西城秀樹「HIDEKI SAIJO 7th Memory BIG GAME 2024」
2024年5月16日(木)、お台場のZepp DiverCityで『HIDEKI SAIJO 7th Memory BIG GAME 2024』が開催された。イベントは2部構成で、日本テレビが収録した西城秀樹の秘蔵映像2作品を大スクリーン、リマスターで観ることができる。
開演前、会場の外には50〜60代の女性を中心としたファンが長い列を作り、ヒデキの曲をラジカセで流しながら歌い踊るグループまで登場する熱狂的な人気ぶり。会場ロビーには歴代の衣装や、『レコ大』『歌謡大賞』などのトロフィーが並び、さしずめヒデキ・ミュージアムとなっていた。
「秀樹さんおかえりなさい」のコールでスタート
場内は、抽選で選ばれ全国から集まったファンで超満員。熱い熱気と期待の中、第1部が始まる。ヒデキのフォロワーであり、若手歌手として人気上昇中の新浜レオンが登場、熱い思いを語る。そして、会場全員の “秀樹さんおかえりなさい” のコールでスタート!
まずは、1975年に日本テレビで放送された木曜スペシャル『西城秀樹・日本縦断~20才の絶唱~』。そう、75年に開催された全国縦断コンサートを記録した貴重なドキュメンタリーだ。富士山麓からスタートし、北は北海道から南は沖縄まで、準備期間を含めのべ100日、15万人を動員した、20歳になったヒデキの “青春の記録”。ヒット曲、バックステージの表情など、その魅力を余すところなく見せてくれた。
1978年に開催された大阪球場コンサートの完全版
休憩をはさんで、いよいよ第2部はメインイベント。1978年、日本テレビの日曜スペシャル特別企画『音楽バラエティショウ これが音声多重放送だ!』の中で一部オンエアされた、大阪球場コンサートの完全版が、未発表を含むほぼ完全な形で保管されていた。そのリマスターされた映像を大画面で観るフィルムコンサートは、まるでライブ会場で観ているような錯覚をおこすほど!
オープニングは大阪球場のフィールドを走るバイクの群れの中、デコレートされた車に乗ったヒデキがド派手に登場。スクリーンの中は大盛り上がり、そしてZepp DiverCityの観客も掛け声、歓声、ペンライトを振り一緒に歌う、まさにスクリーンとリアルが一体化。前半はカバー曲中心の選曲で、ロックンローラーとしての魅力全開。そう、ヒデキはロックシンガーとしても超一流で、日本のロックの先駆け、先駆者だということを再認識した。
会場のボルテージは最高潮、ハダカ、裸足でとにかく歌いながら走る、走る
中盤は移動ステージに乗って、歌いながら球場を1周。時代を反映したナンバーでスタジアムは巨大なダンスフロアに。1978年はディスコブームが頂点を迎えようとしていた年。最新のトレンドをさっそく取り入れ自分のものにしてゆくヒデキのスケールの大きさに驚く。
そして、巨大クレーンに吊り下げられたゴンドラに乗り、客席スタンドの上空でヒット曲を連発。いやあ、ほんとに名曲ばかりだなあ。しかもスタンド上部の観客のそばまで行って会場のボルテージは最高潮。アンコールは衣装も脱いでハダカ、裸足でとにかく歌いながら走る、走る、走る。
その後も、肉体の限界を越える体力をふりしぼって驚異のライブは続く。それでも息の切れない、しっかりとした歌唱に驚嘆する。最後は全ての力を出し切って倒れこみながらも歌い続ける。Zepp DiverCityの観客たちも大号泣、最後は皆スクリーンに向かって “ありがとう" の大コール。こんな凄いコンサート、今まで観たこともない。しかも今から46年も前に起こったこととはとても信じられなかった。
日本のスタジアムでコンサートを行った最初の日本人ソロアーティストであり、移動ステージ、ゴンドラ、花火、スモーク、ペンライト、客への水まき、どれをとっても、後のアーティストたちが取り入れているスタジアムコンサートの演出を、46年前のヒデキが最初にやっていたことに驚愕する。そして、スクリーンの大阪球場とリアルのZepp DiverCityの観客が1つになり、まさに昭和と令和が時空を超えて繋がった光景は奇跡と言わざるを得ない。
このコンサートから46年経っても、これだけ皆を熱狂させ、感動させる西城秀樹。まさに唯一無二の不滅のスーパースターであり、“現役” のトップアーティストとして、今でも、そしてこれからも生き続けてゆくのである。
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2024.06.02