2023年 7月19日

【酒井法子 最新インタビュー】② 福岡の少女が “のりピー” の愛称で人気アイドルに!

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【酒井法子 最新インタビュー】① 新境地を開拓!デビュー35周年の新曲「Funny JANE」からのつづき

7月19日に本人プロデュースによるベストアルバム『Premium Best』をリリースした酒井法子。デビュー35周年を記念した3枚組のCDには既発シングル全36作の表題曲のほか、カップリング曲やアルバム曲から本人がセレクトした18曲と新曲「Funny JANE」の全55曲が収録されている。

同時発売の限定盤には、過去に出演したテレビ番組における歌唱シーンなど貴重映像満載のDVDと、アイドル時代の秘蔵写真に加え、セルフライナーや最新インタビュー、ディスコグラフィが掲載された別冊ブックが付属。アニバーサリー企画にふさわしく、歌手・酒井法子の歩みが凝縮された内容となっている。

7月から配信番組『のりニコッ!』(ニコニコチャンネルプラス)をスタートさせるなど、意欲的な活動を続ける酒井へのロングインタビュー。第2回は福岡の少女が “のりピー” の愛称で人気アイドルの座を確立した80年代を振り返る。



サンミュージックといえば憧れの松田聖子さん、「これはやるっきゃない!」


―― 法子さんは1985年、5万人以上が応募した資生堂主催の「’86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」で “BOMB!賞” を受賞。それがきっかけで芸能界入りします。

酒井法子(以下 酒井):『Lemon』(学研が発行していたティーンズ向けファッション誌)という雑誌で「ミスヘアコロン」の募集告知をたまたま見かけたんです。早見優さんがイメージキャラクターだったのですが、コンテストに優勝すれば、サンミュージックに入れて、ビクターからレコードが出せる。もちろん資生堂のCMにもイメージガールとして出演できるし、副賞として海外旅行もついてくる。そう書かれていました。私にとってサンミュージックといえば、憧れの松田聖子さんが所属する事務所でしたから「これはやるっきゃない!」と思って、友達と写真を撮り合って、応募書類を送ったんです。

―― 聖子さんがお好きだったのですね。

酒井:あるとき、親戚のお兄さんからもらったカセットテープに聖子さんの「制服」が入っていて、「いい曲だなぁ」と。それがきっかけで、寝る前に『ピンクのスニーカー』(文化放送 / 松田聖子がパーソナリティを務めていたラジオ番組)をチェックするほどのファンになったんです。小学校のお楽しみ会では聖子さんの曲をよく歌っていました。

―― ほかにはどういう音楽を聴かれていましたか。

酒井:中学に入ってからは矢沢永吉さんや戸川純さんなど、アイドル以外の曲も聴くようになりましたね。戸川さんは、出演されているドラマを拝見したことがきっかけだったんですけど、その可愛いらしさに惹かれてレコードを聴いたら「隣の印度人」とか、びっくりするような世界観の曲が多くて、益々ファンになりました。ですからデビュー後、戸川さんに「マグニチュード・ヒロイン』(1987年 / ファーストアルバム『ファンタジア / NORIKO Part1』収録)の詞を書いていただいたときは飛び上がるほど嬉しかったです。

―― コンテストでは志村香さんの「曇り、のち晴れ」を歌われたんですよね?

酒井:はい。歌う曲のカラオケを自分で持っていかなくてはいけなかったので、まずレコード屋さんに行きました。最初は斉藤由貴さんの「AXIA~かなしいことり~」にしようと考えていたんですけど、アルバムの曲だったせいか、カラオケが見つからなくて。「ほかに歌える曲はあるかなぁ?」と探していたら、「曇り、のち晴れ」が目に留まって「これなら歌えるかも」と思って買ったんです。

―― 合格する自信はありましたか?

酒井:アイドルに憧れていたとはいえ、何かを習っていたわけではないですからね。合格するなんて1ミリも考えていませんでした。あくまで記念受験というか、「とにかくこの瞬間を楽しもう!」という気持ちだけで。だからかもしれませんが、オーディションのことはよく憶えているんです。まず眩いばかりのスポットライトに圧倒されたこと。それから目の前にいらっしゃった早見優さんがすごくキラキラしていたこと。本選の時はショートカットで白い衣装を着ていらしたんですけど、「かわいい!」「きれい!」って感動しちゃいました。だから「もう思い残すことはないな」と(笑)。一生の想い出ができたから、あとは自分ができることをやりきればいいんだと思っていました。

アイドル歌手を夢見る女の子という等身大の役でドラマ初出演


―― その結果、グランプリには届かなかったものの、将来性を見込まれてサンミュージックに所属することが決定。14歳で福岡から上京し、『モモコクラブ』(TBS系)出演を経て、1987年2月に歌手デビューを果たします。

酒井:デビューまで時間がありましたので、事務所の社長のご自宅に下宿しながら、歌、ダンス、お芝居のレッスンに通いました。最初のお仕事は『春風一番!』(日本テレビ系)という連続ドラマで、アイドル歌手を夢見る女の子という等身大の役。その後は “ミスVHD” という賞をいただいたり、グリコのキャンレディーというお菓子のCMに出演させていただいたり、無我夢中でお仕事をしているうちに、VHD『YUPPIE』(1986年11月)での先行デビューが決まりました。

―― VHD(Video High Density Disc)は日本ビクターが開発したビデオディスクで、当時はレーザーディスクとの間で熾烈な規格争いが行なわれていました。その普及活動を担うミスVHDに選ばれたばかりか、 “世界初のVHDデビュー” という舞台まで用意されたのですから、法子さんに対する期待の大きさが窺えます。

酒井:『YUPPIE』(1986年11月)には2曲のオリジナル曲(「お願いダーリン」「ワガママ・シンドローム」)が収録されているのですが、レコーディングのとき、スタジオにたくさんの関係者がいらっしゃって、皆さん、真剣な顔でこちらを見ていたんですよ。それが初めてのレコーディングでしたから、すごく緊張したことを憶えています。

満を持して「男のコになりたい」でレコードデビュー


―― 『YUPPIE』はオリコンVHDチャートで1位を獲得。応援団 “のりピー族” (ファンクラブの前身)の会員数がその時点で3,000人を突破するなど、人気は沸騰しつつありました。そして1987年2月5日、満を持して「男のコになりたい」でレコードデビューを果たします。

酒井:私にとっては衝撃的なデビュー曲でした。まずタイトルが「男の子」じゃなくて「男のコ」だし、歌詞に「Pi!Pi!」というフレーズがたくさんあるし(笑)。福岡時代は “のりっぺ” と呼ばれていた私が “のりピー” になって、ファンの方とのコミュニケーションをのりピー語でするようになっていた頃なので、そのキャラに合わせたのだと思いますが、私が想像していたアイドル像からは、ちょっと離れていたかも(笑)。

―― 当時の歌謡界は素人っぽさを打ち出したおニャン子クラブがヒットチャートを席巻するなど、アイドルの多様化が進んでいました。

酒井:周りの皆さんが「この子を目立たせるにはどうしたらいいだろう」と一生懸命考えてくださって。特に初期は「渚のファンタシィ」(1987年5月 / セカンドシングル)とか、「GUANBARE」(1988年2月 / 5thシングル)とか、キャッチコピー的な目を引くタイトルが多かったように思います。



「ノ・レ・な・いTeen-age」で数多くの新人賞を受賞


―― このたびリリースされた『Premium Best』の限定盤には、日本テレビの番組に出演されたときの歌唱映像が多数収められています。

酒井:当時は自分が出演した番組をチェックする時間がなかったので、記憶にないことも多く、懐かしさと同時に新鮮さも感じました。デビューした頃の映像を観ると、本当に子供なんですよね。顔もパンパンで、よくデビューさせてもらえたなぁと。当時の私は汗っかきで、歌っているうちに鼻の下に汗をかくことが多かったんですけど、今回のDVDにもいくつかそういうシーンがあって「拭いてあげたい!」と思っちゃいました(笑)。

―― サードシングルの「ノ・レ・な・いTeen-age」(1987年8月)では日本レコード大賞をはじめ、多くの音楽祭で新人賞を受賞されました。

酒井:ありがたいことに「大人になった今でも聴きたくなる」と言ってくださる方が多い曲です。新人賞レースでよく歌っていましたから、その頃のことがオーバーラップするのかもしれませんね。私自身、詞もメロディもお気に入りなのですが、サビの部分で高音を張るところが続くので、毎回必死に歌っていました。そういう意味では次の「夢冒険」(1987年11月)も難しかった!

―― NHK『アニメ三銃士』の主題歌で、選抜高校野球の入場行進曲にもなった初期の代表作です。

酒井:私と同年代の方にとってはいろんな想い出があるようで、30周年のときに実施したアンケートでは2位でした。私にとっても大切な曲で、ライブでは必ず歌っています。夢に向かって努力している人をそばで見守る女性は素敵だし、そういう人であってほしいというメッセージ性は時代が変わっても色あせない。そう思っているので、大人になった今でも当時と同じ気持ちで歌えます。



のりピー人気はさらに上昇、オリコン2位を獲得した「1億のスマイル」


―― デビュー2年目の1988年は「GUANBARE」でスタート。ASKAさんが作曲を手がけた「1億のスマイル」(1988年5月)ではオリコン2位を獲得するなど、のりピー人気はさらに上昇します。

酒井:それまではマイナー調や企画色の強い楽曲が多かったんですけど、「1億のスマイル」は王道のポップス。やはりサビで高音が続くので大変でしたが、「この曲を歌えるんだ!」と嬉しかったことを思い出します。

―― 限定盤のDVDを拝見すると、少しずつスリムになって、垢抜けていく様子が分かります。

酒井:2年目からヘアメイクとスタイリングが今もお世話になっている方に代わりました。それまでのヘアメイクさんは事務所からオーダーされたナチュラルメイクしかしてくださらなかったのですが、『近代映画』の撮影でお世話になった安達知江さんはしっかりメイクしてくださったので、それが嬉しくて。

―― 綺麗になりたいお年頃ですもんね(笑)。

酒井:はい(笑)。衣装も中森明菜さんのスタイリングを担当されている東野邦子さんにお願いするようになりました。私はずっと明菜さんの衣装が好きで、歌番組でご一緒するたびに「素敵だなぁ」と見とれていたものですから、あるときダメ元で相談したら引き受けてくださって。憧れのスタイリストさんに作っていただいた衣装で歌えることが嬉しくてたまりませんでした。



衝撃的だった「のりピー音頭」はカセット限定企画


―― そこから王道路線に行くのかと思いきや、カセット限定企画の「のりピー音頭」(1988年8月)をリリース。今回の『Premium Best』にはボーナストラックという形で収録されています。

酒井:この曲も衝撃的でしたね。まさかの音頭もの(笑)。それに合わせて “のりピーちゃん” 柄の浴衣を作って、振り付けもこのときだけは日本舞踊で有名な花柳糸之さんにお願いしたんです。当時はユニークな楽曲が目白押しで、「嫌だなぁ」と思うことはなかったんですけれども、もうちょっと大人っぽい曲も歌ってみたいとは思っていたかも(笑)。同期デビューの人たちは年齢よりも大人びた曲を歌っていましたから。

―― デビュー3年目は筒美京平さんから初提供された「ホンキをだして」(1989年1月)からスタートします。

酒井:ノリがよくて元気になれる曲ですよね。作詞の森浩美さんはスタジオにもよく来てくださって、かわいがっていただきましたけど、筒美先生には残念ながらお目にかかる機会がありませんでした。当時の私はショートカットがトレードマークでしたが、この曲の前後から髪を伸ばし始めて。デビュー以来、事務所からは「イメージがあるからショートカットでいなさい」という “髪伸ばし禁止令” が出ていたので、アップにしたり、ポニーテールにしたり、バレないように工夫していました(笑)。

―― 尾崎亜美さんから提供された10thシングル「Love Letter」(1989年4月)は片想いをしっとりと歌ったミディアムバラード。大人っぽい曲やビジュアルに憧れていた法子さんには嬉しい楽曲だったのではないでしょうか。

酒井:そうですね。私は亜美さんが作られた「曇り、のち晴れ」をオーディションで歌わせていただきましたし、ほかにも大好きな曲がたくさんありましたから、「Love Letter」を歌えることが嬉しくて。亜美さんはレコーディングにも立ち会ってくださって、いろんなアドバイスをいただきました。それまでのシングルはキャラクター色の強い楽曲が多かったと思うのですが、この頃から年齢相応になっていきましたね。次のシングル「さよならを過ぎて」(1989年8月)は失恋の歌でしたし。

歌番組華やかなりし頃を知る最後の世代


―― 80年代最後のシングル「ALL RIGHT」(1989年11月)は遠藤響子さん(当時は “遠藤京子”)からの提供曲。それまでのシングル曲とは異なるグルーヴ感のある作品です。

酒井:私は “エンキョウさん” と呼ばせていただいているんですけど、遠藤響子さんとスタジオで初めて出会った曲で、それまでの私の曲とは全く違うタイプの、アーティスト色の強い作品だと思っています。エンキョウさんにはその後も素敵な曲をたくさん提供していただいていますが、音楽づくりで妥協しない姿勢は私の憧れです。

―― DVDの歌唱映像を観ると、振り付けが複雑になってきたことが分かります。

酒井:ちょうど三浦亨先生から菊地ヒロユキ先生に替わった頃だと思いますが、ものすごく細かい動きをしていて、我ながらよくこなしていたと感心します。今は再現できないんじゃないかな(笑)。



―― 90年代に入ると歌番組が次々と終了し、テレビを主戦場としていたアイドルは冬の時代に入ります。1987年デビューの法子さんは歌番組華やかなりし頃を知る最後の世代と言えそうです。

酒井:確かにそうかもしれません。『Premium Best』のDVDをチェックしていて気付いたんですけど、セリで上がっていったり、歌の途中でセットが変化したり、大掛かりで凝ったものが多いんですよね。それで思い出したのですが、当時は『歌のトップテン』(日本テレビ系)も、『ザ・ベストテン』(TBS系)も、番組を担当される方が1曲のために毎回一生懸命セットや演出を考えてくださって。今回の映像を観て、いろんな方の愛情に支えられていたのだと改めて思いました。そういう環境で活動できていたことに感謝ですね。


第3回につづく

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