小泉今日子「Someday」(1985年)で作曲家デビューして以来、荻野目洋子、光GENJI、中山美穂、少年隊、郷ひろみ、AKB48グループなど、あまたの歌手にヒット曲を提供してきた井上ヨシマサが12月3日にオリジナルアルバム『Y-POP』をリリースした。
同作は『再会 〜Hello Again〜』(2024年7月)、『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』(2025年2月)に続く、作家デビュー40周年企画の第3弾だ。メロディメーカーとしての才能に加え、磨きのかかったボーカルで、シンガーソングライターとしても充実ぶりがうかがえる井上に、これまでのキャリアや今の想いを2回に分けて語ってもらう。
40周年プロジェクト、満を持してのオリジナル楽曲集「Y-POP」 ―― 40周年プロジェクトの第1弾アルバム『再会 ~Hello Again~』では楽曲を提供したアーティスト10名との豪華コラボレーションで、第2弾『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』ではAKB48グループへの提供曲のセルフカバーでリスナーを魅了してきた井上さんですが、完結編となる最新アルバム『Y-POP』は満を持してのオリジナル楽曲集。タイトルはご自身による命名だそうですが、ヨシマサ流ポップスの提示という解釈でよろしいでしょうか。
井上ヨシマサ(以下:井上):実を言うと、作家としては長きにわたってポップスを求められてきたのですが、自分で歌う楽曲に関してはポップスを意識して作ったことがありませんでした。どこかで分けて考えていたのでしょうね。でも1作目で過去に提供したアーティストとのデュエットを、2作目でAKB作品のセルフカバーをしたことで、“人に書いた曲も意外と歌えるな” という発見がありました。今回40周年を記念した3部作のファイナルを飾るアルバムにふさわしいテーマとして、これまで見て見ぬふりをしてきたポップスと向き合い、自分なりのポップチューンで構成したのが『Y-POP』です。
VIDEO ―― 提供曲ではキャッチーなポップスを次々と送り出し、ヒットメーカーとなりましたが、井上さんにとってのポップスとは?
井上:世にある音楽を追うのではなく、新たなオリジナルサウンドを作り出すという意識で取り組んできました。ボツを食らいながら仕事をしてきて思うのは、ポップスとして最終的に通じるのは詞やメロディといった具体的なものではなく、どういうものを叫びたいのかということ。たとえば出会いや失恋など、生きているうえで人の心を揺さぶる出来事を原点とした感情や想いがピックアップされた楽曲ほど伝わりやすいのです。
―― キャリアを重ねるなかで、“こういう詞やメロディがヒットに結びつきやすい” という技巧的なことよりも、心の叫びや情動などから生まれたものが人の心を掴むことを体得したと。
井上:もちろんヒットしたら嬉しいですが、売れるものを作ろうという邪念が入ると嘘になる。そういう嘘は見抜かれます。作家としては依頼があったときに作っていると思われがちですけど、僕の場合、気持ちが沸きあがったときに作ることが多いので、そのなかから先方が求めているものに合いそうな曲を選んでお出しするわけです。もちろん頼まれてから作ることもありますが、そういう場合は過去の経験に落とし込んで、自分の想いをメロディに込めるようにしていますね。
―― 井上さんの意図とは異なる詞がつくことはありませんか?
井上:僕の想いはメロディにつまっていて、作詞家さんはそれを察知して詞を書きますから、どんな詞が載ってもいいのです。僕がいいメロディを作れば、プロデューサーさんや作詞家さんはそのよさを生かした楽曲に仕上げてくれますから。
ライブを意識したバンドサウンドにアレンジした「それぞれの夢2025」 ―― 『Y-POP』では10曲中6曲で作詞も手がけていますが(うち1曲は共作)、リード曲ともいえる「それぞれの夢2025」のMVでは歌唱、ドラム、ベース、ギターの1人4役を担当されています。
井上:駆け出しの頃から宅録をしていましたが、最近は生の楽器もなるべく自分で演奏するようにしています。そういうときは “All Instruments:井上ヨシマサ” というクレジットにして、ゲストミュージシャンのみ個別に記載しているんです。「それぞれの夢」はCM用に書いた曲ですけど、おかげさまで多くの方に知っていただけたので、今回は新たな大サビを加えたうえで、ライブを意識したバンドサウンドにアレンジしています。
VIDEO ―― 作詞、作曲、編曲から演奏まで!それもY-POPの到達点と言えそうですね。
井上:12月14日に池袋のClub Mixaでアルバムの発売記念ライブを開催したのですが、ミュージックビデオ(MV)はその会場で撮影させていただきました。レコーディングのときは濵﨑大地くんにドラムをお願いしたんですけど、彼はライブのリハーサルにも立ち会ってくれたので、フィルの入れ方などを教えてもらって。ちなみにMVで演奏しているベースは寺尾聰さんから譲っていただいたものです(笑)
―― そうなんですね!『Y-POP』のクレジットを見ると、1曲目の「Lonely Umbrella」は井上さんがドラム、ベース、ギターを演奏しています。
井上:ドラムは初のセルフ録音で、叩き始めてから「もっと簡単な曲にすればよかった」と後悔しました(笑)。もともとデュエット用に書いた曲なので、ソロで歌うのもなかなか大変でしたね。
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中山美穂が歌うはずだった「In Your Sky」 ―― 3曲目の「In Your Sky」はかつて「Rosa」(1991年)などを提供された中山美穂さんのためにお作りになった曲。私は彼女の訃報が届いたあと、Xにおける井上さんの投稿で、この曲の存在を知りました。
井上:昨年『再会 〜Hello Again〜』で「Rosa」をデュエットしたとき、それこそ久しぶりに再会したのですが、“私も来年40周年だから曲を書いてね” と頼まれまして。いくつかデモテープを送ったら「In Your Sky」を気に入ってくれたんです。ご本人が歌うことは叶わなくなりましたが、僕の音楽人生に素晴らしい影響を与えてくれた彼女への哀悼の意を込めて、今回のアルバムに収録させてもらいました。AKB48に提供する曲の仮歌をお願いしている吉岡忍さんがゲストボーカルとして参加してくださったことにも感謝しています。
VIDEO ―― ゲストボーカルといえばもう1人、2024年にAKB48を卒業した柏木由紀さんがEDM調の「Unlimited」を歌われています。
井上:ゆきりん(柏木の愛称)とも長く一緒に仕事をしてきましたから、こういう曲が彼女の声に合うのではないかと思ってお願いしました。以前から “ユニットとして活動できたらいいね” という話をしていたので、来年以降そういう展開になるかもしれません。
VIDEO ―― 楽しみにしています。8曲目の「BANZAI」は疾走感のあるメッセージソングですが、随所で挿入されるハーモニカは井上さんが吹いているんですね。
井上:この曲のためにクロマチックハーモニカを買いました(笑)。ハーモニカの音色を出せるソフトウェアもあるんですけど、生の音にこだわりたくて。実はほかの方に提供することを前提に作った曲なのですが、シンガーソングライターとして歌ってみたら意外にも楽しくて、それも新鮮な経験でした。
VIDEO ―― アルバムを締めくくる「僕の居場所」には今年AKB48を卒業した “ゆいりー” こと村山彩希さんがコーラス参加しています。
井上:AKB48劇場がリニューアルのため2024年9月に閉館した際、初めて劇場を訪れたときの不安や期待を思い出しながら、感謝の気持ちを込めて作った楽曲です。詞も僕が書いて、自分で歌って、すぐXに投稿したのですが、当時は作品として世に出すつもりはなく、自分の感情をみんなと共有したいという想いだけでした。かつては曲を書いてからレコードやCDとしてリリースされるまで、様々な工程があったので時間がかかりましたけど、今はSNSを活用すれば瞬時に想いを届けられる。いい時代になったと思います。今回のアルバムでは “シアターの女神” と呼ばれるほど、誰よりも劇場を愛したゆいりーが参加してくれたことも嬉しかったですね。
VIDEO ―― 『Y-POP』には「融合」という楽曲も収められていますが、ここまで伺ったお話からは40周年プロジェクトを通じて、“作家・井上ヨシマサ”と“シンガーソングライター・井上ヨシマサ” の垣根が取り払われて、両者が自然と融合していったような印象を受けます。
井上:僕はもともとアーティスト活動を志向しつつ、生活の糧として作家活動を開始した経緯があるので、“自分がやる音楽” と “生きていくための音楽” を分けて考えていたんですね。でも3部作を制作したことで、どちらも自分の音楽で、作ったときの気持ちが込められている点では同じだということに気づくことができました。
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コスミック・インベンションで1981年にデビュー ―― ここからは音楽家としての足跡を辿りながら、今の想いをお伺いします。ご著書の『神曲ができるまで』(双葉社)によると、1966年生まれの井上さんは6歳からクラシックピアノを習い始め、小学3年生のとき洋酒のCMに出演していたサミー・デイヴィス・ジュニアに衝撃を受けてジャズに傾倒。小学生がジャズを演奏するビッグバンドに参加し、全国吹奏楽コンクールで優勝されています。
井上:駒形裕和先生という指導者に恵まれたことが大きかったのですが、結果が出たことが嬉しくて、その頃から “音楽を一生の仕事にしたい” と考えるようになりました。
―― その後はビッグバンドでの活動が縁となって、1981年に中学生5人によるテクノバンド “コスミック・インベンション” でビクターからデビュー。そのときの担当ディレクターが40周年3部作の共同プロデューサーを務めている田村充義さん(スペクトラム、小泉今日子、広瀬香美、ポルノグラフィティなど数々の人気アーティストを担当)だったんですね。
井上:そうなんです。作曲はコスミックの頃から始めていましたが、バンドを脱退したあとはバイトをしながら曲づくりをする日々でした。目標は自分のアルバムを作ることだったので、田村さんのところへ通ってアドバイスをいただいていたのですが、生活費を稼ぎたいという不純な動機から(笑) “なにか音楽の仕事はありませんか?” と訊いたら、当時田村さんが担当されていた小泉今日子さんのアルバム曲を書かせてもらえることになって。
―― それが作家デビュー作「Someday」(1985年のアルバム『Flapper』収録)に繋がったわけですね。キョンキョンが “美夏夜” 名義で作詞をした楽曲で、『再会 ~Hello Again~』にはデュエットバージョンが収められています。
井上:最初にアイドルっぽい曲を提出したら、田村さんは “アーティストを目指しているのなら、自分で歌えるものを出さなければ意味がないよ” と。作家活動の入口で、そういうありがたい言葉をかけていただいたのですが、やがてほかのディレクターさんと仕事をするようになって、いろんな注文に応えるうちに、いつしか自分の音楽とは分けるようになっていきました。
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田原俊彦「KID」のヒットで作曲のオファーが殺到 ―― 井上さんは1987年、アルバム『JAZZ』でシンガーソングライターとしてもデビューを果たしますが、同作に収められた「赤と金のツイスト」の改題・改詞バージョンが田原俊彦さんのシングル「KID」(1987年)として発売され、トップ10ヒットになったことで、作曲のオファーが殺到するようになりました。
井上:当時はアイドルの曲を書かせてもらうことが多くて、“アイドルが好きなんですか?” とよく訊かれました。決してそういうわけではなくて、自分でも不思議だったんですけど、よく考えたら自分で曲を書けるアーティストは作家にわざわざ頼みませんよね(笑)
―― “アイドルの楽曲は1オクターブ前後” とか、何かと制約が多いという話を聞きます。そのなかで印象に残るメロディを作るのは大変だったのではないでしょうか。
井上:音が飛び上がれないから、盛り上がりを作るのが難しい。僕はジャズをやっていたこともあって、サクソフォンのフラジオ(標準音域よりもさらに高い音を出す特殊な奏法)に惹かれたりするんですけど、アイドルものではそういうはみ出し方はなかなかできません。ほかにも “歌いやすいように8ビートにして” という要望もありましたね。我ながらよくやったと思います(笑)。
―― 井上さんが作家デビューした頃はアイドルの黄金期で、ほとんどのプロジェクトが1年に4枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしていました。新しい感性を持った作家が続々と登場したのもこの時期で、作曲家では都志見隆、中崎英也、岸正之、作詞家では川村真澄、麻生圭子、戸沢暢美、小倉めぐみといった若い方たちが活躍する一方、シンガーソングライターでは玉置浩二や、アーティストデビュー前の久保田利伸も提供曲をヒットさせています。
井上:とにかく忙しかったですね。当時所属していた作家事務所のマネージャーさんが “できた?” って、家まで催促に来るから、“今からテープに録るので、あと30分待ってください” みたいな(笑)。振り返る時間はまったくなかったです。
「銀座音楽祭」では作曲家賞を受賞 ―― 1988年には「スターダスト・ドリーム」(荻野目洋子)と「Diamondハリケーン」(光GENJI)がチャートの1位を獲得。若きヒットメーカーとして脚光を浴び、『銀座音楽祭』では作曲家賞を受賞されました。
井上:作家を始めた頃は “1位” と “賞” を獲ったら、アーティスト活動に専念しようと考えていました。インタビューを受けたときにみんなが知っている曲名を挙げたいという想いがあったからです。それが一気に実現して、作家としての活動をやめる理由ができたんですけど、その後も「自分の音楽をやらなければ」と思いつつ、1日3曲のデモテープを作り続けていました。
―― 結果を出していましたから、周りもそう簡単にはやめさせてくれませんよね。
井上:「Diamondハリケーン」はCHAGE and ASKAさんの提供曲が3作続けてヒットしたあとの採用でしたから驚きました。ローラースケートで歌う彼らの姿をイメージして書いたのですが、佐藤準さんの編曲が素晴らしかった。あのメロディをよく16ビートにしたなと思いますし、ミュージシャンの演奏もざらついた感じでカッコいいんです。
―― 井上さんが “小筒美京平” (こづつみきょうへい)と呼ばれるようになったのはこの頃でしょうか。
井上:畏れ多いことですが、ポニーキャニオンの若手ディレクターの間で、そう言われていたそうです(笑)。本家の筒美先生とは2003年、安倍麻美さんのプロジェクトで初めてご一緒させていただきました。先生が作曲した「Our Song」と「きみをつれていく」の編曲を担当したのですが、そのとき研究して分かったのは筒美京平という作曲家の本質はパンクだということ。いろんな制約のなかで自分のやりたいことも織り込んでいて、一見歌いやすいようで高度なこともおやりになっているんです。スタジオでは歌い手に合わせてメロディを柔軟に変えていくところも拝見して勉強になりました。
―― 歌手がメロディを間違えて歌ったときに “その方が歌いやすいなら、それで構いません” とおっしゃったという話を複数の方から伺ったことがあります。
井上:AKB48のボーカルディレクションをやるようになってからは、僕もメロディを変えるようになりました。人数が多くて、1回変えると全員分を録り直さないといけなくなるので、頻繁にはできませんが・・・ 。
書き続ける中からいいものが生まれる ―― 井上さんはアイドルポップスでヒットを重ねる一方、アニメソングや特撮ソングも手がけています。
井上:はじめは「不思議なサリー」(1989年 / 朝川ひろこ)や「高速戦隊ターボレンジャー」(1989年 / 佐藤健太)だったと思います。ひたすら書きまくっていた頃で、近田春夫さんから “あまり数を書くなよ” と言われたことがありますが、それは “職業作家にはなるなよ” という意味だったのかもしれません。逆に秋元康さんは多作だったピカソを引き合いに出して “とにかくたくさん書け” と。
―― 秋元さん自身も多作ですよね。
井上:今の僕は作曲・編曲だけでなく、ミックスやマスタリングまで自分でやるので、そんなに多くは作れません。秋元さんは “書き続ける中からいいものが生まれる” という考え方で、そもそも構えが違うんですよね。
*後編では、これまで関わってきたプロジェクトへの想いや現在の心境、今後の展望について伺います。
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2025.12.16