MELONをCM曲に起用した、資生堂初のティーン向けコスメ
プチプラコスメがほぼなかった1980年代。“あの資生堂がティーン向けの化粧品を出すんだ!”とワクワクしたのが、パーキージーンの登場だ(当時はコスメとは呼んでいなかった)。パーキージーンは、1982年から1990年代半ばまで展開されていた、10代〜20代前半向けのメイクアップブランド。CMからして、それまでの化粧品とはどこか違っていて、ポップでトンガっていた。
おしゃれなスーツ姿の男性であふれるモノクロのパーティー映像に現れる、色つき映像の女の子。バックに流れる曲がとにかくカッコいい。パーキージーンの最初のCM曲を作ったのは、MELON。ニューウェイブバンドのプラスチックスを解散した中西俊夫と佐藤チカが結成したバンドだ。
曲のタイトルは「P.J.」。この曲がMELONのファーストシングルだったことや、レコーディングには高橋幸宏、土屋昌巳、ヤン富田、パーシー・ジョーンズ、バーニー・ウォーレルなど、超がつく豪華ミュージシャンが参加していたことをのちに知った。ブランド初のCM曲をMELONに依頼したことからも、当時の資生堂がいかに最先端でトレンドを牽引しようとしていたかが伝わってくる。
10代の心をつかんだミニサイズのピコとロンドンカラー
パーキージーンといえば、1984年に発売されたミニサイズのピコを思い出す人も多いのでは。パーキージーン ピコ、これはもう当時は画期的だった。
いろんな色に挑戦してみたい。でも、化粧品は高い。パーキージーンだって、別売りのパレットを買って、そこに口紅やアイシャドウを詰めると、それなりの価格になる。散々迷って選んだマニキュアも、使い切らないうちに固まってしまう。そこに現れたのが、1,000円以下で買えるピコだった。小指の先ほどの小さな口紅に、2〜3回で使い切れそうなマニキュア。 “そうそう、このくらい小さくていいの。だって私たち、使い切らないうちに飽きちゃうし、いろんな色を使ってみたいし” と、当時の10代女子は思ったはずだ。
CMに起用されたのは、映画『フラッシュダンス』(1983年)の大ヒットで一躍スターとなったジェニファー・ビールス。パーキージーン初代CMモデルで現役女子大生だった中澤真里から、米俳優のジェニファー・ビールスへ。ビールスもスターとはいえ、どこか隣のお姉さん的な親しみやすいルックスだったと思う。
さらに印象的だったのが、途中でラインアップに追加されたロンドンカラー。カルチャー・クラブやデュラン・デュランなど、当時はメイクをする英国バンドが大人気。彼らのような奇抜な色のメイクにちょっと挑戦してみたい…… というおしゃれ女子の心をくすぐったのは当然だろう。
パーキージーンからマジョリカ マジョルカへ、変わる10代向けコスメ
このあとパーキージーンは、エスノ、フィノ、PJラビスなどのシリーズを発売するが、1990年代半ばに店頭から姿を消す。そして、資生堂の若年層向けコスメとしては、マジョリカ マジョルカ(以下:マジョマジョ)が2003年に登場する。マジョマジョを初めて見たとき、ゴシックテイスト混じりのロマンティック&スウィートといった印象に、今はこういうのが10代に受けるのか…… と、ロンドンカラーに胸ときめかせた世代としては、しみじみしてしまった。
ドラッグストアにプチプラコスメがあふれる時代、資生堂も10代向けコスメではかなり苦戦しているようだ。女子高校生たちとのプロジェクトをもとに開発を進めるコスメブランドとして、2018年にスタートしたPOSME(ポスメ)もいつの間にか終了していた。1980年代の10代より、今どきの10代の心をつかむほうが難しいのか。プチプラコスメの乱立で、ライバルが多すぎるのか。今もときどき、とがっていた昔の資生堂がふと恋しくなる。
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2026.09.27