1999年 3月20日

【Y2Kリバイバル】19「あの紙ヒコーキ くもり空わって」今も古びないまっすぐな魅力

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1999.3.20
19のシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」発売日
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【Y2Kリバイバル】あの紙ヒコーキ くもり空わって / 19


結成当初のメンバーは3人。「あの青をこえて」でデビューした19


1999年9月9日、日付に9が並ぶこの日、私は東京・青山のビクタースタジオにいた。『19のallnightnippon SUPER!』の生放送に立ち会うためだ。私はこの特別番組の作家だった。

この年の春、ニッポン放送は深夜の時間帯をLF+Rと銘打ってリニューアル。『オールナイトニッポン』は3部制となり、1部は深夜1時〜3時から夜10時〜0時にスライドして『allnightnippon SUPER!』となった。この日は木曜日で、本来なら木曜レギュラーのナインティナインが出演するはずが、9並びのナイナイの日ということで、毎年恒例のスペシャルライブを行うため休演。そこで代役として、当時ブレイクしたばかりの19(ジューク)が抜擢されたのだ。99(ナインティナイン)の番組を19が代演するというのもシャレが利いている。

19の2人はナイナイの『オールナイトニッポン』のファンで、“僕らがやっていいんすか?” と大感激していたのを覚えている。…… あ、今 19の2人と書いたが、正確にいうと19はこのとき3人組だった。1998年、岡平健治・岩瀬敬吾のデュオと、イラストレーターで詩人の326(ミツル)が下北沢で出逢い、意気投合して結成。ユニット名を19にしたのは、結成時に岡平と岩瀬が19歳だったからで、すでにブレイクしていた326に合わせる意味もあった。ジュークボックスにも引っかけた、絶妙なネーミングだと思う。

326は基本表には出ず、CDジャケットのイラストなどビジュアル面を担当。詩人の彼は作詞も担当していた。19は1998年11月、326作詞、岩瀬作曲の「あの青をこえて」でデビュー。翌1999年3月、326作詞、19作曲の「あの紙ヒコーキ くもり空わって」がTBS春のキャンペーンソングに採用され、オリコン最高6位まで上昇。同年7月発売のファーストアルバム『音楽』はミリオンセラーとなり、10月発売のサードシングル「すべてへ」(326作詞・岡平作曲)で初のオリコン1位を獲得。326はこの曲を最後にユニットを離れた。彼は作詞面で貢献したが、19は実質、岡平と岩瀬のユニットだったといっていいだろう。



新曲「すべてへ」のレコーディング中に生放送の収録


初めて「あの紙ヒコーキ くもり空わって」を聴いたとき、心が晴れ渡るようなすがすがしさと、少年時代の甘酸っぱさが一緒になったような、何ともいえない気持ちになった。 一度逢ってみたいなと思っていたら、なんと “19の特番、やらない? 生放送” という依頼が来て、まさに願ったり叶ったり。私は1999年の夏に岡平・岩瀬と初めて逢った。

「名前、ケンジとケイゴなんだ? フリッパーズ(・ギター)と同じだね」、「広島出身なの? もちろんカープファンだよね?」みたいな会話をした記憶がある。2人とも純朴で、本当に地方から出て来たばかりのおニイちゃん風。でも感性は鋭く、音楽に対するひたむきさが伝わってきて、私は一発でファンになった。この最初の特番では、“僕ら、即興ですぐに曲が書けるんです” と言うので、メールとFAXでリスナーからテーマを募集して、生放送中に何曲か作って歌ってもらった。その場ですぐに作ったにしてはどれもクオリティが高く驚いた記憶がある。反響も大きく、もう一度生でとなったわけだ。

ということで、1999年9月9日夜。私は19が所属するビクターの青山スタジオへと向かった。なぜスタジオからの生放送になったかというと、彼らは新曲「すべてへ」のレコーディング中だったのだ。この2度目の特番は、彼らのレギュラー抜擢も見据えていた。『オールナイトニッポン』の枠に彼らを入れようという動きがあり、2時間の枠で岡平と岩瀬がどこまで自分たちの魅力を伝えられるか試す意味もあったのだ。もちろん、ディレクターも私もレギュラー化を目指して取り組んだのはいうまでもない。

この日、岡平と岩瀬はビクタースタジオのすぐそばにある神宮球場からやって来た。たまたま当日、ヤクルト vs 広島戦がナイターで行われていて、レコーディングを抜け出してカープの応援に行っていたのだ(笑)。“二岡、カープに来るはずだったのに(逆指名で)巨人に行きよって!” とも。広島出身の二岡智宏はこの年のルーキーだった。

スタンダード曲になった「あの紙ヒコーキ くもり空わって」


放送はこの回もいい感じで進行。即興で曲を作る企画もキレッキレで、彼らのパーソナルな魅力が十分伝わる内容になった。2人も手応えがあったようで、放送が終わって別れた直後、よっぽど興奮が冷めやらなかったのだろう。岡平は私の携帯に直接 “またやりましょう!” とメールをくれたほどだ。実際反響も大きく、私はレギュラー化を確信していた。ところが…… 19は『オールナイトニッポン』のレギュラーにはならなかった。諸事情あったのでその理由は省くが、結果的に私が19と仕事をしたのは、ビクタースタジオからの生放送が最後になってしまった。

 夢を描いた テストの裏、
 紙ヒコーキ作って 明日に なげるよ。
 いつか… このくもり空わって
 虹を架けるはずだよ。
 ……みんなをつれてくよ。

早いもので、あの生放送から27年が経ったが、「あの紙ヒコーキ くもり空わって」は今でもよくラジオで耳にする曲だ。私が構成を担当するリクエスト番組にも、根強くリクエストメールが寄せられる。聴くたびに当時のことを思い出してしまうけれど、この曲にはくもり空を割る力がある。ちっとも古びていないし、エバーグリーンな魅力があるのは、歌っていた2人の心に邪心がなかったからだ。若い世代のアーティストにもカバーされ、スタンダード曲になっているのは嬉しい限りだ。

岡平はその後、実業家としても成功して話題になったけれど、音楽もまだ続けていて、岩瀬もソロアーティストとして地道にライブ活動を行っている。2人は、今も連絡を取り合っているそうで、いつか一緒にこの曲を歌う日が来るかもしれない。


2026.02.16
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カタリベ
1967年生まれ
チャッピー加藤
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