11月21日

80年代エモいアイドル再評価【高橋美枝】ポスト松田聖子の純度100%!僕にください美感性

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連載【80年代エモいアイドル再評価】vol.2〜 高橋美枝

84年組デビューアイドル高橋美枝


「もしもあの時こうだったら、今はこんな風になっていたのであろう」

いわゆる、タラレバと呼ばれる過去の事柄に関する回想であり、中学で習った英文法でいうところの “仮定法過去完了+仮定法過去” の文型に該当する。

さて、なぜゆえにショッパナから堅苦しい講義をおっぱじめたのかというと、この文型にピッタリと当てはまってしまう昭和アイドルが存在するからである。その名は高橋美枝…。CBS・ソニー+プロダクション尾木のコラボにより1983年11月21日にデビュー。年内デビューながらも当時の音楽賞レース基準にのっとり84年組に組分けされたアイドルである。

もしもあの時…

人の一生を司る神によって、整然と並べられているというどんぐりがあるそうな。無論、それらの並びは人それぞれで全く異なる羅列とのこと。が、それらどんぐりをいたずら好きな天使が遊び半分にイジくってしまったら… どんぐりころころどんぐりこ!? グラっとした挙句、それらの羅列が狂いかねないのである。その遊びの、奇しくも標的になってしまったとおぼしき高橋美枝(以下:美枝嬢)という昭和アイドルのプロフィールをサラっとご紹介することにする。

▶︎ 本名:高橋美枝
▶︎ 生年月日:昭和43年5月27日 ふたご座
▶︎ 出生地:神奈川県横浜市
▶︎ 家族構成:両親
▶︎ 身長:158センチ
▶︎ B W H:78センチ、58センチ、83センチ
▶︎ 趣味:ピンクの小物あつめ
▶︎ スポーツ:テニス
▶︎ 好きな色:白、ピンク、赤
▶︎ 尊敬する人:両親
▶︎ 好きなもの:チーズケーキ、ヨーグルト、エビフライ
▶︎ 目標:山口百恵
▶︎ 好きなアイドル:松田聖子
▶︎ 理想の男性:本木雅弘(シブがき隊)

中2で『スター誕生!』合格、美少女オーラを放ちまくった少女


ひとりっ子の美枝嬢は、幼いころから日舞やピアノを嗜むたおやかな女の子。芸能界への憧れについては、その時代の多くの少女たちが抱いたものと同様だったとのことだが、どちらかといえば松坂慶子のような女優になることを夢見ていたという。

その想いがいつしか歌手へと変わっていった理由は「女優サンは脱がないといけないことが多そうだから…」という、いかにも清らかな少女らしいコメントを残している。そして中学2年になった美枝嬢がふと思ったことが “自分の顔がテレビに映ったらどんな風に見えるのかな?” という疑問。このような思いや度胸試しという気持ちもコンコンと湧いてきたことから、あれこれ考える間もなく応募してしまったのが日本テレビ『スター誕生!』だったという。

この番組は歌手を夢見る者たちにとっての登竜門的存在で、応募者によっては何十通ものハガキを出さないと予選会への招待状すら来ないという例があったほどの人気だった。が、美枝嬢が投函したハガキはたったの1枚ポッキリ… ここから美枝嬢の人生歯車はグルリと回り始めることになったのである。

美枝嬢が出場した回は第573回、決戦大会としては第45回目を数え、テレビ放映は1982年12月26日のことだった。大会当日はお気に入りの曲「けんかをやめて」(河合奈保子)を切々と歌いあげ、中2とは思えない落ち着き、ハーフに見まごう美しいお顔、そしてローティーンという年齢の割に低音がよく響く歌声を披露。このキラリと光る逸材をスカウトという形で射止めたのが松田聖子で大成功していたCBS・ソニー、そして浜田朱里も在籍のプロダクション尾木だったのである。

CBS・ソニーがあたためた金の卵


その後、約1年に渡りレッスンをしていくことになった美枝嬢。その間、1983年夏(おそらく6月あたりか?)にデビューさせようという企画が持ち上がったが見送られた。いわゆる “不作" が自虐ネタになっている83年組だが、もしもその年度にデビューしていたとしたら… 美枝嬢と同学年となる岩井小百合を新人賞レースで脅かす存在になっていたのだろうか!?

そして、しばしの時を経た1983年11月21日「ひとりぼっちは嫌い / ピンクの鞄(トランク)」という両A面の楽曲を引っ提げデビューを果たしたのだった。テレビ初出演はABC朝日放送『シャボン玉プレゼント』(トリビアネタ:この時のマイク持ち手は左、その後は右へ変更)で、その収録とほぼ同時期となる11月6日には早稲田大学歌謡曲研究会主催の「早稲田歌謡祭」に参加。83年組の小林千絵、徳丸純子、松尾久美子、村越裕子等に交じり翌年の新人賞レースにおける期待のホープとして登壇した。もしも美枝嬢が83年夏にデビューしていたら、同年の新人賞でしのぎを削ったであろうメンツがズラリの状況だったワケである。


デビューに際しては――

▶︎ 関東&中部地区の各レコード店とMie Friendly Shop提携を結ぶ

▶︎ 先着1万名様にデビューブロマイド、美枝絵はがきプロフィールをプレゼント

などのキャンペーンを展開。

そして、目を見張るべきなのが――

▶︎ 江崎グリコ『ファンシーキャル』CM出演

以前からあった製品をリニューアル、それに合わせて美枝嬢がCMギャルとして出演するという、新人… しかもデビュー前のアイドルにとっては最高のお膳立てである。キュートなイラストをあしらった3 × 6=18(サブロクジュウハチ)のチョコビスを、鞄(トランク)に見立てた箱に詰めこんだ可愛い見た目のチョコレート菓子であり、グリコも相当に本腰を入れたはずである。

資料提供:チェリー


グリコ製品のコマーシャル=数々の人気アイドルが出演という、いわゆる “ザ・王道の方程式” にあてはめて考えれば、これはかなりの幸運だったといえる。コマーシャルのオンエアは9月の北海道を皮切りに日本列島をズイっと南下、10月中旬には関東を含む全域でのヘビロテが決定。そして、CMソングとして流されるのが松本隆作詞、YMOの細野晴臣作曲という “ザ・聖子ブランド” の作家陣を揃えた楽曲「ピンクの鞄(トランク)」だ。

要はリニューアルした製品のコンセプトに添って制作した楽曲であり、グリコ社も交えての美枝売り出し大作戦だったことが分かるのである。そもそもはこの曲がデビュー曲であると紹介していた雑誌記事も残り、色々な紆余曲折を経て両A面になったことが窺えるのである。

“僕にください…美感性(みかんせい)” という秀逸なキャッチフレーズ


キャッチフレーズは “僕にください…美感性(みかんせい)” 。美感性と書いて(みかんせい)と読ませる、中3という若さでデビューした美枝嬢にはおあつらえ向きのキャッチフレーズだ。まだまだこれから(=未完成)と美しい感性(=美感性)を掛け合わせたものと思われるが、期待の大きかったアイドルとして純度の高さも十二分に感じさせる秀逸なキャッチフレーズだ。

これの他に “美枝、あなたの事件になりたいな” というセカンドキャッチフレーズが存在したものの、とある時期を境に全く目にしなくなった。その、とある時期については後述することにする。

松田聖子を発掘した若松宗雄プロデュース!


美枝嬢のプロデュースを担当したのは若松宗雄。松田聖子を発掘、その類まれなセンスをフル活用して聖子プロジェクトを大成功に導き80年代のCBS・ソニーに潤いをもたらした人物である。美枝プロジェクトに関してもこの手腕が引き継がれた模様であり、作家陣として迎え入れたのは松本隆、細野晴臣、オフコースの松尾一彦、南佳孝などのそうそうたる顔ぶれ。

「ピンクの鞄(トランク)」同様に松本 × 細野のタッグ作品としてデビュー曲候補だった「パステルの雨」はオクラ入りになったものの、後に水谷麻里がアルバム曲として世に残している。確証は取れていないが、当初は大瀧詠一にもオファーしていたという話もよく耳にするため、美枝嬢はCBS・ソニーの金の卵としてかなり期待されていたことがムキ出しになるのである。

ソニーの若松陣営が選り抜いた豪華な作家陣と高品質の楽曲群、15歳にしては大人びた歌声、耳あたりの良いマイルドな声質、レイヤードカットが非常によく似合う可愛らしい顔立ち等、いわゆるポスト聖子としての純度は100%だったはずである。

資料提供:チェリー


セカンドキャッチフレーズは “美枝、あなたの事件になりたいな”


北海道からスタートしたグリコのコマーシャルは順調にオンエアされ始め、関東地方でも予定どおり10月に流れ始めた。筆者はそのコマーシャルを見て近隣店舗で『ファンシーキャル』を購入して食したという、ある意味の生き証人であるからして、この商品が市場に出回ったことは紛れもない事実なのである。が、関東でオンエアされるや否や… 僅か1週間くらいだったろうか… コマーシャルは見かけなくなり商品も店頭から忽然と姿を消したのだ。

パッケージデザインを手がけたデザイナーと権利関係で揉めた、箱になんらかの不具合が生じたため回収した云々といった憶測は広まったものの、その理由は未だにハッキリしない。とにかく『ファンシーキャル』は幻のお菓子と化し、美枝嬢が愛嬌をタップリ振りまいたコマーシャルはその後も日の目をみることなく役目を終えたのである。

先述のセカンドキャッチフレーズ “美枝、あなたの事件になりたいな” が封印されたのもこの辺りと記憶する。コレそのものと見まごう状況になったことにより、陣営も腫れ物として媒体から抹消していったのではないだろうか。

この、まさかのケ躓きにより

▶︎ デビュー曲「ひとりぼっちは嫌い」は最高120位止まりの撃沈

▶︎ 両A面「ピンクの鞄(トランク)」のテレビ歌唱は1回ポッキリ

▶︎ 出演コマーシャルとの相乗効果は一切ナシのトホホ

▶︎ 陣営もさすがに慌てたか? セカンドシングル発売まで5か月ものブランク

▶︎ 84年秋発売と宣伝されていたアルバムは完全オクラ入り

悪影響のオンパレードである。この間、NHK『レッツゴーヤング』のサンデーズに抜擢されたというニュースはあったが、デビュー時の完璧なプロジェクトを凌ぐパワーはなかったのである。

未発売のままオクラ入りになったアルバムとは、一体どんな内容だったのだろうか。仮吹き込みでもいい! 録音は残っていないのだろうか? 筆者の予想としては、デビュー曲の延長線上で松本隆がペンを振るい、それに応えるかのように細野晴臣、南佳孝、松尾一彦等が高品質のメロディを紡いだのではなかろうかと考える。ひょっとしたらこのアルバムで大瀧詠一の参加もあったのかもしれないという妄想を巡らせる度に「聴きてぇ-----」という発作がおっぱじまってしまうのである。

山瀬まみが後年に世に送り出した楽曲「Heartbreak Cafe」「Strange Pink」(ともに松本隆作詞、南佳孝作曲)は美枝嬢のシングルやアルバム用のストック作品だったのでは?という邪推をしてしまうほど残念極まりないケ躓きの顛末。このやるせない病はあれから40年もの月日が経過しようとも癒えることはなく… 美枝嬢の話になる度に心が疼きだし、元気に振る舞おうとする筆者を「♪無理がみえみえ~」(「ひとりぼっちは嫌い」の歌詞より引用)そのものにさせるのだ。

「もしもあの時こうだったら、今はこんな風になっていたのであろう」

この文型が、長きに渡り美枝病を患い続ける筆者にも合致することに今さらながら気がついた。美枝嬢が想定どおり売れっ子アイドルになっていたら、このような奇病を患うことはなかったのでアリマシテ。アイドル廃業後に風堂美紀の名で作詞家に転身、小川範子、薬師丸ひろ子や楠瀬誠志郎に作品提供したという仰天ニュースはあったけれども…。

「♪心がシュンとした日には~」うんうん… 美枝嬢の色々を想い涙がピっとにじんだ日、ハンカチをギュっと絞るほどもう思いきり泣きたいの~と凹みまくた日のことは、今もずっとシコリとして残るのであ~る。

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2024.05.05
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カタリベ
1968年生まれ
チェリー|昭和TVワンダーランド
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80年代エモいアイドル再評価【渡辺桂子】キャッチフレーズは “お友達にしてくれませんか”
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