1996年4月6日「王様のブランチ」4時間半の生放送がスタート
今でこそ土曜日の朝から昼過ぎといえば、TBSテレビの『王様のブランチ』が定番。すっかり週末の生活に溶け込み、あたりまえの光景になっている。この番組が始まって今年でちょうど30年。若い人たちにとっては、生まれた頃から放送されている番組である。
1996年4月6日土曜日、今からちょうど30年前のこの日、『王様のブランチ』がスタートした。それまで時間帯ごとに異なる番組を放送していた土曜の午前から午後をひとつにつなぎ、4時間半にわたって生放送するという大胆な編成だった。
TBSビデオ問題をきっかけに始まった大改編
ではなぜ、この番組がスタートしたのか? そこには、TBS開局以来ともいえる大問題が関係している。いわゆる “TBSビデオ問題” だ。1989年、同局のワイドショー制作スタッフが、オウム真理教を批判する坂本堤弁護士のインタビュー映像を、放送前に教団幹部に見せていたのである。その後、坂本弁護士一家殺害事件が起きた。
この事実が1995年、オウム真理教幹部の供述をきっかけに明るみに出る。翌1996年にはTBSも事実を認め、開局以来の大問題、大ピンチに追い込まれた。社長をはじめとする幹部の交代、社会情報局の廃止、情報系番組の見直し、ワイドショーからの撤退という事態にまで発展した。ワイドショーはやめよう。ではそれに代わる番組はどうする? そこで編成されたのが、スキャンダルなどを扱うワイドショーではない番組だった。
誰もが無謀だと思った4時間半の生放送
まず土曜日に誕生したのが、エンターテインメント情報番組『王様のブランチ』だった。そして同じ年の9月には、月曜日から金曜日までの午前帯に生活情報番組『はなまるマーケット』がスタートする。まさに、あの問題を受けたTBSの大きな方向転換の中から生まれた番組だったのだ。
今でこそ、旅、食、エンタメ情報を横断的に扱う番組は各局で放送されているが、30年前はまだ今ほど一般的ではなく、しかも4時間半にわたる生放送は異例だった。ラジオでは長時間のワイド番組もあるが、テレビで4時間半となると話は別だった。“無謀な番組だ、すぐ終わるだろう” と囁かれていたのも事実である。
当初は、MプロデューサーとYプロデューサーで番組がスタート。私もエンタメ部門のスタッフとして初回から参加した。総合司会には俳優の寺脇康文を大抜擢。寺脇にとってこれが初めての司会であった。そしてもうひとりの司会が、田中律子。2人を補佐するのが、関根勤、恵俊彰、神田うの、朝丘雪路というラインナップ。
旅・グルメ・映画・本―― 今につながる情報番組の原型
まずは4時間半をいくつかのコーナーに分けた。旅を中心としたレジャーコーナー、おいしい店を紹介する食コーナー、視聴率ベストテンを軸に番宣も兼ねたテレビコーナー。さらに、新作映画を紹介する映画コーナー、新刊本を紹介する出版コーナー。音楽は、当時ヒット番組だった『COUNT DOWN TV』のランキングをリピートした。
さらに、毎回の週替わり特集に加え、生放送ならではの各地からの情報も生中継した。当初は、話題のお笑い芸人が登場するお笑いコーナーも存在していた。これらの情報をそれぞれランキング形式で紹介していくのも、当時は新しかった。当時扱ったレジャー、旅、グルメ、映画、本などは、30年たった今のブランチにも受け継がれている。そして、これらの要素は後の各局の情報番組にも広がり、今では定番のテーマとして毎日のように放送されている。
そういう意味で『王様のブランチ』は、現在につながる情報番組のスタイルをいち早く形にしたパイオニアと言っても過言ではないだろう。また、TBSビデオ問題を教訓に、ワイドショー的なスキャンダルは一切扱わず、人の悪口や、人が嫌がることは絶対にしないという、健全なエンタメ・娯楽情報番組としてスタートしたのである。しかし、4時間半もの長時間、誰が観るのか、しょせん長続きしないだろうという声も大きく、当初は視聴率も3〜5%あたりを行き来し、大苦戦だった。
プリクラとたまごっちが「王様のブランチ」を押し上げた
そして、番組スタートから間もない6月の人事で、Mプロデューサーが部長に昇格。私はプロデューサーに就任した。ここで、我々スタッフの力とは別のところから、とてつもない神風が吹く。巷で2つの大ブームが起こり、番組はその風に乗ることができたのだ。そこで、「サムシング・ニュー」(のちの「ブームアップ」)という流行りものを紹介するコーナーもスタートさせた。
2つのブーム、ひとつは空前の『プリント倶楽部』(プリクラ)ブームである。言うまでもなく、撮影した写真をシールにして印刷する機械だ。街のあちこちにプリクラが置かれ、女子高生を中心に一大ブームに発展し、1996年を代表するヒット商品のひとつにもなった。プリクラは、まさに平成ギャル文化の象徴である。番組では毎週「プリクラ・ベイビー」というコーナーを作り、新しい機能、デザインなどプリクラの最新情報を送り続けた。
そして、もうひとつの大ブームが『たまごっち』。1996年11月に発売された、たまごっちは “たまご” と “ウォッチ” を合わせた名前。携帯型の育成ゲームであり、画面の中で育てるキャラクターの名前でもある。これが発売されるやいなや、入手困難になるほどの争奪戦となり、社会現象にまで発展する爆発的大ヒットとなった。番組では「たまごっち通信」というコーナーを立ち上げ、最新情報からたまごっちの育て方まで、こまごましたことも含めて、これでもかというくらい毎週伝えていった。
この2つが番組初期の牽引力になったことは間違いない。さらに、当時流行っていたビンテージものからパフェなどのスイーツまで、若い人、特に女性向けの情報を幅広く取り上げていった。そんな効果もあってか、番組スタートから半年ほど経つと視聴率もうなぎ上りとなり、2桁も出るようになった。視聴者にも認知され、番組は徐々に定着していった。
4時間半すべてがエンタメ・娯楽情報の『王様のブランチ』。好きなジャンルだけ観てもいいし、全部観れば今の世の中のトレンドがひと通り分かる。だから若い女性を中心に市民権を得ることができたのであり、それが30年も続いているのは驚異でしかない。
そして番組では、「街コーナー」(今の街歩き番組のルーツのようなコーナー)、「お買い物・ショッピングコーナー」「物件コーナー」など、新たなコーナーも次々と誕生。こうして、30年経った今の『王様のブランチ』の原型ができていくのである(前編・了)。
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2026.10.16