2025年 12月3日

【井上ヨシマサ 最新インタビュー】② 稀代のヒットメーカーが語る、現在・過去・未来

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小泉今日子「Someday」(1985年)で作曲家デビューして以来、荻野目洋子、光GENJI、中山美穂、少年隊、郷ひろみ、AKB48グループなど、あまたの歌手にヒット曲を提供してきた井上ヨシマサが12月3日にオリジナルアルバム『Y-POP』をリリースした。

同作は『再会 〜Hello Again~』(2024年7月)、『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』(2025年2月)に続く、作家デビュー40周年企画の第3弾だ。メロディメーカーとしての才能に加え、磨きのかかったボーカルで、シンガーソングライターとしても充実ぶりがうかがえる井上へのロングインタビュー。後編ではこれまで関わってきたプロジェクトへの想いや現在の心境、今後の展望について話を聞く。

今も多くのアーティストによってカバーされてる「ブルーウォーター」


―― 前編ではアーティスト活動を志していた井上さんが副業的に始めた楽曲提供でヒットを重ね、図らずも作家として多忙を極めるまでを伺いました。

井上ヨシマサ(以下:井上):本来、自分がやりたかったものを奥に仕舞いこんで、求められる曲をマシーンのように書き続けているうちに “井上ヨシマサの音楽はどこに行っちゃったんだろう” と思うようになりました。それで “たとえ食えなくなったとしても、これからはやりたい仕事だけをしていこう” と決意して作家事務所から独立したのです。そんなときに作ったのが森川美穂さんに提供した「ブルーウォーター」(1990年)でした。

―― テレビアニメ『ふしぎの海のナディア』(NHK)のオープニングテーマに起用された「ブルーウォーター」は森川さんの代表曲となり、今も多くのアーティストによってカバーされています。

井上:作らされたのではなく、自分が思うように作った楽曲が皆さんに受け入れられたことで、ポップスづくりに対する自信を持つことができました。これなら作家としての活動をあえてやめる必要はないと思えたわけです。大きな転機で、自分ではここからが第2期と位置づけています。最高のデモテープを作るために最高の機材を揃えるようになったのもこの時期からですね。



自分のやりたい音楽に近かった「MOONLIGHT WHISPER」


―― 1980年代は他のアレンジャーが編曲をするケースが多かったようですが、1990年代以降は井上さん自身が編曲を手がける楽曲が増えていきます。

井上:僕は活動初期からMTR(マルチトラックレコーダー)でデモテープを作っていて、サウンドづくりも音楽の大事な要素だと考えていました。ですからアレンジもできれば自分でやりたかった。

―― アレンジの仕上がりを聴いて “イメージと違うな” と感じることも多かったのでは。

井上:曲をお渡しするとき、僕は “○○風にしてください” と言わなかったので、出来上がったものを聴いて “こうなったのか” と思うことはありました。

―― ディレクターやアレンジャーの間では、洋楽を参考資料として “サウンドはこんな風に” という会話があったとも聞きますが、そういうことはしなかったと。

井上:サウンドにもオリジナリティを求めていたので、自分から “○○風に" とは言いたくなかったんですね。誰が聴いても “あれだな” と分かるものをオマージュとして使うことはいいと思うのですが。

―― ほかの方のアレンジでお気に入りの楽曲があれば、いくつか挙げていただきたいのですが。

井上:前編でもお話しした「Diamondハリケーン」(1988年 / 光GENJI)はカッコいいと思いました。「不思議なサリー」(1989年 / 朝川ひろこ)もラテンっぽい感じがいいですよね。「MOONLIGHT WHISPER」(1988年 / 島田奈美)はロンドンのクラブで評判となったようですが、これがシングルA面になったのは歌謡曲にしなくていいという方針があったのでしょうね。変則的な構成ですが、自分のやりたい音楽に近かったように思います。「EXCUSE」(1993年 / 少年隊)も思い入れのある作品で、(編曲を担当した)船山(基紀)さんにドラムのループをお渡しした記憶があります。



少年隊の植草克秀とコラボレーション


―― 40周年3部作の第1弾『再会 ~Hello Again~』では「EXCUSE」を少年隊の植草克秀さんとデュエットされました。

井上:『再会』のときは “どうしてこの人とコラボしたのですか” という質問を受けることがありましたけど、まずは連絡が取れる方からオファーしていったんです。それまでそういうことをしたことがなかったので “断られたらどうしよう” と思っていたのですが、ありがたいことに皆さん快諾してくださって。カッちゃん(植草)は同い年で、食事に行くこともありましたから、相談しやすい関係でした。

―― お互いのライブにゲスト出演するなど、共演の機会が増えているお2人にはユニット活動への期待が高まっています。

井上:2人とも1966年生まれなので、6が2つ。なのでユニット名は “ROCKS” か “ROX” にしようかと(笑)。Xではユニット用に作った曲の一部を公開していますが、実現したら嬉しいですね。



中山美穂に提供した「Rosa」が大ヒット


―― お2人は来年が還暦。大きな節目に吉報が届くことを楽しみにしております。ほかにも40周年がきっかけで、過去に楽曲を提供した方たちとの交流が再開されたようにお見受けします。

井上:そうなんです。昨年は西村知美さん、島田奈央子さん(島田奈美)、清水香織さん、立花理佐さんが40周年を祝う食事会をしてくれました。そのとき初めて知ったのですが、当時の僕は新人さんの間で人気があったみたいで(笑)。

―― 立花理佐さんのブログには “近所のかっこいいお兄ちゃん取り合う子供のような言い合いしてたのが昨日のことのように蘇ってきた” と書かれていました。当時は彼女たちと話をすることもあったのでしょうか。

井上:最初に楽曲を提供したときはスタジオへ挨拶に行っていましたが、最後までレコーディングに立ち会うことはほとんどなかったし、会話らしい会話はなかったと思いますよ。だからその話を聞いたときは “そうだったの!?” ってびっくりしました。

―― 西村さん、島田さん、清水さんは来年がデビュー40周年ですから、新たなコラボが生まれることを期待しています。話を1990年代に戻しますが、独立後ほどなくして中山美穂さんに提供した「Rosa」(1991年)が大ヒットしました。当時先端だったハウスを大胆に採り入れたナンバーです。

井上:クラブミュージックにハマり始めた頃に書いた楽曲です。ノンタイアップでしたし、“これはシングルにしてくれないだろうな! カッコいいけど” と思っていたら、美穂ちゃんの担当ディレクターだった福住朗さんが気に入ってくれてシングルになりました。福住さんはそれまで角松敏生さんと組むなど、カッコいい音楽をお作りになっていましたから、採用されたときは嬉しくて。当時、「Rosa」を聴いた秋元康さんが “日本にこういう曲を書ける作家がいるのか” とおっしゃっていたらしいのですが、後年それを知ったときは “届く人にはちゃんと届いているんだ” と思いましたね。



都はるみ、橋幸夫にも楽曲を提供


―― 同じ年の1991年には、都はるみさんに「想いのままに」を書かれています。歌謡界の大御所では今年お亡くなりになった橋幸夫さんにも「君の手を」(2018年)を提供されていますが、いずれも意外な組み合わせでした。

井上:お二方とも制作サイドが新しいイメージを求めていたのだと思います。ですから僕はそれまでの楽曲を意識しないようにしましたが、都さんも橋さんも僕が子供の頃から歌っていらっしゃるレジェンドですから、リスペクトを込めて書きました。嬉しいことに都さんはノリノリで、スタンドマイクを永ちゃんみたいにして歌ってくださいましたし、橋さんも 面白がってくれて、歌入れのあとに乾杯したほど盛り上がりました。

―― ポップス系では沢田研二さんに「muda」(1989年)を、『再会』でコラボした郷ひろみさんにも「バックステージ」(2016年)などを提供されています。

井上:沢田さんはレコーディングのとき、コーダで「♪ムーダ!」とシャウトされたんです。そのアドリブに圧倒されて、思わず “うまいですね” と失礼なことを申し上げてしまったのですが、スタッフが凍りつくなか “そう思ってくれたんだったら嬉しい” とおっしゃってくれて。郷さんのときはスタジオのドアで1回転してから入ってこられて、そのスターオーラにも感動しました。音でお世話になってきた先輩たちとの仕事ではリアルな尊敬が常にありますが、学ぶことが多くて、いい想い出しかありません。

―― 皆さん日本を代表する実力派ですから、そういう現場は作家冥利に尽きるのではないでしょうか。

井上:キョンキョンや松田聖子さんに提供したときも感じたことですけど、どんな歌でも、その人が歌うとその人の色になるんです。メロディやサウンドが何倍もよく聴こえるようになるので、楽器を足すとか、音を上げるとかをしなくていい。そういうボーカリストは作家にとってありがたい存在で、スタジオではいつも “そういう風に歌われるんですね” と感動しながら聴いています。



最も多くの楽曲を提供しているAKB48グループ


―― 新人からベテランまで、あまたのアーティストと仕事をされてきた井上さんですが、最も多くの楽曲を提供されているのがAKB48グループです。プロジェクトに参加したきっかけから伺えますか。

井上:プロデューサーの秋元康さんとは1990年代、とんねるずさんの楽曲制作でご一緒したとき、初めてお目にかかりました。当時の僕はいい音楽を作りたい一心で、生意気にも “自分はおカネのためだけに音楽をやっているわけではありません” みたいなことを言ったのですが、秋元さんはそれを憶えていたようで、AKB48が秋葉原の劇場で活動を始めた頃 “楽曲をヨシマサに書いてほしい” と声をかけてくれたんです。

―― 先日、日本武道館でAKB48の結成20周年公演が4日連続で開催されましたが、彼女たちがブレイクするはるか前に曲づくりを要請されたと。

井上:そうです。僕はその頃、海外を見据えて米国に拠点を移す準備をしていたのですが、渡米する直前に秋元さんから連絡が入って “一度、劇場に来てほしい” と言われました。いざ足を運んだら、秋元さんが魂を込めて取り組んでいることが伝わってきたし、世界への発信はサブカルチャーの聖地として注目されている秋葉原からもできるかもしれないから、とりあえず2年はしっかりやってみようと思ったわけです。上演だけで音盤化されない楽曲は作家のもとに1銭も入らないんですけど、それを真剣にやっている秋元さんが自分を必要としてくれていることが嬉しかったし、とんねるずさんのときに自分が発した言葉の責任を果たそうと思ったこともお引き受けした理由です。

「真夏のSounds good!」は日本レコード大賞を獲得


―― AKB48は、初めてチャートの1位を獲得した「RIVER」(2009年)、初ミリオンの「Beginner」(2010年)、『日本レコード大賞』を獲得した「真夏のSounds good!」(2012年)など、メモリアルな楽曲の多くが井上さんの作曲・編曲によるものです。

井上:僕は劇場用の曲も含めて、ひたすらスタジオで作り続けていましたから、彼女たちが売れている実感がほとんどなくて。日本武道館で開催された初めての『AKB48グループじゃんけん大会』(2010年)に呼ばれたとき、クルマが通れないほどの人が集まっているのを見て “売れたんだな” と思ったのと、その後 “次のシングルが予約段階で100万枚を突破した” と聞いたときくらいなんですよね。

―― 2009年にスタートした選抜総選挙への注目などで社会現象となったAKB48は1作ごとにセールスを伸ばしていましたが、予約で100万枚ですか!

井上:そのシングルを僕が書くことになっていたのですが、まだ作ってもいない段階でそう聞いて “どうやって100万枚の曲を書けばいいんだろう” と(苦笑)



ボツをきっかけに誕生した「それぞれの夢」


―― めちゃめちゃプレッシャーですね。

井上:でも、そういうとき僕は原点に戻るんです。前編の冒頭でもお話ししましたけれども、売れるものを作ろうという邪念が入ると、いいメロディは生まれません。数字を意識してはいけないんです。もしそれで提出した曲がボツになってもいい。そのときはダメでも、その経験が次に繋がることがそれまでのキャリアで分かっていたので、プレッシャーは感じませんでした。最新アルバムにニューバージョンを収録した「それぞれの夢」(2004年)もボツをきっかけに誕生した楽曲ですし。

――『レオパレス21』のCM曲ですね。どういう経緯だったのでしょう。

井上:僕はそれまでコマソンはやっていなかったのですが、日本コカ・コーラの「I feel Coke」の次のキャンペーンソングを作ったことがありまして。

――「♪はじめてじゃないのさ 」の歌とともに大ヒットしたCMシリーズの次回作ということですか。

井上:そうです。残念ながら、そのときは採用されませんでしたが、坂田耕さん(広告会社マッキャンエリクソンのクリエイティブディレクター。のちに社長、会長を歴任)という、CM界の黒澤明のような方が僕の曲を憶えていて、レオパレス21さんが “一人暮らし応援しようキャンペーン” を行なうことになったとき、 “井上くんに曲を作ってもらおう” と指名してくれたのです。しかも音楽制作会社の小池哲夫さん(元ヴィレッジ・シンガーズ)と一緒にわざわざうちまで来てくださって。

―― それは嬉しいですね!

井上:“事情があってすぐには作れません” と申し上げたら1年待ってくれて、そこから「それぞれの夢」が生まれたわけです。当初は1クールの予定だったんですけど、いろんな方が歌い継いでくださって、長くオンエアされることになりました。奇しくも、母親が亡くなって実家を売ることになり、家族がそれぞれ一人暮らしを始めた時期だったので、その状況と重なり合う部分もあって、僕にとっても思い入れのある楽曲です。最新バージョンでは最近一人暮らしを始めた娘へのエールも込めて歌っています。



以前の僕ならやらなかったようなポップスに取り組んだ「Y-POP」


―― 井上さんの人生にも寄り添ってきた歌が、実はボツから生まれたというのは意外なエピソードです。そういった経験を重ねて迎えた作家デビュー40周年ということになりますが、3作のアルバム制作を通じて、ご自身のなかで起きた変化があればお聞かせください。

井上:ほかの方に提供した楽曲を1作目と2作目でセルフカバーした結果、“自分でも歌えるな” とか “意外にもパフォーマンスしやすいな" と思えたことは嬉しい発見でした。それから音楽は “シンプル・イズ・ベスト” であることを再認識できたことも大きかった。かつての僕は無意識に自分がやる音楽では研究所のような実験をして、複雑にすることがカッコいいと考えていたのですが、遠回りをしたことで、ある時期から “誰もが口ずさめるようなシンプルなメロディこそが目指すべきものだ” と思うようになりました。3作目の『Y-POP』で以前の僕ならやらなかったようなポップスに取り組んだのはその表れです。

―― 個人的には楽曲ごとに違った表情を見せる井上さんの歌声にも魅了されました。ご自身のボーカルについてはどのようにとらえていますか。

井上:自分で言うのもナンですが、進化していると思います(笑)。熱く歌って感情を入れることは昔からやってきたんですけど、3作の歌入れを通してソフトに歌うことを覚えました。特に第1弾の『再会』はデュエットアルバムでしたから、相手の方とのバランスで自分のボーカルを抑えめにすることもあって。その経験を生かして、『Y-POP』に収録した「リハーサルタイム」では今までにない歌い方ができたと思います。



―― 切ない歌詞のバラードで、井上さんの甘い声が心地よく響きます。

井上:そう言ってもらえると嬉しいなぁ。僕はどうしても前のめりになりがちなのですが、田村さんがうまく手綱を引いてくれました。過去を振り返る歌なので、浅いものにならず、年輪を感じていただけるように歌ったつもりです。

―― 田村さんは井上さんの中域の声がいいとおっしゃっているようですが、そこを意識した作りになっているからか、説得力のあるボーカルになっていると思います。

井上:ありがとうございます。とはいえ、楽曲の完成度も含めて、まだまだ旅の途中です。幸いサブスクの普及もあって、いい音楽であれば、誰が歌っているかとかは関係なく受け入れられるようになってきました。ブルーノ・マーズとBLACKPINKのロゼのような、以前なら考えられないようなコラボが実現する時代にもなっている。僕自身、40周年プロジェクトを通じてコラボの楽しさを味わうことができたし、様々な楽器を自分で演奏したことによって、曲づくりにフィードバックできる音楽的な発見も多々ありました。これからもいい音楽を作り続けて、いろんな表現にチャレンジしていきたいです。

―― 開幕したばかりのY-POP。続編も楽しみにしています!

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2025.12.17
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