1976年 3月5日

浅川マキが吹き込んだ魂!ロッド・スチュワートも歌った「それはスポットライトではない」

0
0
 
 この日何の日? 
浅川マキのアルバム「​​灯ともし頃 MAKI VII」発売日(それはスポットライトではない収録)
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1976年のコラム 
迷惑をかけることを怖れるな【追悼:山田太一】傑作ドラマ「男たちの旅路」のメッセージ

哀悼のヒットソング30曲、オリビア・ニュートン=ジョンよ永遠に!

【昭和の春うた】キャンディーズ「春一番」ライブ盤で聴くことをオススメする理由は?

四畳半フォークを覆す南こうせつの多彩なる音楽性!神田川だけじゃないJ-POPの先駆け ①

伝説の美少女アイドル!岡田奈々の代表曲「青春の坂道」アンサーソングは「坂の途中で」

エレキギターを振り回し血を吐く地獄の軍団、KISSが教室にやってきた!

もっとみる≫




出会ったときが新曲!世代を超えてつなぎたい50年前の名曲 vol.2
▶ タイトル:それはスポットライトではない
▶ アーティスト:浅川マキ
▶ 収録アルバム:​​灯ともし頃 MAKI VII
▶ アルバム発売日:1976年3月5日

生涯アンダーグラウンドを貫いた浅川マキ


浅川マキは2010年にこの世を去ったけれど、僕の中で彼女の存在感は今も薄れてはいない。生涯アンダーグラウンドのフィールドに留まり続けた浅川マキは、商業的に大きなスポットライトを浴びることはなかった。けれど、彼女は確実に、僕が触れてきたなかでも最高の音楽性を感じさせてくれたアーティストのひとりだ。

初めて聴いた浅川マキの曲は「夜が明けたら」(1969年)だった。70年安保闘争、大学闘争、ベトナム反戦運動などの高揚感と、明日が見えない焦燥感のなかで聴いた「夜が明けたら」は、見えない明日へ踏み出す可能性と覚悟を感じさせてくれる曲だった。だから、それから僕は浅川マキの歌を聴くために、当時アングラ文化の聖地として若者や文化人に多大な影響を与えた “新宿蠍座” やライブハウスに時おり出かけるようになった。

浅川マキはいわゆるアングラ・フォーク歌手のひとりと見られることも多かった。常に黒のロングドレス姿だったのも印象的だった。実際にステージを観ることでわかったのは、彼女の音楽のベースがブルース、ジャズ、シャンソンなどにあること。そして、それらが彼女ならではの歌唱によって、単なるモノマネではない、日本的な情感を感じさせるノンジャンルの音楽へと昇華されていることだった。

そのステージに触れていくなかで、浅川マキの音楽性に魅せられているのが自分だけではないことを知った。時には、ピアニスト山下洋輔をはじめとする日本のアヴァンギャルド・ジャズの最前衛にいるプレイヤーたちが演奏に参加することもあり、フォークの貴公子として脚光を浴びていた吉田拓郎が飛び入りしたステージも体験している。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのミュージシャンたちにとって、浅川マキは特別な存在だったのだ。

浅川マキ自身が日本語詞をつけた「それはスポットライトではない」


浅川マキのレパートリーには「かもめ」「ふしあわせという名の猫」など寺山修司が歌詞を書き下ろした情念的な曲もあったけれど、実は彼女自身が作詞・作曲した曲や、日本語詞をつけた外国曲も多かった。浅川マキが知られるきっかけになった「夜が明けたら」も、彼女自身が作詞・作曲した曲だった。浅川マキの幅広いレパートリーの中で、ちょっと異色に感じたのが「それはスポットライトではない」だった。

原曲はアメリカのソングライターであるバリー・ゴールドバーグとジェリー・ゴフィンが1970年代に共作した「イッツ・ノット・ザ・スポットライト」。浅川マキはブルースシンガーのボビー・ブランドのアルバム『ヒズ・カリフォルニア・アルバム』に収録されたバージョンを聴いて自分でも歌いたいと思い、日本語詞をつけたという。

しかし、一般的にこの曲が知られるようになったきっかけは、ロック・シンガーのロッド・スチュワートが1975年に出したアルバム『アトランティック・クロッシング』で歌ったことではないだろうか。僕自身、このアルバムでこの曲を知ったので、浅川マキが歌ったことにちょっと驚いた記憶がある。浅川マキ自身も、ロッド・スチュワートに先に歌われたことで躊躇はあったけれど、やはり歌うことにしたという。実際、この曲はアルバムに収録される以前からライブで歌われていたが、1976年のアルバム『灯ともし頃 MAKI VII』の収録曲として発表された。



ライブハウスで “魂” を記録した「灯ともし頃 MAKI VII」


演奏において、ライブ感やグルーヴを大切にしていた浅川マキは、それまでのアルバムでもスタジオでのテイクだけでなく、ライブ音源を収録しているが、『灯ともし頃 MAKI VII』では、さらに一歩踏み込み、実際のライブハウスを借りてセッション形式でレコーディングを行っている。

レコーディングの舞台となったのは、ジャズピアニストの明田川荘之が東京・西荻窪に開いた小さなライブハウス “アケタの店” だった。アケタの店には僕も行ったことがあるけれど、数十人入ればいっぱいになる、こじんまりした空間だ。そこでは、つのだひろ(現:つのだ☆ひろ / ドラムス)、吉田建(ベース)、萩原信義(ギター)、杉浦芳博(ギター)、角田順(ギター)、白井幹夫(ピアノ)、坂本龍一(オルガン)、さらには向井滋春(トロンボーン)、近藤等則(トランペット)といった面々が、曲によって入れ替わりながら演奏していた。そこに楽器やレコーディング機材まで並べられると、まさに立錐の余地もない感じだったに違いない。

ライブハウスの空気のなかで、浅川マキのボーカルも含めてセッションをしながら音を固めていき、1週間をかけて8曲をレコーディング。その多くはテイクワンでOKが出たという。こうして作られた『灯ともし頃 MAKI VII』は、小ぎれいに仕上げることをよしとせず、多少のアラがあったとしても、一瞬の音に集中することで生まれるライブ感と “魂” を記録しようとしたアルバムなのだ。

このレコーディングで最初に大きな手応えを得たのが「それはスポットライトではない」だった。“彼女とともに人生の運も失ってしまった男の悲哀” というテーマは原曲と同じだけれど、浅川マキは単なる外国曲の翻訳や解釈にとどまらず、現実に生きる “社会に取り残された魂の悲しみ” を聴き手に感じさせる歌としての命を吹き込んだ。そして、そんな彼女の歌に、個性と才能にあふれるプレイヤーたちの演奏がさらに強い存在感を与えていった。

50年後も変わらない浅川マキの歌の力


浅川マキの歌からは、心の奥底から発せられるような哀しみが伝わってきて、思わず自分自身をその主人公に重ね合わせてしまう。そんな歌に対して、ゆったりとしたテンポのブルースロック・テイストの演奏はやや抑え気味に感じられる。けれど、ひとつひとつの音には浅川マキの歌と響きあう哀愁があって、それが曲全体の深い情感を演出している。

浅川マキの「それはスポットライトではない」は、けっして万人向きの曲ではないけれど、人生のふとしたタイミングで、何かに気づかせる力を持った曲だ。もちろんそれはこの曲に限ったことではなく、浅川マキというアーティストが持っている本質的な魅力でもある。そして「それはスポットライトではない」は、ロッド・スチュワートというメジャーな接点を持つ曲だからこそ、それまで浅川マキを知らなかった人にとっても、彼女の沼的な魅力に出会うきっかけとなり得る曲なのだ。


2026.09.14
0
  Songlink
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
コラムリスト≫
101
1
9
8
6
中森明菜「クリムゾン」竹内まりやを黒に染めるダーク・シティポップ
カタリベ / 後藤 護