1983年、遂にソロアーティストとしてメジャー契約にこぎつけたシンディ・ローパーは、アルバム『N.Y. ダンステリア』(She's So Unusual)でデビューした。これは、5歳年下のマドンナのデビューアルバム『バーニング・アップ』がリリースされた僅か数ヵ月後のことである。このアルバムは全世界で1,600万枚のセールスを記録し、シングルカットされた「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」「タイム・アフター・タイム(過ぎ去りし想い)」「シー・バップ」「オール・スルー・ザ・ナイト」と大ヒットさせた。デビューアルバムから4曲連続のTOP5入りは女性アーティストで初のことだった。
米国の音楽誌『ローリング・ストーン』は、このアルバムを「100 Best Debut Albums of All Time」の63位に選んでいるが(マドンナは96位)、いずれにせよこのヒットによって彼女はグラミー賞の「Best New Artist」を獲得し、全米のスターが飢餓救済のために歌ったチャリティソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」でソロパートを与えられた。これは、この両方に縁がなかったマドンナと比べても、シンディが明らかに良いスタートを切ったことを意味していたし、少なくとも彼女がアトラクションに成功したのは間違いなかった。しかし、次のアルバム『トゥルー・カラーズ』で、僕らは良い意味で裏切られることになるのである。
ストーンズとクラプトンはどちらも明らかにビジネス的に成功したが、そこには “ビジネス vs アート” のトレードオフ(一方を追求すれば他方を犠牲にせざるをえない関係)の中でビジネスを選択したという真実が含まれている。アーティストが本当に純粋な芸術家なら、もっと自らの才能を作品に投影し、創造性あふれるパフォーマンスを披露したいという本能が見えそうなものだが、彼らにはそれがあまり感じられない。もちろんこの選択は、ストーンズの場合は意図的、クラプトンは結果的だったのだろうけど。