連載
【80年代エモいアイドル再評価】vol.5〜 川島恵
アイドル黄金時代における熾烈な生存競争
雨が降った後にタケノコが次々と生えてくる様子から、似たような物事が相次いで現れたり、急速に増えたりすることのたとえである。英語の世界にも “Spring up like mushrooms” という似た表現があるのだから実に興味深い。タケノコがキノコに置き換わっただけで同じ意味なのだから、洋の東西を問わず人間が感じたり思ったりすることは一緒なんだナと、つくづく感じてしまうのである。
アイドル文化が咲き誇った1970年代から1980年代末までの間、一体どれだけの数のアイドル歌手がデビューしていったのだろうか。その様相は、まさしく雨後のタケノコそのものだったのではなかろうか。中には質の良い状態で地面からニョッキリ顔を出したものの、さまざまな影響を受けたことで立派な竹に成長しきる前に朽ち果ててしまう… そんな自然沙汰も起きていたもの。
その数があまりに多かったことによる弊害だったとも言えるが、アイドル黄金時代における生存競争がどれだけ熾烈を極めていたのかについては、リアタイ世代の皆様ならご存じのことかと思う。本コラムにて語らせていただくアイドルも、まさしくそのタケノコに該当するパターンとなる。ということで、本シリーズの習わしに従ってプロフィールからザっと振り返ってみることにしよう。
第2回東芝EMIスカウトキャラバンにて優勝。ライバルは新井薫子
▶︎ 本名:川島 恵
▶︎ 生年月日:昭和40年8月5日 しし座
▶︎ 出身地:愛知県
▶︎ 身長:157センチ
▶︎ 特技:詩吟
▶︎ 好きな歌手:岩崎宏美
▶︎ 所属:ニュ-バンブー音楽事務所
小学生の頃、地元のローカル局である中部日本放送(CBC)で放送されていた『どんぐり音楽会』に出場、これが川島恵(以下:メグ)の芸能歴における最初の礎となった。その後、石川進音楽学院にて歌を学ぶ機会を得たことで、音楽とはなにかをじっくりと学んでいく。そして、1980年を迎えた頃に東芝EMI主催のオーディション『東芝タレントスカウトキャラバン』に出場、約4,500人の応募者の中から頂点に立ったのである。
同オーディションの有力候補者として、メグと同年デビューの新井薫子がいたことは知られるところだが、彼女はNHK『中学生日記』に出演する等の経歴があり、下馬評において優勝候補と囁かれていたという。ソレを覆してメグが優勝した結果を顧みるにつけ、東芝EMIという会社のイデオロギーが窺えるというものか。なにせ、同大会における1回目の優勝者は石坂智子、3回目は桑田靖子という顔ぶれで、いわゆる歌の上手い実力者が選ばれる傾向にあった点に注目すべきだからである。
かといって同社には、それらの対極に位置した歌手もチラホラ存在した、例えば1977年デビューのあのかわい子ちゃん、1986年にデビューしたあのコだって所属は東芝EMIだったのである。が、社風というべきなのか… いわゆる “歌える子” を好んだ傾向が強かったことは、本大会における優勝者たちを見れば合点するというものヨ。下馬評どおりにならず準優勝に甘んじた新井薫子、ならびに彼女を推したいというスタッフメンバーは東芝EMIから去り、新レコード会社のTDKコアへ移った上で、新井薫子という少女を売り出していく運びとなったのである。
NHK『レッツゴーヤング』のサンデーズとしても活躍
ちなみに、メグが決戦大会で歌ったのは、岩崎宏美のヒット曲「悲恋白書」。作詞は阿久悠、作曲は大野克夫というコンビによる爽快なメロディが印象的なナンバーで、当時の阿久悠が好んで使っていた、です・ます調の歌詞も特徴だ。この楽曲をオーディションで歌ったことでメグの運命は好転、優勝を手にしたことはモチロンなのだが、その伸びやかなボーカルを活かして、ポスト岩崎宏美として売り出そうという機運も高まっていくことになったのである。
オーディションで優勝してからしばらくは、その才能をより開花させるための基礎固めの時期となった。1981年4月からはNHK『レッツゴーヤング』における番組オリジナルグループ、サンデーズの一員としての出演が始まった。先輩格となる川崎麻世を筆頭に新田純一、ひかる一平、堤大二郎、山田晃士という男性陣に加え、日髙のり子、坂上とし恵、田口トモ子、沢村美奈子という女性陣が花を添え、それら一員としてメグも名を連ねたのである。
「サンデーズの10人のなかのひとりとしてではなく川島恵として勝負しなくちゃ!」
加入時の感想として、こんな言葉も残しており、やる気マンマンだったことが窺えるのである。蛇足になるが、この時期はニューバンブー音楽事務所の先輩歌手である矢野良子(1981年3月「ちょっと好奇心」でデビュー)と池ノ上にあったアパートで同居しながらデビューの機会を待っていた。矢野のことは “お姉さん” と呼び慕っていた、というエピソードも残されている。
そして、サンデーズ加入から約1年の歳月を経た1982年2月21日、「ミスター不思議」という曲で歌手デビューを果たしたのだった。当時の東芝EMI事情として、『3年B組金八先生』の生徒役として人気を得たつちやかおりの同月デビューを予定していたものの、これを覆してメグのデビューが優先されたことも記しておくーー。
キャッチフレーズは、フルーティ・ヴォーカリスト
メグの最大の特徴である伸びやかで清涼感を漂わせる歌声、これを前面に出してアピールしたのが “フルーティ・ヴォーカリスト” というキャッチフレーズだ。デビュー当初こそ “今、フルーティ・ヴォーカリストMeggデビュー” という長めの表記が使われていたものの、しばらくしてからは、フルーティ・ヴォーカリストに統一、より分かりやすいフレーズへとシフトしていった。清涼感、そして甘酸っぱさも感じさせるメグの声質を、フルーツっぽいものとして例えてみたのは言い得て妙、秀逸なキャッチフレーズと言える。
メグのデビュー曲「ミスター不思議」はオーディションで歌った「悲恋白書」と全く同じコンビ(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)により出来上がった。春の明るさとほがらかさを感じさせるワクワク系のイントロ、新人歌手らしいフレッシュなイメージ、歌いだしに”センチメンタル”という言葉をネジこんだのは、岩崎宏美を意識した阿久悠による遊び心?あるいはイメージ戦略だったのだろう。
恋をした十六は
不思議のとりこ
ミスター不思議の
16才という年齢をキーワードにしたのも特筆だ。なにしろ、1982年にデビューした女性新人歌手の多くが16才というスウィートな年齢真っ只中、その年齢にスポットライトが当たった年度でもあったからである。題名からズバリの小泉今日子「私の16才」を筆頭に、「♪16 だから恋初め」の三田寛子「駈けてきた処女(おとめ)」、「♪Sixteen Sixteen Bos・sa nova」と歌った川田あつ子「秘密のオルゴール」といった塩梅で、各々がデビュー曲において16才という年齢をアピール、16才戦争を繰り広げていったのである。

他、㊙ネタとして「ミスター不思議」のB面に収録された「結婚したなら」はデビュー曲の候補として顔を揃えていたとのこと。また、ウィキペディアに記述が見られる大滝詠一の「君は天然色」を川島恵のデビュー曲にしようと実際にボーカルを練習したというエピソード… これも事実であることはメグ本人から言質が取れたのだが、諸々の諸事情により、その楽曲をデビュー曲にするという企画は立ち消えになったという。メグはこの後もーー
▶︎ シングル2枚目「ザ・サンシャイン・ボーイズ」(1982年5月21日)
▶︎ アルバム『サンシャインガール』(1982年6月21日)
▶︎ シングル3枚目「処女飛行」(1982年10月21日)
▶︎ シングル4枚目「さよならの言葉は云わないで」(1983年7月21日)
ーー と立て続けにリリースしていった。シングル3枚目と4枚目の間の妙なブランクが気になってしまうが、これはおそらく2年目のメグをどのように売っていったらよいのかについて試行錯誤したことによる空白だったのではないかと推測する。4枚目の楽曲はそれまでの作風とはガラリと異なるマイナー調の歌謡曲で、新生メグをアピールするにはもってこいの佳曲だったが、初期のフルーティで明るい曲調を続けてほしかったナと感じたのは筆者だけではないはず。メグファンの多くもフルーティ・ヴォーカリストを貫くような楽曲を求めていたに違いない。当時のメグはまだ17才の少女… 。マイナー調の歌謡曲でオトナのイメージを匂わすにはあまりにも早すぎたのではないだろうか。

演歌歌手として再出発するという仰天ニュース
その歌謡曲路線も不発となり、この辺りからアイドル・川島恵を見聞きする機会が極端に少なくなっていった。この時期は銀座のライブハウスで歌うなど、川島恵というパブリックイメージをあまり前面に出さない活動が中心になっていった。そして、1987年になるとまさかの変身劇が待っていたのである。なんと、かつてのフルーティ・ヴォーカリストが演歌歌手として再出発するという仰天ニュース(さいたまんぞうとのデュエットソング「東京カントリーナイト」)が飛び込んできたのだ。
この路線変更には賛否両論があるものの、メグ本人の口から “今になって思えば色々と勉強になった” という感想が語られているがゆえ、決して無意味な活動ではなかったと信じたい。相方のさいたまんぞう氏とは今でも交流があると、本人の口からも語られている。
いつしか時は流れ、メグは結婚を機に芸能界から離れていき、嫁ぎ先の商いを手伝いながら子供も授かった… いわゆる芸能人ではない、一般人として暮らしてきたのである。そのメグが、37年ぶりに公の場に姿を現した日が、2026年2月14日となった。その名も『チェリまりプレゼンツ アイドル☆アフタヌーン バレンタインスペシャルライブ』と銘打った、筆者プロデュースのライブイベントだ。
メグと千葉まなみという、かつて東芝EMIに所属した80年代アイドルをコラボさせたマニア垂涎の夢ステージだったが、“まさかこんな日が来るとは!” と声を張り上げたのは当のお2人さんだった。そりゃそうだよナ… 長らくフツーの人として暮らしてきた2人が登壇、ふたたびスポットライトを浴びてお客様の前に立ったのだから。熱気ムンムンの会場は往年のファンで埋め尽くされて満員御礼。当時と変わらない美声で歌い上げる2人の復活には、思わず感極まって涙してしまうお客様もいたほど会場のボルテージは高かったのである。
アイドル時代、誰もが認める売れっ子というステイタスは築くことが出来なかったメグ。が、そのフルーティ・ヴォーカリストとしての歌声は特筆に値するものだし、デビュー曲「ミスター不思議」を支持する層の分厚さはハンパない。これほどの支持を受ける楽曲が、当時のヒットチャートにおいて100位圏外と振るわなかった件。かの小泉今日子も “大好き" と公言するほど親しまれている曲でアリマシテ… たかがヒットチャートとでも叫んでおくことにするか。
かつて成長しきる前に朽ちてしまったタケノコの、その根っこは地面の下でしっかりと生き続けていた。そして、37年ぶりとなったステージで… その姿をふたたびニョッキリと覗かせてくれ、今後の展望にワクワクする姿を見せてくれたのであ~る。
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