90年代デビューアーティスト ヒット曲列伝vol.4
■ シャ乱Q「シングルベッド」
作詞:つんく
作曲:はたけ
編曲:鳥山雄司・シャ乱Q
発売:1994年10月21日
売上枚数:120.2万枚
1990年〜1999年の10年間にデビューし、ヒットを生み出したアーティストの楽曲を当時の時代背景や、ムーブメントとなった事象を深堀しながら紹介していく連載の第4弾。今回は、シャ乱Qの「シングルベッド」を紹介します。
シャ乱Qを熱くさせたミスチル「CROSS ROAD」
シャ乱Qは、1992年、NHKのアマチュアバンドコンテスト番組『BSヤングバトル』でグランプリを受賞し、シングル「18ヵ月」でメジャーデビューします。しかし、デビュー曲はシングルTOP100圏外。92年当時の音楽シーンは、バンドブームが落ち着いてしまった時期だったため、最初の1年半は、なかなかヒットソングを出せませんでした。
そんな中、同期のMr.Childrenが1993年に小林武史プロデュースでリリースした「CROSS ROAD」でミリオンヒットを記録。このヒットが、シャ乱Qを熱くさせます。
バンド系だって行ける! 俺たちも続くんだ!
―― と、94年1月に「上・京・物・語」、続く7月に「恋をするだけ無駄なんて」をリリースし、その2曲は、オリコンチャートの右ページ、TOP50以内にランクイン。
やっとブレイクの兆しが見え始めた矢先に、次のシングルとして、1994年10月21日にリリースしたのが「シングルベッド」です。アニメ『D・N・A²(ディー・エヌ・エー・ツー)〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』のエンディングテーマというタイアップもついたこの曲で勝負をかけたのですが、発売後のチャートアクションはTOP20にすらランクインしない結果にーー。
バラードで勝負するのは早かったか
ーー そんな空気すら漂いはじめた時、あることがきっかけでチャートを上昇していくことになるのです。
有線放送から人気に火が付いた「シングルベッド」
「シングルベッド」は、リリースから5か月後に、シングルTOP10入りという異例のロングヒットを記録します。その要因は、有線放送。令和の時代になって “有線放送からヒット” という言葉は、ほとんど聞かなくなってしまいましたが、90年代は有線放送リクエストから火が付き、ヒットにつながった曲が非常に多かったです。
特に強かったのは、高山厳や長山洋子といった演歌勢。昭和時代からの伝統を受け継ぐ、ド真ん中の “演歌” ではなく、ポップスよりの “演歌・歌謡曲” という言い方で90年代に括られていた歌手の楽曲は、有線放送ランキングで常に上位をキープしていました。そんな ”演歌・歌謡曲” 勢のラインナップが並ぶランキングで奮闘していたのが、シャ乱Qでした。
ウソかホントか、シャ乱Qのメンバーはデビュー当時、雑誌の取材やテレビ出演のトークなどで、自分たちの曲を自ら電話してリクエストしていると、自虐的なネタにしていたのですが、勝負をかけた「シングルベッド」は、まさにその有線放送から火が付いたのでした。
当初は壮大なギターインスト曲だった
人気に火が付いた「シングルベッド」ですが、楽曲が誕生したきっかけは、あまり知られていません。シャ乱Qのギタリストで作曲を手掛けた、はたけは、自身のYouTubeでこの曲の誕生に関して、こう話しています。
「サッカーがプロスポーツになるって話があって、そのテーマソングとなるギターインスト曲の “コンペティション”(複数の候補から、ひとつを選ぶ方式)の話が僕のところに来た。「シングルベッド」はそのコンペに参加するために作った曲で、最初はギターインスト曲だったんです。残念ながらそのコンペで私の曲が選ばれることはなく、皆さんご存じの、TUBE春畑道哉さんの「J'S THEME(Jのテーマ)」が選ばれ、Jリーグのテーマソングになりました」
なんと「シングルベッド」は当初、ギターインストで制作された曲だったのです。ギターインストだったことを知ってから聴くと、サビ前のタメが壮大で、そこから一気に盛り上がるアレンジや、2番サビのあとに入ってくる、泣きのフレーズ響くギターソロなど “なるほど” と思う、曲構成になっていることが発見できます。
1993年にJリーグが開幕し、そのテーマ曲として採用されなかったからこそ、「シングルベッド」が生まれたという事実は、「ヒットソングとは、どんな形になっても世に出ることが必然となっているのでは!?」と、素敵な運命を感じざるを得えません
勝負曲の歌い出しは、「流行りの唄も歌えなくて」
有線放送で火が付いた後、カラオケ人気曲としても上位をキープし続け、結果120万枚を超えるミリオンヒットを記録した「シングルベッド」が、長く愛され続けるスタンダードナンバーとなった最大の功績は、作詞を手掛けた、ボーカルのつんくが、昭和の歌謡曲と同じく恋愛の哀愁と情緒をしっかりと感じられる歌詞を書いたことです。
プロデューサーがオールインワンで制作した曲がヒットを連発することが主流になっていた1994年に、あえて昭和の匂いがする曲で勝負したことが、街中に流れる有線放送で何気なく聴いても心に残り、当時、ヒットソングの登竜門となっていたカラオケヒットでも “幅広い” 世代が歌える最新曲、として目立つことができたのです。
はじめは、ギターインストとして制作した曲にメロディを付け、ライバルのバンドが売れたことをポジティブに捉え、その波に乗って勝負した曲の歌い出しはーー、
流行りの唄も歌えなくて
ーー こんなボクサーが繰り出す伝家の宝刀 “必殺カウンター” みたいなフレーズが書けるようになるには、売れるために血の滲むような努力をし、ヒット曲の研究を重ねた続けた経験を積むしかないのです。でもそれをデビュー2年目でやっちゃった、できちゃったのがシャ乱Qであり、名バラード「シングルベッド」なのです。
シャ乱Qの、その後の快進撃、そしてモーニング娘。の誕生からブレイクまでの出発点がこの曲からと考えると、とってもエモーショナルな気持ちになるのは私だけではないでしょう。
▶ シャ乱Qに関連するコラム一覧はこちら!
2023.03.14