ウインターソングの定番として広く認知された「ロマンスの神様」
1994年の年間チャート2位(オリコン調べ)に輝いた広瀬香美の「ロマンスの神様」は、楽曲と時代背景とタイアップ先の企業とが見事にマッチングしたことで生まれた大ヒット曲だといえる。
1993年12月1日にリリースされたこの曲は、当時はスキー用品の量販店として知られた『アルペン』のCM曲としてテレビでオンエアされ、発売直後から翌年の2月にかけて売れ続けた。当時はゲレンデで流れることも多く、その後もウインターソングの定番として広く認知されている。広瀬香美には “冬の女王” なる異名もある。
2023年12月には、長野県木島平村にある旧『北信州木島平スキー場』が、経営体制の変化に伴い『スノーリゾート ロマンスの神様』としてリニューアルオープンした。同名曲のイメージにあやかった大胆なリブランディングだ。
しかし、「ロマンスの神様」の歌詞は、合コンに挑んで、理想的な相手に遭遇した女性会社員のウキウキした気持ちを歌ったものである。季節感はどこにもない。冬の歌でも、スキーをモチーフとした楽曲でもないのである。さて、この矛盾にはどんな背景があるのだろうか?
バブル崩壊後も増加の一途をたどったスキー業界、その理由は?
80年代の終わり、空前のスキーブームが起きていた。バブル経済特有のムード、 高速道路や新幹線のネットワークの拡大、各地のリゾート開発の発展、団塊ジュニアが20代を迎えたタイミング、大学のサークル文化の盛り上がりなどの条件が重なり、日本のスキー人口は '88/'89シーズンに1,000万人を突破した(『レジャー白書』調べ)。バブルは1991年に崩壊したとされるが、大衆は突然ライフスタイルを変えることはなく、スキーの人気にも影響がなかった。むしろ、1998年に長野オリンピックが開催されることも決まり、スキー業界はバブル崩壊とは無縁の無双状態がしばらく続くのだった。
もうひとつ、スキーがバブル期に人気を呼んだ大きな要因として、当時、至高の価値があると考えられていた“恋愛”と密接だったことも挙げられる。多くの若者がゲレンデとその周辺を、恋人との関係を深める場所、恋を成就させる場所、出会いの場所と捉えていた。その共通認識があったので、なにかと成功率が高かった。スキー旅行の計画から、現地への移動、リフトへの乗車、食事、宿泊、アフタースキー、そして携帯電話普及前だからこその現地で撮った写真のやり取りまで、すべてが恋愛につながっていた。そしてそれらの第一歩として、ウエアや用具の購入があった。 アルペンのようなショップは、ロマンスへの玄関口として機能していたのである。
スキーをテーマとすることにまったく固執していなかったアルペンのCM曲
1972年に名古屋にスキーショップとして創業されたアルペンは、その後、スキーブームの波に乗り企業規模を拡大。スキーをメインとするスポーツショップのチェーンとして日本屈指の存在に数えられるようになる。
大々的なCM展開がスタートしたのが、'89/'90シーズンのこと。松本典子、真木蔵人が出演した、スキーと恋愛を直接的にリンクさせたイメージのCMでは、GO-BANG'S「あいにきて I・NEED・YOU!」が流れていた。同曲は、GO-BANG'Sにとって最大のヒット曲となるが、その歌詞には「ロマンスの神様」同様に冬やスキーに関するワードは出てこない。翌シーズンのCM曲、東京少年の「Shy Shy Japanese」、さらに翌シーズンのFAIRCHILDの「スキスキ有頂天国」もまた、スキーとは無関係な歌詞だった。
ここで分かることは、アルペン側はCM曲がスキーをテーマとすることにまったく固執していなかったということである。ただ、これらの曲に共通しているのは、なにかいいことがありそうな、楽しい出来事が起こりそうな、キラキラした出会いが待っていそうな、そんなポップなイメージである。それこそが、当時、多くの若者がスキーに期待することだった。アルペンは、自社の店舗や商品をPRするとともに、それをCMで提供することを重視した。
スキーブームのピークと広瀬香美の登場
前出の『レジャー白書』によると、日本のスキー人口のピークは、1,770万人をカウントした'92/'93シーズンだとされる。「ロマンスの神様」は、その 翌シーズンのアルペンCM曲である。それはまさにスキーブームの絶頂期といえた。
当時、“ガールポップ” という言葉も生まれ、女性のシンガーソングライターが多くデビューする背景があった。1992年にアルバム『Bingo!』でデビューした広瀬香美もそのなかのひとりだが、当初のCDセールスは順調ではなかった。そんな彼女にとって大きなチャンスがアルペンとのタイアップの企画だった。
のちに本人のコメントによれば、CMで流すための曲の候補を広瀬サイドがいくつか用意したのだという。もともと「How To Love」 という歌詞にスキー関連ワードが散りばめられた本命曲を作っていたが、採用されたのはスキーとは無縁の合コンソング「ロマンスの神様」だった。
アルペンがCM曲に求めるものは一貫していた。CMを見た人が、スキーをやれば何かいいことがありそうな気分になることが大事だった。その点で、「ロマンスの神様」の完成度はパーフェクト。結果としてアルペンの考え方は正しかった。スキー、シュプール、ゲレンデといった歌詞がなくても、「ロマンスの神様」は雪山までのドライブミュージックとしても、ゲレンデのBGMとしても、なんら違和感なく受け入れられたのだ。それが時代の気分だった。
「ロマンスの神様」が乗った、もうひとつのビッグウェーブ
「ロマンスの神様」は、スキーブームのほかに、もうひとつのビッグウェーブにも乗った。それは、カラオケボックスやCDプレイヤーの普及である。携帯電話とインターネットが当たり前のツールになる前だったこともあり、この時期のJ-POPは若者文化の中心にあった。 スキーを趣味としない層にも「ロマンスの神様」は支持された。カラオケの盛り上げ曲としても重宝されたのだった。
アルペンは、「ロマンスの神様」の制作費の一部を負担していたため、CDがミリオンセラーとなることで多くの利益を得たという。 そして翌シーズンより冬季のCMに広瀬香美を起用し続けた。その頃からスノーボードが普及し、スキー、スノーボードを併せた競技人口は、長野五輪が開催された'97/'98シーズンまで増え続けていった。
冬を歌わなくても冬の女王と呼ばれた理由
2シーズン目以降も、アルペンは広瀬香美にスキー・スノーボードをテーマとした曲を求めなかった。なかには、「ゲレンデがとけるほど恋したい」というストレートなウインターソングもあったが、これはアルペンが出資した同名映画の主題歌でもあるという特殊事情によるもの。ほかにもウインターソングといえるのは「DEAR...again」「真冬の帰り道」など数曲に留まる。それでも、毎年冬になると彼女の歌声がテレビから流れることから、広瀬香美は “冬の女王” なる異名を得るようになったのである。
アルペンと広瀬香美の蜜月関係は'02/'03シーズンまで続いた。CMソング起用はその後数年途切れたが、'07/'08シーズンには復活し、「ロマンスの神様〜弾き歌いVersion〜」が使用された。
スキー業界の変化と「ロマンスの神様」の継続的な影響力
2000年代以降、スキー業界を巡る状況は一変し、娯楽の多様化もあり競技人口は減少。この流れから、アルペングループは従来とは異なる業態の店舗を展開させるなど、スキーショップのイメージからの脱却を図っていく。ただ、それでも冬になると広瀬香美の曲が流れるCMを作り続けていた。もっとも、その内容は必ずしも恋愛イメージではなくなり、ファミリー層に寄せたシーズンもあった。
アルペンがキラキラの恋愛路線のCMを復活させたのは'16/'17シーズンだ。永野芽郁が出演したドラマ形式のCMでまず使われたのは、広瀬香美が新たにレコーディングした「ロマンスの神様 2016」だった。これぞ勝負曲。そこから、2000年代育ちの若年層と、「ロマンスの神様」がヒットした冬を知る年代の両方を狙った意図が感じられた。
アルペンの冬季CMは、永野芽郁が出演したものが今のところ最新作となっているが、同社と広瀬香美の関係は途切れなかった。2022年に創業50周年をプロモーションするWeb限定CMが制作され、そこには同社の社長とともに広瀬香美が登場。「ロマンスの神様」の一部をアカペラで歌った。
「ロマンスの神様」のリリースから30年が経過した。そのポップなメロディは、バブルもスキーブームも知らない世代にも響くのだろう。2022年には、TikTokで再ブレイクする現象があった。また、VRChatでこの曲に合わせて顔芸をする “フェイスダンス動画” も流行っていた。
企業とミュージシャンとの相思相愛関係の例としては、”松任谷由実とプリンスホテル” と”広瀬香美とアルペン” が双璧だろう。松任谷由実には苗場スキー場&苗場プリンスホテルの “特別総支配人” という肩書の名刺を与えられており、愛知県名古屋市にあるアルペン本社ビルの1階ロビーには広瀬香美のサインが入った白いグランドピアノがディスプレイされている。
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2024.01.28