2002年 6月26日

【Y2Kリバイバル】RIP SLYME「楽園ベイベー」夏の記憶と日本のヒップホップ・クラシック

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【Y2Kリバイバル】楽園ベイベー / RIP SLYME

ヒップホップの大衆化を象徴したRIP SLYME「楽園ベイベー」


Y2Kリバイバルのムーブメントの中、音楽シーンに大きな変化をもたらした事象のひとつに、ヒップホップの大衆化がある。2002年にリリースされたRIP SLYMEの「楽園ベイベー」は、その象徴とも言える楽曲だった。

少し時間を巻き戻してみたい。ヒップホップが日本の音楽シーンでメジャーに台頭したのは1994年だった。小沢健二 featuring スチャダラパーの「今夜はブギー・バック」と、EAST END × YURIの「DA・YO・NE」が同年のリリース。この年を境に、日本のヒップホップの深度はどんどん高まっていき、ハードコアラップが先鋭化していく一方で、ヒップホップに馴染みのない層にも、ラップが音楽表現のスタイルとして認知されていった。

それから5年を経た1999年にはDragon Ashが「Let yourself go, Let myself go」でブレイクを果たす。これと前後してJ-POPのアーティストやアイドルグループが、ごく普通に自分たちの楽曲にラップを取り入れるようになっていく。例を挙げるなら、モーニング娘。の「抱いてHold on Me」が1998年、嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」が1999年である。

こういった事象を背景に、軽やかにシーンに舞い降りてきたのがRIP SLYMEだった。2001年にシングル「STEPPER’S DELIGHT」でメジャーデビューを果たし、2002年にはメジャー2作目のアルバム『TOKYO CLASSIC』でオリコン初登場1位を獲得、ヒップホップグループとしては初の日本武道館公演を成功させ大ブレイクを果たす。その絶好調時、2002年6月26日に発表されたメジャー5作目のシングルが「楽園ベイベー」だった。



ヒップホップの垣根を軽く飛び越えて行ったRIP SLYME


1990年代半ばに登場してきた国内のヒップホップグループは、道なき道を切り開いてきた開拓者に近い存在で、そのためどこかシリアスで求道的なイメージがあったが、RIP SLYMEはむしろヒップホップ草創期を思わせる、ポップで軽やかなパーティ感覚のノリを擁していた。彼らの大ブレイクは上記のようなヒップホップメジャー化の下地があったことに加え、キャラクターの親しみやすさも相まって、このジャンルにあまり馴染みのない層にも訴求していったのである。

サウンド面ではクラブミュージックに近い打ち込みから、バンドスタイル、アコースティックタイプのトラックまでを幅広く取り込み、ヒップホップの垣根を軽く飛び越えて行った。その音楽的自由度の高さもまた、大衆的な人気に繋がったように思う。

メンバーに声質もフロウもまったく異なる4人のMCがいて、4MC+1DJで構成されている点もユニークだった。さらに、ラップもメロディーとリリックが分離することなく溶け合っている点も新鮮だった。いわゆるシンギング・ラップ とも違う、ラップのリズム感にメロディーが絶妙に乗っている状態なので、その心地よさが独特の魅力となっていた。CDのジャケットも、ピチカート・ファイヴやコーネリアスのアートワークでも知られるデザイン集団 groovisionsが手がけ、赤塚不二夫の『天才バカボン』風キャラをジャケットに用いたりと、ユニークなセンスでも注目を集めたのだ。

リリックのエロ度の高さが、中高生男子たちに大人気


「楽園ベイベー」は、夏の涼しげなムードを感じさせるラテン、ボサノバ風のトラックで、男子の欲望をむき出しにした夏全開の開放感と恋の予感、そして切なさが同時に押し寄せてくるリリックも新鮮だった。特にリリックのエロ度の高さが、中高生男子たちに大人気となる。その一方でMCの1人、RYO-Zがアメリカのヒップホップグループ、ウータン・クランの「Method Man」のフロウを導入したりと、先人へのリスペクトも忘れていない。



だが、当初は、別のトラックが予定されていた。元々はスチャダラパーの夏の名曲「サマージャム’95」のような、メロウで涼しげな作風で作ろうとして、往年の名ソウルグループ、フォー・トップスの「All My Love」を16小節分サンプリングして作ったのが最初のバージョンだった。ところが、楽曲使用の許諾が折り合わず、急遽、グループのトラックメイカーであるDJ FUMIYAが3日間スタジオに篭って完成したのが、現在我々が知る「楽園ベイベー」のトラックだ。最初の曲想はもっとメロウなサウンドだったのだ。

果たして「楽園ベイベー」が最初の想定でリリースされていたら、ここまで大人気の曲になったであろうか。ちなみにこのメロウなバージョンは「失楽園ベイベー」としてライブで披露したこともあるが、“いつも滑る” とRYO-Zがラジオで語っていた。現在の「楽園ベイベー」があまりにもキャッチーであり、聴き手に浸透しすぎたため、メロウなイメージがどうしても湧かないのだろう。

リリースから24年の時を経た日本のヒップホップ・クラシック


その後の彼らは2018年に活動休止、3名での活動など様々な事態を経て、2025年には5人体制で再集結し、2026年3月22日までの期間限定で活動を再開中である。

2025年7月、日本テレビ系で放送された『THE MUSIC DAY』にRIP SLYMEが出演。「楽園ベイベー」を司会の櫻井翔とコラボした。しかも櫻井は自作のリリックを引っ提げた、いわゆる “サクラップ” を挿入し、嵐のファンを大いに沸かせた。さらに同年12月のフジテレビ系『2025 FNS歌謡祭』に出演した際には、やはり「楽園ベイベー」を今度は Number_i とのコラボで披露した。2つの番組への出演は、この曲がアイドルやJ-POPのアーティスト、そしてそのファンにまでくまなく浸透し、リスペクトを受けている何よりの証明となった。

コアなヒップホップファンも、一般リスナーも虜にしたRIP SLYMEの「楽園ベイベー」は、あの時代に青春期を過ごした者たちにとって、爽やかな夏の1ページ、10代の記憶として強烈に焼き付いている楽曲なのだ。今や日本のヒップホップ・クラシックであり、リリースから24年の時を経ても、夏が来るたびに聴きたくなる、Y2Kの名曲である。

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