松田聖子を大人の歌手にステップアップさせた「ガラスの林檎」
松田聖子の最高傑作って何だろう?
もちろん1曲に絞れないのはわかっている。だがこの話になると、ディープな聖子ファンたちがこぞって “これは外せない” と口をそろえる曲が、1983年8月にリリースされた「ガラスの林檎」だ。
イントロからして荘重で、まるで教会音楽でも聴いているような気分になるこの曲。それまでの松田聖子はミディアムテンポの曲(「白いパラソル」など)を歌ったことはあったが、聴かせるバラードをシングルA面で歌ったのは初めてだった。このとき松田聖子、21歳。彼女の歌手としてのグレードを上げ、大人の歌手にステップアップさせた曲でもある。暮れの賞レースも念頭に置いて “荘厳な曲をひとつ” という制作サイドからの注文を受け、この名曲を書き上げたのが細野晴臣である。
蒼ざめた月が東からのぼるわ
丘の斜面にはコスモスが揺れてる
冒頭のこの部分、蒼く輝く月が静かに昇っていく画が浮かんでくるし、小高い丘の斜面で風にたなびくコスモスの画も目に浮かぶ。歌詞が詩的なだけに、曲が荘厳すぎるとミスマッチになるところだが、そこは抑制が効いていて、自然な流れで頭の中に月が昇り、花が風に揺れる音になっている。まるで優れた劇伴のようだ。
そして何よりこの曲、メロディが美しい。情景描写だけのフレーズを立体化して画にする松田聖子の歌唱力も素晴らしいのだが、その歌声がより “映(ば)える” 旋律になっているのがニクい… と、こう書くと細野は時間をかけて計算ずくで書いたように思うかもしれないが、全然そうじゃないから面白い。
日本語の響きを活かし、歌詞を引き立てるメロディ
作詞した松本隆によると “今回は曲を先に作りたい” と細野から言い出したそうだ。しかしプレッシャーもあったのか煮詰まってしまい、締め切りを過ぎても曲が全然上がってこなかった。仕方なく先に詞を書いて渡したら、すぐに曲ができ上がったという(笑)。ちなみに、はっぴいえんどの名曲中の名曲「風をあつめて」(1971年 / 作詞:松本隆、作曲:細野晴臣)も、レコーディング当日になっても曲が完成せず、細野がスタジオの隅っこでギリギリまでかかって書いたという逸話がある。さすがすぎる。

松本は「ガラスの林檎」について “聖子曲の最高傑作だと思う” と語っている。「風をあつめて」もそうだが、日本語の響きを活かし、歌詞を引き立てるメロディが書ける細野は、松本にとってまさに理想の作曲家だった。はっぴいえんど解散後はYMO結成もあって直接仕事をする機会がなくなっていた細野を、歌謡曲のフィールドに引き入れ、もう一度タッグを組みたい… そんな思いが松本にはあったのだ。
1981年8月、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」で松本の願いは実現。コンビを復活させた2人は意欲的な “テクノ歌謡” を量産していった。YMO「君に、胸キュン。」(1983年)もその産物だが、松本が細野と本当に作りたかったのは、80年代版「風をあつめて」だったに違いない。“それを聖子で” と松本が考えたのは、至極当然のことだ。
松田聖子の “カワイイ要素” を全部詰め込んだ「天国のキッス」
細野が最初に松田聖子と関わったのは、1982年11月発売、通算6枚目のアルバム『Candy』だった。タイトル通り、松田聖子のキャンディボイスを前面に打ち出した作品で、細野は「ブルージュの鐘」と「黄色いカーディガン」の2曲を提供している。ブルージュはベルギーの古都で、ヨーロッパの香りがそこはかとなく漂ってくるところはさすが細野だ。松田聖子の甘くキュートな声がより引き立つメロディになっているのは言うまでもない。
これが “序走” で、明けて1983年4月、細野はついに松田聖子のシングルA面を託される。「天国のキッス」だ。これも最初に聴いたときは驚いた。最初から最後まで徹頭徹尾ポップで押し通し、松田聖子の “カワイイ要素” を全部詰め込んだ曲。最後のアウトロを “♪ド〜レミファソラシド〜” で締めるって、書いたのが細野じゃなかったら “遊びすぎだろ!” と叱られそうな曲だ。
実はこの曲、もともとCM用に作ったコードだけのインスト曲が細野のストックにあって、それにメロディをつけていったら面白い曲になったので “そうだ、これを松田聖子に歌わせよう!” となったらしい。ちなみにベース、キーボード、シンセ、すべて弾いているのは細野自身。アレンジも細野だ。“これで連続1位記録が止まったらどうしよう?” というプレッシャーを感じたそうだが、松田聖子は思いっきり “カワイさ全開” でこの曲を歌い、しっかり1位をとった。歌謡曲にとって幸せな時代だったとつくづく思う。

松田聖子を大きく飛躍させ、一段上のステージに上げた細野晴臣作品
アルバム『Candy』がホップ、シングル「天国のキッス」がステップとすれば、最後のジャンプが「ガラスの林檎」。細野がギリギリまでかかって作り上げた曲を聴いた松本は “はっぴいえんどみたいだな” と思ったそうだ。そこで急きょ元メンバーの鈴木茂を呼んで、ギターを弾いてもらったとのこと。図らずもはっぴいえんどの ¾ が再結集した「ガラスの林檎」を、松本が “聖子プロジェクトの最高傑作” と公言するのは、はっぴいえんどで目指した “言葉と音の融合” が、極めて高いレベルで実現しているからに他ならない。
歌手・松田聖子を大きく飛躍させ、一段上のステージに上げた細野作品がまとめて聴ける新譜『Seiko harmony -Haruomi Hosono Works-』。「ピンクのモーツァルト」(1984年8月)やカップリングの「硝子のプリズム」、中井貴一と共演した映画主題歌「プルメリアの花」(1983年7月)が聴けるのも嬉しい。歌謡曲を手がけた時の、細野のメロディメーカーぶりをぜひ堪能してほしいと思う。
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2025.10.27