ナイト・レンジャーが日本でフェアウェル・ツアー 2025年、有名洋楽アーティスト達の日本でのフェアウェル・ツアーが相次いで行われている。2月にはミスター・ビッグ、4月にはシンディ・ローパーやウインガー、10月初頭にはチープ・トリックが日本武道館で最後の公演を行った。そして、ナイト・レンジャーが『FAREWELL JAPAN The “Goodbye” Tour』と銘打つツアーを10月14日にグランキューブ大阪、同16日に日本武道館で行う。
ミスター・ビッグやチープ・トリックは、日本での人気が先行したことで知られるが、ナイト・レンジャーの場合は本国でのブレイクを受けて、ほぼ同時期に日本でも人気が爆発。長きキャリアの中での浮き沈みを経験しながら、日本のファンや関係者がその存在を支え続けてきた。フェアウェル・ツアーを直前に控え、ここでは日本でのナイト・レンジャーの歩みを、これまでの来日を絡めながら振り返ってみたい。
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メリカン・ハードロックの超新星!デビューアルバムは「緊急指令N.R」 ナイト・レンジャーの本国アメリカでのデビューは1982年11月。ブラッド・ギルスとジェフ・ワトソンの斬新なツインギター、そして、ベースのジャック・ブレイズとドラムのケリー・ケイギーの2人が歌える強みをフィーチャーして、全米でスマッシュヒットを果たす。破竹の勢いそのままに、日本では翌1983年『緊急指令N.R』の邦題を冠し、アメリカン・ハードロックの超新星として鮮烈にデビュー。ギターキッズを中心に HM/HR(ヘヴィメタル / ハードロック)ファンの心を鷲掴みにした。
同年には短いスパンで2作目のアルバム『ミッドナイト・マッドネス』をリリース。シングル「シスター・クリスチャン」が、全米ビルボードチャート5位の大ヒットとなり、アルバムも全米15位を記録。メインストリームの音楽シーンで評価を確立していく。日本でも前作以上にヒットし、ナイト・レンジャーは1980年代のHM/HRブームを牽引する重要バンドのひとつとなった。
初のジャパンツアーが実現したのは1983年12月。『ミッドナイト・マッドネス』が来日記念盤として位置付けられ、東名阪の全5公演で高い注目度と共に迎えられた。ドラマーがステージ上手に鎮座する個性的なセットで繰り広げるエネルギッシュなパフォーマンスを通じ、生粋のライブバンドであるナイト・レンジャーの真骨頂を、日本のファンは初めて目撃することになった。
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絶頂期から急転!1980年代後半の不遇期 1985年リリースのサードアルバム『セヴン・ウィッシーズ』で、ナイト・レンジャー旋風はさらに加速し、全米10位とキャリア最高のヒットを記録。シングルも次々ヒットするなど、セールス的にも黄金期を迎える。これに呼応して日本でもアルバムが大ヒット。同年4月には新作を引っ提げて2度目の来日が実現。全10公演とスケールアップしたホールツアーを敢行した。
さらに翌1986年1月には、1年を待たず3度目の来日を果たし、2日間にわたる日本武道館公演まで成し遂げた。日米のヒットチャートを席捲する一方、バラードやポップな曲調のシングルを連発したことで、一部のHM/HRファンからは “バラードバンド” のレッテルを貼られてしまう。
そうした評価が影響したのか、1987年の4作目『ビッグ・ライフ』は、ハリウッド映画のタイアップ曲も含む充実作にも関わらず、全米28位と後退。日本でのリリース後のツアーが初めて見送られた。続く1988年の5作目『マン・イン・モーション』は、ハードさを取り戻した意欲作だったが、全米81位とさらに後退。それでも日本では健闘し、同年には4度目の来日公演が実現。熱心なファンの歓迎を受け、その模様は『ライヴ・イン・ジャパン』として後にリリースされた。
本国での不遇下で活動を継続するも、1988年には初期からのキーボード奏者、アラン・フィッツ・ジェラルドが脱退。ジャック・ブレイズもダム・ヤンキースに参加するため1989年に脱退。ジェフ・ワトソンもソロ活動等に軸足を移し、バンドは解散状態に陥ってしまう。
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潰えそうなバンドを蘇生させた日本からのラブコール そんな状況下でブラッド・ギルスとケリー・ケイギーは、1991年にトリオ編成による “ムーン・レンジャー” として活動を再開。しかし全盛期の面影はなく、ナイト・レンジャーの血脈は実質的に途絶えたかのように思えたわけだがーー。ここで手を差し伸べたのが日本のレコード会社やプロモーターだった。もちろん、その根底に強固な日本のファン層と熱意が存在したからこそだ。
1996年には、ジャック・ブレイズにジェフ・ワトソンとアラン・フィッツジェラルドも加わった編成で久々の来日公演が実現。翌1997年には復活作『ネヴァーランド』が日本先行でリリースされた。再度の来日公演を経て、翌1998年には次作『セブン』を日本先行でリリース。同年には3年連続の来日公演まで行われた。日本に向けた怒涛の展開で活動は軌道に乗ると思われたが、本国での苦境は変わらず、いつしか休止状態に入ってしまう。
再び動き始めたのはやはり日本からで、2003年に規模は縮小しつつも来日公演を行い健在ぶりをアピール。中でも精力的な動きを見せたのがジャック・ブレイズだった。2004年に初のソロ作リリースに加え、B’zの松本孝弘によるバンド、TMG(TAK MATSUMOTO GROUP)への参加が発表されたのだ。
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ナイト・レンジャー復活への道 日本とのパイプがさらに強化されたジャック・ブレイズは、この時期に複数回来日している。筆者はこの時期に彼のソロ作の制作ディレクターを務めており、プロモーションも含めて何度か会う機会があった。
以前のコラム《アメリカンハードロックの元気印!ナイト・レンジャー「緊急指令N.R.」》 でも書いたが、そのタイミングで筆者はナイト・レンジャーのアルバム制作をジャックに打診してみた。21世紀に入り1980年代に活躍したアーティストたちへの再評価の機運が高まり、ナイト・レンジャー復活のまたとないチャンスだと踏んだからだ。結果的にジャックへの直談判をきっかけに交渉がまとまり、長い制作期間を経た2007年、実に10年ぶりの新作『ホール・イン・ザ・サン』は、日本先行で無事にリリースされた。
アルバムに参加したジェフ・ワトソンは、残念ながら脱退してしまったが、久々の新作が登場したことで、同年にはホール規模での来日公演の実現に繋がった。ウインガーのレブ・ビーチ(G)とグレイト・ホワイトのマイケル・ローディ(Key)を迎えた布陣でのライブパフォーマンスは全盛期と変わらぬ素晴らしさで、筆者はライブアルバムのレコーディングを再び直談判した。結果、2008年にリリースされたのが『Rockin' Shibuya 2007』だった。
完全に息を吹き返した彼らは、以降コンスタントに4枚のアルバムをリリース。2021年の最新作『ATBRO』が全米40位を記録するなど、本国でも再評価されている。2008年以降、約3年おきの高頻度でジャパンツアーが行われ、第2の黄金期ともいえる充実した活動を続けていた。それが実現したのは、彼らの音楽の素晴らしさと人柄に惹かれた日本の関係者のサポート、そして何より、熱心なファンからのラブコールがあってこそだろう。
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日本公演の最後は39年ぶりの日本武道館! 日本でのデビューから約42年、紆余曲折を経たナイト・レンジャーの日本でのキャリアが最終章を迎える。来日歴を数えてみると、実に15回、公演数もゆうに70回を超える多さだ。16回目の来日となる今回(2025年)、最後の瞬間を39年ぶりに帰還する日本武道館で迎えるというのはなんとも感慨深い。不遇時代も含めて、筆者は様々な場所やタイミングで彼らのライブを観てきたが、いつ観ても、アメリカン・ハードロックの醍醐味を心の底から感じさせてくれた。
今回はフェアウェル・ツアーという特別な場面だけに、楽しさよりも寂しさが先立ってしまうかもしれない。それでも、いつも元気を与えてくれた彼らに、湿っぽい別れは似合わないはず。名バラード「グッドバイ」を笑顔で大合唱して、晴れやかな気持ちで “サヨナラ” を告げる。そんなナイト・レンジャーらしさに溢れた、記憶に刻まれるショウを最後に期待したい。
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2025.10.11