日本中が激しく揺れ動いた1995年
阪神・淡路大震災が起きた1995年、筆者は大学の3回生だった。あの朝、徹夜で提出するレポートを書き上げ、ようやく仮眠を取った直後、経験したことのない激しい揺れに襲われた。テレビのニュースで映し出される被災地の光景は、同じ関西に住む身として、見慣れた風景が破壊されていて、まるでフィクションのような現実味のない感覚だったことを覚えている。
幸いにも、筆者の周りで亡くなった人や大きな被害を受けた人はいなかった。そのためか、震災を “自分ごと" として受け止めきれず、なんとなく一歩引いた、冷めた感じでいたのも事実である。震災ボランティアにも無関心ではなかったが、「自分がわざわざ行かなくても…」と、結局何も行動には起こさなかった。心の奥底には、そんな自分への不甲斐なさや後ろめたさが、ずっと燻っていた。
1995年は、震災だけでなく地下鉄サリン事件まで発生し、日本中が激しく揺れ動いた年だった。個人的にも大学4回生となり、就職活動も本格化、夜勤のバイトもこなしながら多忙な日々を過ごしていた。震災の記憶は、そうした日々の喧騒の中に埋もれていった。ーーそんな1995年の10月1日、ソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」がリリースされている。
被災者の心の移り変わりが繊細に描かれている
この曲が生まれた背景には、当時の被災地の “声” そのものがあった。避難所でライブを繰り返していたソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が、被災者の生の声 ーー震災の夜が満月だったことから “満月の夜が怖い” と思う心情ーー が曲の核になったという。電気を使えない避難所で演奏に使われていた三線やアコーディオン、打楽器のチンドンといったアコースティックで奏でられたメロディーはとても優しく、被災者の不安や無力感、だが同時に、前を向いて進もうとする確かな希望を映し出した歌詞が乗せられていた。
この曲には何度も “笑う” という言葉が登場する。それぞれの笑いには、被災者の心の移り変わりが繊細に描かれているように感じる。
風が吹く 港の方から
焼けあとを包むようにおどす風
悲しくてすべてを笑う
乾く冬のタ
悲しみと無力感のあまり、すべてを笑うしかないという、極限の精神状態。それは、地震と火災ですべてを失った当事者だからこそわかる、無理して笑顔をつくらなければ壊れてしまいそうな、心の叫びなのかもしれない。
飼い主を亡くした柴が
同胞とじゃれながら車道を往く
解き放たれすべてを笑う
乾く冬の夕
飼い主を亡くしたであろう柴犬が、仲間とじゃれあっている。その光景を見た時、少しずつ日常が戻りつつあることを実感し、悲しみの底から解き放たれていく。これは、前を向いて生きざるを得ないという思いから生まれた、再生への “笑い” である。
ヤサホーヤ うたがきこえる
眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚火を囲む
吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え
満月の夕
そして地震からおよそ1ヶ月、あの日の夜と同じ満月の夜。おそらく避難所で行われた小さな宴で、人々は焚火を囲み、朝まで歌い踊り続けたのだろう。そこで生命のエネルギーを感じ、震災を生き残った者として、これからを力強く生きていこうと、自らに “笑え” と鼓舞する強い決意をしたに違いない。
あいみょんなど数多くのアーティストによってカバーされる理由
日々の喧騒の中で震災の記憶が薄れつつあった筆者にとって、この曲はとてつもない衝撃を与えた。この歌をきっかけに、震災に対する自分なりの “向き合い方” を見出した人は少なくないだろう。
「満月の夕」は、共作者である山口洋のHEATWAVEをはじめ、ガガガSPやBRAHMAN、そして最近ではあいみょんなど、数多くのアーティストによってカバーされている。歌詞やアレンジなど、さまざまな形で演奏されており、ひとつとして同じバージョンは存在しない。それはきっと、世代や立場などそれぞれのアーティストによって、この曲への “向き合い方” が違うからではないだろうか。
阪神・淡路大震災から30年が経った今も、日本は東日本大震災をはじめ、幾度も大きな災害に襲われている。そのたびに被災地ではこの「満月の夕」が歌われ、そこにいる人々に鎮魂と、再び前を向くための勇気を与え続けている。この曲は、もはや一つの災害の歌に留まらず、日本中の、いや、世界のあらゆる苦境にある人々に寄り添い、希望を灯し続ける普遍的なアンセムになっている。
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2025.09.01