1999年 9月29日

【Do As Infinity インタビュー】② 大渡亮が選んだ10代の1曲はキッスのハードロック!

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結成25周年を迎えたDo As Infinity。ボーカルの伴都美子とギターの大渡亮が、自身の音楽的ルーツを遡り、今に至るDo As Infinityの音楽がどのように生まれていったのかを探るスペシャルインタビュー。それぞれに、《最初に出会った音楽》として10代の1曲。《自分を作った音楽》として20代の1曲。そして30代は、《人生を共にすると決めた音楽》を選んでもらった。

第2回は、大渡亮が10代の頃《最初に出会った音楽》、そして影響を受けたバンドやギタリストについて、縦横無尽のトークが炸裂!

洋楽との出会いは「billboard TOP40」


―― まずは、最初に音楽に触れたのは、いつ頃でしたでしょうか。

大渡亮(以下:大渡):物心ついて、音楽を聴く習慣が生まれたのは、やはりテレビでした。僕には4つ上の兄がいて、一緒によく観ていたのがザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』。そこにゲストで出てくる沢田研二さんが好きで。渋い大人の感じ、ダンディズムが子ども心にもすごくかっこいいなあと思った記憶があります。「勝手にしやがれ」の帽子をひゅっと投げるのを真似したり(笑)

その後に始まった『ザ・ベストテン』も、1982年ぐらいまでは熱心に観ていました。でもそのうち、バンドとかがチャートインしても “今日はレコーディングのため番組にいらっしゃいません” みたいなことが頻繁に起きて、興醒めした記憶があります。その変化を僕は受け入れられなくて、日本のチャート番組から離れ、その辺りからアイドルや歌謡曲からも離れていきました。

―― 洋楽との出会いはいつ頃になりますか。

大渡:その少し後、13歳の時です。僕の地元は横浜ですが、テレビ神奈川(tvk)が洋楽推しで、『billboard TOP40』という番組をやっていたんです。その番組がスタートした1年後ぐらいから見始めて、それを情報源に自分の音楽知識や好みができあがっていきました。最初はカルチャー・クラブやデュラン・デュランなど、ブリティッシュロックを好んで聴いていましたが、同時にブルース・スプリングスティーンやビリー・ジョエルを知ったり、カナダのブライアン・アダムスとかも聴いたり。そもそも誰がアメリカの出身で誰がイギリスで、なんてことは分からず、ただルックスやメロディー、リズムがいいものを好んで聞いていました。

中学生の時に出会ったキッス「デトロイト・ロック・シティ」


―― そんな大渡さんが、10代の頃に影響を受け《最初に出会った音楽》として挙げていただいたのが、キッスの「デトロイト・ロック・シティ」です。

大渡:この曲はわかりやすい例として挙げたんです。中学生になると、ハードロックに傾倒していって、当時人気だったバンドの曲はひと通り聴いていました。そんなある日、町の古本屋で1978年頃の『ミュージック・ライフ』を見つけたんです。表紙がキッスで、彼らのディスコグラフィーも載っていて、眺めているうちに、昔のキッスに興味が湧いてきたんです。特に『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』(1975年)と『アライヴ2』(1977年)という2枚のライブアルバムにハマってしまい、そこからどんどんキッスの過去の曲を掘っていき、そのまま音楽を掘って掘って掘りまくる人生になりました。

――「デトロイト・ロック・シティ」は1976年の曲ですから、時代を遡って聴いていったわけですね。

大渡:はい。それに当時の僕は、ギターってアメリカ人しか弾けないと思っていたんです(笑)

―― どういうことですか?

大渡:ギターを弾ける人は特別な人だと思っていました。歌謡曲を聴いていた時代も、バックの演奏には着目していませんでした。でも中学2年生の10月に、高校の文化祭に行って、軽音楽部の先輩たち、自分より2、3個年上のお兄さんたちが、キッスとかナイト・レンジャーの曲をいとも簡単に弾いてたんですよ。もう身体に稲妻が走ったような衝撃を受けました。だってそれまで “ギターは資格制” ぐらいの気持ちでいたので、えっ、これって俺もギター弾いていいってこと? と(笑)。そのステージはお客さんも結構入っていて、すごく盛り上がっていたんです。僕も、それからは演奏することの楽しみを見つけてしまった。その年の12月にはエレキギターを買って、中3の頭ぐらいにはもうバンド活動みたいなことを始めています。

それまではベースの方が好きだったんです。あの頃はスラップ奏法、いわゆるチョッパー・ベースがすごく流行っていて、僕の好きな曲はベースが目立つ曲が多かったんです。特にアイアン・メイデンのスティーヴ・ハリスのベースがカッコよくて、楽器やるならベースだな、と思っていたんですが、その出来事があってからは急に “ギター、かっけえな” と思うようになって。そこですぐコピーしたのが「デトロイト・ロック・シティ」ですね。



自分で再現できるギタープレイに惹かれていた


―― キッスはリードギターの入れ替わりが激しいバンドでしたが、どのギタリストがお好きでしたか。

大渡:僕は、エース・フレーリーの弾くメロディーが、簡単でメロディアスで、スッと入れる感じで好きでした。僕が聴き始めた頃のキッスは、もうブルース・キューリックっていう上手な人に変わっていたんです。当時のアメリカのハードロック系は何でも弾きこなせるほどの技量がある人でしたが、僕は彼よりもエースの方に惹かれていました。実践的に考えていたのか、再現性に乏しいものより、自分で再現できるプレイに惹かれていたみたいです。

―― その頃、他に好きだったギタリストはどなたでしたか。

大渡:僕らの世代で誰もが通ったのは、やはりリッチー・ブラックモアとマイケル・シェンカー。特にリッチーのキャリアを遡って、ディープ・パープルに行き着いたんです。ちょうどその頃、リッチーがレインボーを活動休止して、ディープ・パープルを再結成したんですが、その少し前に『ディーベスト・パープル』というベスト盤が出ていたんです。「ハイウェイ・スター」も「紫の炎」も入ったアルバムで、それを仲間と回し聴きして “やっべえ、かっけえな!” とか言い合っていました。

―― では、大渡さんの、最初のギター・アイドルはリッチー・ブラックモア?

大渡:そうです。でもそのうち、リッチーはコードを弾かないからつまんねえな、って思い始めるんですよ。大体、キーボードのジョン・ロードがコードを弾いて、リッチーはその邪魔にならないようにギターをただ弾いてるんです。あ、僕にとってディープ・パープルってジョン・ロードのことなんです。ギターもリッチーがいなくなってトミー・ポーリンに交代しようが、ボーカルがデイヴィッド・カヴァデールだろうがイアン・ギランだろうが、ジョンさえいればディープ・パープル。それで、そのうちギターもリッチーよりジミー・ペイジのほうにどんどん傾いていきました。

ジミ・ヘンドリックスのぶっ飛んだ解釈の弾き方


―― ジミー・ペイジ、いわゆる3大ギタリストの1人ですね。

大渡:やっぱりギターにフォーカスした時、自分の血肉になっているのは、なんだかんだでジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックです。ジェフはもう少し後になって良さが分かったんですが、その3人に加えてジミ・ヘンドリックスの存在が大きい。

―― 今日着ているTシャツも、ジミ・ヘンドリックスをデザインしたものですね。ジミヘンはどのような形で知ったんでしょうか。

大渡:確かリッチー・ブラックモアが影響を受けたギタリストとして、ジミ・ヘンドリックスの名前を挙げていたことから聴いてみようと思ったんじゃないかな。最初は『スマッシュ・ヒッツ』というベスト盤で、そこに入っていた「ヘイ・ジョー」「紫のけむり」などを聴いても何をやってるのかわからなかった。マイナーセブンのアルペジオを弾いているんですけど、そういう風に弾くギタリストって、僕の世代ではあまりいなくて、それがすごく新しく思えました。半音で弾いていて、なんだか落ち着かない感じがして、このメロディーで合ってるの?みたいな(笑)

当時、中学にロック好きの先生がいて、ジミヘンの話をしたら “ジミヘンはライブを聴かなきゃダメだよ” って言われて。その先生、ロックのことを色々教えてくれたんです。それで『ヘンドリックス・イン・ザ・ウェスト』というライブ盤を聞いたら「ジョニー・B・グッド」をカバーしているんです。それがまたすごいハチャメチャで驚いた。だって、僕が聴き始めた時のロックって、すでに区画整理され、舗装された住宅街みたいな音だったわけです。そこでジミヘンのぶっ飛んだ解釈の弾き方に出会って、最初は嫌悪感があったけど、そのうちクセになって、ずるずるとハマっていくんです。



​​クリームに出会い、エリック・クラプトンに至る


―― そこで1960年代の音楽にまで辿り着くわけですか。

大渡:はい。ローリング・ストーンズ、ビートルズも遡って聴くようになりました。ストーンズはヒップホップをやっていた『アンダーカヴァー』が最初の体験なんです(笑)。1960年代の彼らを聴くと、全然違っていて驚いた。ビートルズは、母親が「レット・イット・ビー」を口ずさんでいたので、いい曲だなと思って。その後にやはりビートルズって偉大だと理解して、そういえばジミヘンもビートルズと同じ時代の人なのかと気づくんです。そこからウッドストックとかその周辺のロックを聴きまくって、クリームに出会い、エリック・クラプトンに至る、という流れです。

―― クラプトンは大渡さんの中で、どのような位置を占めているんでしょうか。

大渡:クラプトンはソロの方が好きでした。デレク&ザ・ドミノスから『461オーシャン・ブールヴァード』『ノー・リーズン・トゥ・クライ』『スローハンド』あたりまで、夢中で聴きまくっていました。ブルースもわかりやすく噛み砕いてくれているので、ブルース入門編としてすごく勉強させてもらいました。あまり話したことはないけれど、クラプトンは相当僕の血肉になっています。もう、足を向けて寝られないくらい(笑)

プログレッシブ・ロックの中では​​キング・クリムゾンは好きでした


―― 高校に入って、音楽への興味がどんどん広がっていくのがわかります。ところでその頃、好きな曲やアーティストを共有できる音楽仲間はいましたか?

大渡:すごく親しくしていた奴がいて、高校の頃にメンバーを探して一緒にバンドをやったりしていました。彼は今、イギリス在住なんですが、当時から僕より少し先を行っていて、僕がリッチー・ブラックモアを聴いている時に、彼はピンク・フロイドにハマっていた。​​プログレッシブ・ロックの虜になっちゃって、キング・クリムゾンはもとよりイタリア系のプログレまで手を出して、ちょっと僕も手に負えない方向に行っていました(笑)

―― 沼にハマってしまった。

大渡:そうですね。僕もその後プログレを一通り聴くようになりますが、ピンク・フロイドに関しては名盤と言われている『狂気』も『ザ・ウォール』もよくわからなかった。逆に、キング・クリムゾンは好きでしたね。特に『太陽と戦慄』。ジェイミー・ミューアっていう変態パーカッショニストがいた時期がいいんですよ。その後の『暗黒の世界』『レッド』も一通り大好物です。まあ、キング・クリムゾンもカテゴライズすれば “プログレ” ということになるんですが、僕にとってはクリムゾンもイエスもクイーンも、基本、一緒なんです。組曲をやっているロックバンドは全部同じものだと思っています。

―― 出会いのアーティストから遡って、過去の様々なバンドやギタリストにハマっていく過程は、音楽好きの宿命ともいえますね。

大渡:元々オタク気質なのか、掘っていくことが好きで、気に入ったらその理由を突き止めないと気が済まないんですよ。



―― その中でも今回、キッスを “10代の1曲” として選ばれた理由は。

大渡:自分がティーンエイジャーになった頃、キッスはノーメイクの時代でした。それでも、かつてのあのメイク、衣装、パフォーマンスが、僕の中では怪獣みたいなものに思えて、そういうアイコン的なところにも惹かれたんです。そんな出で立ちなのに、すごくポップで、わかりやすいロックンロールを演奏していることに、全部持っていかれました。いろいろなアーティストに影響を受けてきたけれど、最初に一番大きく影響を受けたのはキッスですね。


続く第3回は、ボーカルの伴都美子が《自分を作った音楽》として20代の1曲を語ります。


Live Information
▶ Do As Infinity 26th Anniversary LIVE
・ 日程:2025年10⽉3⽇(金)
・ 会場:LINE CUBE SHIBUYA

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