呪縛を脱した朱里が自由に歌っているように感じた。

最後の起死回生に賭けた「想い出のセレナーデ」


翌1982年に、朱里は天地真理の往年のヒット曲をカバーしたシングル「想い出のセレナーデ」を発売、2度目の起死回生を図る。これは、前年に柏原よしえがアグネス・チャンの曲をカバーした「ハローグッバイ」をヒットさせた影響に違いない。そして「想い出のセレナーデ」は、朱里にとってオリコン最高順位の51位を記録する。しかし、この年は “花の82年組” が続々とデビューを果たしており、CBSソニーの酒井氏も、2度目の “ポスト百恵” として三田寛子をデビューさせていた。時代は一世代若いアイドルたちで占められ、タイミング的に割を食ってしまった感が否めない。

歴史に「もしも」は禁句だが、もし朱里が百恵の後継者でなかったら、もし聖子と同期でなければ、朱里の歌手活動はどうなったのかと思わずにはいられない。それくらい朱里のポテンシャルは高かったし、歌手としては売上以上に認知されていたと思う。実際に、40年以上経った今も、私の心に刻まれているくらいなのだから。残念ながらサブスクではベスト盤しか聴けないが、朱里の作品はもっと再評価されていいと改めて思う。

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2022.06.01
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カタリベ
1966年生まれ
松林建
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