プログラムピクチャーとして異例の人気を博した寅さん
僕が、映画『男はつらいよ』シリーズ(主演:渥美清)を劇場で見たのは、生涯で2本である。
1本目は1977年9月―― 当時、人気を博した映画『八つ墓村』(監督:野村芳太郎)の併映だったシリーズ19作目の『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(監督:山田洋次)。2本目は1995年暮れ、シリーズ48作目の『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(監督:同)―― そう、シリーズ最終作である。ちなみに、先の『八つ墓村』は金田一耕助を渥美清サンが演じており、なんとも不思議な2本立てだったのを覚えている。
同シリーズが存在したのは、1969年から1995年までの27年間―― 日本映画が斜陽だった時代である。そんな時代に “寅さん” は盆と正月の年2回、必ず封切られるプログラムピクチャーとして異例の人気を博した。もとは1968年10月からフジテレビ系で半年間放送された連続ドラマ(脚本:山田洋次ほか)だったが、最終回で寅さんが奄美大島でハブに嚙まれて絶命すると、お茶の間から抗議の声が殺到。その話を聞かされた山田洋次監督が所属する松竹に映画化を提案し、会社側は難色を示すも、時の城戸四郎社長が決断した。
もっとも、同シリーズの主要な客層は中高年層。当時の若者は邦画には見向きもせず、もっぱら洋画に夢中だった。例外は角川映画くらい。ただ、時々テレビの洋画劇場枠(時々、邦画も放映した)で見る寅さんは、すこぶる面白く、彼らは声にこそ出さないが、密かに寅さんを敬愛していた。それが、概ね若者たちの寅さん評だった。僕も然りである。
渥美清の死後、改めて評価された「男はつらいよ」
そんな次第で、シリーズ48作目(*まだ、その時点では本作が最終作になるとは知らない)を劇場で見た僕は、当然、自らチケットを購入したワケじゃない。その日、たまたま会社で余った招待チケットが回ってきて、予定もなかったので、会社のアルバイトの女の子を誘い、劇場へ出かけただけである。
なので、本作に対するモチベーションは基本、なかった。というのも、晩年の寅さんは、すっかり人気を落とし、併映の『釣りバカ日誌』シリーズだけを見て、寅さんを見ずに帰る人も少なくなかったほど。1989年に渥美清サンが体調を崩し、実質、満男(吉岡秀隆)の話がメインとなり、寅さんはその狂言回しになったコトも影響していた。
まぁ、案の定―― その『寅次郎紅の花』も、往年の作品に比べて、かなり物足りなかった感は否めない。寅さんはあまり出番がなく、あまり喋らず、話も今一つ盛り上がりに欠けた。満男がメインの話だから、仕方がないと言えば仕方ない。唯一の救いは、マドンナがシリーズ定番のリリー(浅丘ルリ子)だったコト。おかげで、作品自体が何かオーラをまとっているように感じられた。漠然と僕は、本作がシリーズ最後の作品になるかもしれないと思った。
車寅次郎こと渥美清サンが亡くなるのは、それから7ヶ月半後の1996年8月4日である。本当に本作が遺作になった。誤解を恐れずに言えば、映画『男はつらいよ』シリーズは、彼の死後、改めて評価されたと言っても過言じゃない。元来、日本映画は、興行成績と作品の評価は別もの。各種映画祭で受賞するのは、決まって文芸作品か作家性のある作品で、大衆娯楽作品、それもシリーズものが選ばれるコトはまずなかった。
ただ、唯一の例外が、奇しくも “作家性の権化” とされる「キネマ旬報ベストテン」だったのが面白い。寅さんは同賞にシリーズ全48作のうち、実に9作もランクインした。中でも、1976年のシリーズ第17作『寅次郎夕焼け小焼け』は、同年の第2位。まるで、生前のヒッチコックがハリウッドでは長らくサスペンスの職業監督として格下に見られ、米アカデミー賞とは無縁だったころ―― いち早くその “作家性” を見抜いたのが、フランスの若きヌーベルバーグの気鋭たち、フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールらだったエピソードを彷彿とさせる。
映画フリークたちが語る様々な “寅さん論”
ちなみに、日本のサブカル(マンガ、アニメ、ゲーム、アイドル等)をフィーチャーする、パリの世界的イベント『ジャパン・エキスポ』の第1回が開催されたのが、2000年である。黒船来航じゃないけど、それを機に、少し遅れて日本国内でもサブカルが評論家筋にも評価されるようになり―― その流れで寅さんにも光が当たる。先のキネマ旬報も、シリーズ終了10年目の2006年1月上旬号で「映画評論家・著名人41人が選んだ『男はつらいよ』のベストテン」を企画。更に公開40周年の2008年9月下旬号では「40周年記念大特集 寅さん、お帰り!」と題して、1971年当時の山田洋次監督と渥美清サンのノリノリ(!)の特別対談の再録を始め、大々的に誌面を割いて、全48作品の大特集を組んだ。
そのあたりから、映画フリークたちの間でも様々な “寅さん論” が語られるようになった。2010年代半ばからは配信でもシリーズが見られるようになり、一般層の間でも寅さん人気が再燃する。その流れで―― 公開50周年を記念して、2019年12月にはシリーズ50作目となる『男はつらいよ お帰り 寅さん』(監督:山田洋次)が封切られたのは、まだ記憶に新しい。ちなみに、49作目は1997年に山田洋次監督が一部新撮して、再編集した『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』である。
寅さんの何が面白いのかをシンプルに考察
少々前置きが長くなったが(長すぎる!)、今回のテーマは “みんな大好き寅さん” である。今日、8月27日は、シリーズの記念すべき第1作『男はつらいよ』が公開された1969年8月27日にちなんで「寅さんの日」と呼ばれる。もはや国民的映画であり、同シリーズの魅力は語り尽くされた感も否めないが、だからこそ原点に立ち返って、そもそも “寅さんの何が面白いのか” をシンプルに考察したいと思う。
まず、ストーリーの構造はシリーズを通して概ね不変で、恐ろしくシンプルである。大体、以下のようなプロットで物語が進む。
① 夢のシーン。時代劇か西部劇、あるいは有名映画のパロディ。とらやの面々(さくら・おいちゃん・おばちゃん・博)が、悪党(タコ社長)から嫌がらせを受けていると、流れ者(寅さん)が現れ退治してくれる。さくらが “その四角い顔は… もしや生き別れのお兄ちゃん!” “そいつはとっくに死んだぜ” と捨て台詞を吐いて、去っていく――。
② 夢から覚めると、町はずれの定食屋。寅さん “釣りはいらねえよ” と小銭を置いてキザに出ていくが “すみませ~ん、足りないんですが” と返され、慌てて懐をまさぐる。
③ 主題歌「男はつらいよ」(作詞:星野哲郎 / 作曲:山本直純)
私 生まれも育ちも 葛飾柴又です
帝釈天で うぶ湯を使い
姓は車 名は寅次郎
人呼んで フーテンの寅と 発します
④ タイトルバックは江戸川の河川敷。寅さんが撮影隊や測量技師らの邪魔をする。少年サッカーのボールを蹴ると、明後日の方向に。
⑤ とらや。おいちゃん(下絛正巳)、おばちゃん(三崎千恵子)、さくら(倍賞千恵子)が世間話。 “おにいちゃん、どうしてるかしら”。そこへ寅さんが帰ってくる。始めは和やかだが、博(前田吟)からタコ社長(太宰久雄)の帰りが遅いと聞かされた寅さん、最悪の事態を想定する。葬儀屋の手配を済ませ、仕出しも頼み、御前様(笠智衆)と源公(佐藤蛾次郎)もやってくる。そこへ酔っぱらった上機嫌のタコ社長が帰ってきて、ひと悶着。寅さん、出ていく――。
⑥ 風光明媚な某地方都市。啖呵売(たんかばい)の口上を述べるテキヤの寅さん “やけのやんぱち日焼けのなすび…”。ふとしたキッカケで知り合ったマドンナと親しくなる。別れ際、“何か困ったことがあったら、葛飾柴又、帝釈天の参道にある、とらやという小さな団子屋を訪ねてくれよ。オレの身内がきっと親切にしてくれる”。
⑦ 後日、とらや。マドンナが訪ねてくる。“東京に用事があって来たんですが、そのついでに… 寅さんいますか?”。そこへ丁度、寅さんが帰ってくる。“おぉ、元気だったか?”
⑧ 居間で夕食をご馳走になるマドンナ。終始ゴキゲンの寅さん。マドンナ “私、こんなに笑ったの初めて。寅さん大好き!”。マドンナの不用意な発言にサッと表情が曇るとらやの面々。
⑨ ある日、朴訥な青年がとらやを訪ねてくる。“こちらで〇〇子さんと待ち合わせをしてまして”。訊けば、青年はマドンナの郷里の幼馴染み。そこへ、マドンナが登場。些細なコトで2人は口論になり、マドンナが帰る。
⑨ 寅さん、青年がマドンナに気があるのを察知する。そして、恋の手ほどきをする。
⑩ 寅さんのアドバイス通りに、マドンナを映画に誘った青年。ことごとく段取りに失敗して、デートはご破算。しかし、破れかぶれになって青年が思いの丈を告げると、マドンナは笑顔に。2人は両思いだった。
⑪ 2人から明日、結婚の挨拶に来ると聞いた寅さん。その日の夜、とらやを出る。追いかけるさくら。“さくら、博と仲良くやるんだぞ” “おにいちゃん…”
⑫ 某地方都市。祭りの隅で啖呵売の口上を述べる寅さん “やけのやんぱち日焼けのなすび。色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たないよ…”。
⑬ とらや。寅さんからの年賀状を読むさくら。“わたくしごと、昨年中を振り返れば、思い起こすだに、恥ずかしきことの数々…”。
―― とまぁ、大体こんなトコロ。時々、スペシャルゲスト枠で、志村喬や宇野重吉、三船敏郎などの名優が登場したり(そして妙に寅さんとウマが合う)、ルーキー枠として武田鉄矢サンや泉ピン子さんら旬のタレントが呼ばれる(こちらは寅さんに異常にナツく)ことも。ただ、プロットの大筋は変わらない。
馴染みのギャグで笑う、偉大なるパターン芸
そう、ここから読み取れるのは、寅さんとは、偉大なるパターン芸であるコト(褒めてます)。つまり、シリーズものの大衆娯楽作品とは、観客は馴染みの役者と再会できるのを楽しみ、馴染みの展開を期待して、馴染みのギャグで笑う。そして最後は、ちょっとホロリとさせられ、満足して劇場を出る―― と、こういう次第。
例えば、寅さんの定番ギャグに “禁句” がある。マドンナのトラウマになりそうな言葉を彼女の前で発しないよう、とらやの面々に禁じるが、大抵、自分が破る。シリーズ26作目『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』でも、定時制高校の編入試験を受けるすみれ(伊藤蘭)を気遣い、“落ちる” や “すべる” を一同に禁じた寅さん。しかし、すみれが現れると、自ら “(願書を)落っことすといけない” とか、“口がすべっちゃった” とやってしまう。そう、この手の “前フリ” が登場する度、観客はお約束の展開に爆笑し、満足するのである。
今日も寅さんは生きている
そしてラスト――。決まってとらやを出ていく寅次郎と、それを追いかけるさくらである。ここで主題歌「男はつらいよ」をアレンジした切ないインストゥルメンタルが流れる。俗にいう、映画音楽の定番 “オリンをこする”(バイオリンを弾いて観客を泣かせる)シーンだ。この時、毎回さくらが悲しそうな顔をするのは、幼いころ、16歳の兄・寅次郎が父と喧嘩して家出した際も同じように追いかけ、すぐに帰ってくると思いきや、その後20年間、会えなかったコトを思い出すからである。
ちなみに、シリーズ50作目『男はつらいよ お帰り 寅さん』において、寅さんは第48作『寅次郎紅の花』のラストで旅に出て以降は、とらやに帰ってきておらず、どこを旅しているのか長らく不明であるコトが語られる。そう、映画の中の寅さんは亡くなっていない。今日も、日本のどこか地方を旅して、啖呵売の口上を述べている。
そして、さくらは今日も、兄の帰りを待っている。
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2025.08.27