90年代デビューアーティスト ヒット曲列伝vol.8■ 小沢健二「強い気持ち・強い愛 / それはちょっと」
作詞:小沢健二
作曲:筒美京平
編曲:小沢健二・筒美京平、管弦編曲:服部隆之
発売:1995年2月28日
売上枚数:37.8万枚
1990年~1999年の10年間にデビューし、
ヒットを生み出したアーティストの楽曲を当時の時代背景や、ムーブメントとなった事象を深堀しながら紹介していく連載の第8弾。今回は、小沢健二「強い気持ち・強い愛」を紹介します。
名盤「LIFE」ではやらなかった、華麗で柔らかなサウンドのサルソウルサウンド
1991年に、小山田圭吾と組んでいたバンド、フリッパーズ・ギターを突然解散発表した小沢健二は、93年にシングル「天気読み」でソロデビューし、翌年の1994年、今も名盤、と語り継がれるアルバム『LIFE』をリリースします。
今聴いても古びた感じが全くない、楽しく、感傷的な側面も感じる歌詞とメロディが揃った強度なポップアルバム『LIFE』のあとに、小沢健二が着目したのは “サルソウル” と呼ばれる、1970年代後半に、ニューヨークのラテン系移民たちが作った、ディスコサウンドでした。
そして、70年代からこのサウンドに目を付け、岩崎宏美「センチメンタル」(1975年)、桜田淳子「リップスティック」(1978年)、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」(1981年)など、そのスタイルを歌謡曲に積極的に取り入れて融合し制作したサウンドで、多くのヒットを生み出してきた筒美京平と出会い、二人で「強い気持ち・強い愛」を共作していきます。私には、洋楽をドラスティックに引用してフリッパーズ・ギターで数々の作品を作ってきた小沢健二が、筒美京平と並走していく姿は、J-POPの歴史として非常に美しい。言い換えると必然だったのかもしれないと感じるのです。大好きなサルソウルサウンドで新曲を作りたい! と動き始めた小沢健二は筒美京平の家にいき、一緒にレコードを聴きながらこの曲を完成させるのです。
90年代が青春だった世代にとって筒美京平という存在
1995年当時、中学生だった私の世代が、筒美京平という名前をしっかりと認識したのは、この曲からという方、多いのではないでしょうか。
もちろん “昭和の名曲たち” 的な歌番組で、作曲(と編曲)クレジットで筒美京平という名前は目にしていましたが、95年も現役で活動されている方だという認識があった同世代の方はいなかったのではないかと思います。
1995年当時の平成J-POPシーンは、バンドのメンバーが作詞・作曲をし、プロデューサーが編曲を手掛けた曲が、シングルチャートの上位を独占していた時代でした。そんな時代に、1960年代から活躍していた作曲家と組み、やってみたい音楽の知見を共有し、海外の音楽との融合と再構築をやってのけた、小沢健二のセンスと目の付け所に脱帽です。
2020年リリースの「彗星」へとつながるディスコミュージックへの愛
「長い階段をのぼり 生きる日々が続く」というフレーズで、人生を肯定し、筒美京平という作曲家へのリスペクトを「心をギュッとつなぐ」というフレーズで深く結び、ディスコミュージックへの愛を「Stand Up ダンスをしたいのは誰?」というフレーズで、リスナーも巻き込んでワクワクさせてくれる「強い気持ち・強い愛」。
この曲は、どこを切り取っても、音楽が大好き! という強い力が、みなぎっていると私は感じるのです。
そして、小沢健二はこの曲のリリースから、25年後の2020年に「彗星」を配信シングルでリリースします。
「彗星」の歌い出しの歌詞は――
そして時は2020 全力疾走してきたよね
1995年 冬は長くって寒くって
心凍えそうだったよね
―― というものです。
「彗星」は、「強い気持ち・強い愛」で、寒い夜を歌った情景描写をしっかりと歌詞で描き、このフレーズの後に、華麗で柔らかなサルソウルサウンドが溢れてくる。この2曲は、25年という時を越え、繋がっているのです。そして「彗星」のサビでは、このように高らかに歌われています。
今遠くにいるあのひとを 時に思い出すよ
笑い声と音楽の青春の日々よ
今ここにある この暮らしこそが
宇宙だよと 今も僕は思うよ
なんて素敵なんだろうと
「彗星」を聴いた時、小沢健二は変わっていないんだ! と、私はガッツポーズしながら涙を流しました。
当時、渋谷系というブームだけで “オザケン” を追いかけていた同級生、筒美京平という大作曲家とコラボしたという理由だけで「強い気持ち・強い愛」を聴いていた諸先輩方、もし時間があったら「彗星」を聴いてみてください。
小沢健二の音楽と、今の自分がもっと好きになるはず。そしてその気持ちは絶対に、間違ってない! それこそが、ほんとだよね。
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2023.07.15