岩手県をホームグラウンドに活動している音楽ユニット、姫神
2025年7月29日、姫神の『浄土曼陀羅〜平泉毛越寺法楽会 浄土庭園コンサート』が再ミックスされ、アトモス(ドルビーの立体音響)と通常ステレオのハイブリッドアルバムとして配信リリースされた。本作は、ちょうど30年前の1995年7月29日に岩手県平泉町の毛越寺で開催された浄土庭園コンサートの模様を収録したライブアルバムであり、同年にCD発売されていたものである。
ーー と、ここまで読んで、“おっ!” と思う人もいらっしゃるだろう。けれど、“なんのことやら?” と思う人のほうが多いのではないか。そもそも “姫神” とはいったいなんなのか?
そう、姫神とは岩手県をホームグラウンドに活動している音楽ユニットで、東北地方に古代から伝わる伝統や文化をテーマにした作品を、独自のシンセサイザー・ミュージックとして発表し続けている、類い稀なアーティストである。そしてその活動は、1981年のデビューアルバム『奥の細道』まで遡る。
“心を癒す音” として捉えられていたシンセサイザー・サウンド
1981年といえば、「テクノポリス」や「ライディーン」の大ヒットで時代の寵児となっていたイエロー・マジック・オーケストラの影響で、シンセサイザーを駆使した “テクノポップ” が日本の音楽シーンを席巻していた時期でもある。
一方で、シンセサイザーを使って神秘的な世界を表現する “プログレッシブ・ロック” も根強い人気を集めていた。1970年代から活躍するファー・イースト・ファミリー・バンドのキーボーディストだった喜多郎が、1978年にアルバム『天界』でソロデビュー。1980年には『NHK特集 シルクロード』の音楽を担当して脚光を浴びていた。
さらには、元ロキシー・ミュージックのブライアン・イーノが1978年に発表したアルバム『ミュージック・フォー・エアポーツ』がきっかけとなり、心理的な安定をもたらす効果を狙ったシンセサイザー・サウンドが、“アンビエントやヒーリング音楽” としてクローズアップされるようになる。
この頃、ジョージ・ウインストンのピアノアルバム『オータム』(1980年)が大ヒットし、“ニューエイジ” と呼ばれる癒しに満ちたサウンドもブームになるが、そんなアコースティック楽器とともに、これまでは最新技術による未来的サウンドとされてきたシンセサイザー・サウンドが、“心を癒す音” として捉えられるようになっていったのは面白い現象だった。
アルバム「奥の細道」でデビュー
こんなふうに、シンセサイザー・ミュージックが、テクノポップ、プログレッシブ・ロック、アンビエントやヒーリング音楽など、さまざまな広がりを見せていた1980年代初頭。そんなタイミングにアルバム『奥の細道』でデビューしたのが姫神だった。正確にいえば、最初はシンセサイザーの星吉昭(ほし よしあき)を中心に、ドラム、ベース、ギターで編成された4人組バンド “姫神せんせいしょん” と名乗っていた。
アルバムのタイトルにもなった収録曲「奥の細道」を初めて聴いた時に、かわいい曲だなと感じたのを今でも覚えている。この頃にはYMOもそれまでのポップでキャッチーなサウンドから、より内向的で強い情念を感じさせるサウンドへと変化をみせていただけに、姫神せんせいしょんは、初期YMOにも通じるようなダンサブルな明るさ、そしてアルバム全体から伝わる東北(岩手)へのこだわりから、ほほえましさを感じさせた。
姫神の中心メンバー、星吉昭は宮城県出身で早くからシンセサイザーに親しみ、東北の民謡をシンセサイザーで演奏できないかという発想から姫神せんせいしょんを結成した。このエピソードからも彼の東北へのこだわりが感じられるが、グループ名の姫神も盛岡市にある標高1,100メートル強の姫神山から取られたもの。もちろんアルバムタイトルの『奥の細道』も江戸時代の俳人、松尾芭蕉が東北から北陸を経て今の岐阜県までを旅しながら俳句をつくった紀行文から取られたものだ。
1982年に発表されたセカンドアルバムの『遠野』というタイトルも、岩手県中部にある都市の名前から取られたものだけれど、ここは単にそれだけではなく、民俗学者の柳田國男が1910年に発表した『遠野物語』に書かれている遠野市周辺に伝わってきた言い伝えの豊かさ、岩手の伝統文化に対する想いが託されているというイメージが強い。
“北人霊歌” と呼んだ星吉昭の音楽
姫神せんせいしょんは1984年に解散。その後、星吉昭は自分のソロプロジェクトとして “姫神" を継続し、アルバム『まほろば』を発表する。 “まほろば” とは理想郷を意味する古語で、特定の場所を示す言葉ではない。さだまさしにも同じタイトルの曲があって、それは奈良を舞台にした曲だが、姫神の場合は故郷である東北をイメージしてこのタイトルをつけている。
星吉昭は表現の幅を広げていくとともに、自身の音楽を “北人霊歌” と呼んだという。アメリカで生まれた “黒人霊歌” をもじったこの言葉には、北国に生きる人間としての誇りと意地が、そこはかとないユーモアとともに託されているに違いない。
歴史的にみて、東北は “貧しく遅れた地域” と捉えられることが多かった。大和朝廷時代にはは “蝦夷” と呼ばれ、大和の人々とは異なるとされたり、幕末の戊辰戦争に敗れた結果、明治初期には “白河(福島県の街)以北一山百文” と言われ差別的視線を受けたりもしてきた。
しかし、青森県の三内丸山遺跡によって縄文時代にこの地に豊かな文明が栄えていたことが明らかになったように、東北はけっして遅れた地域ではないことは明らかになっている。姫神は、そうした東北人としての誇りを独自の音楽を通して伝え続けてきたアーティストだ。姫神がひたすら作り続けている音楽は、とても個性的だけれど、けっして難解ではなく、とても優しく耳になじんでくる。だから、姫神の音楽がNHKの紀行ドキュメンタリーをはじめとするテレビ番組のテーマ音楽に使われたりすることも少なくない。
一期一会の姫神の演奏
星吉昭は2004年に死去。しかし、1990年代から姫神をサポートしていた長男の星吉紀(ほし よしき)が2代目となり、現在も活動を続けている。
今回配信された『浄土曼陀羅~平泉毛越寺法楽会 浄土庭園コンサート』が行われた平泉の毛越寺は850年に創建された天台宗の寺院で、奥州藤原氏の手厚い庇護を受け、その後も鎌倉幕府や伊達藩などの保護を受けてきた名刹だ。中でも浄土庭園は平安時代の庭園の姿を今に留める非常に由緒ある場所で、現在は世界遺産にもなっている。そんな東北の文化遺産で奏でられた一期一会の姫神の演奏。これまで接したことのない人も耳にしてみる価値のある音楽体験であることは間違いない。
Information
浄土曼陀羅~平泉毛越寺法楽会 浄土庭園コンサート(2025mix)▶ 配信開始:2025年7月29日(火)
▶ 収録曲(全10曲)
01. 風の祈り
02. 大地炎ゆ
03. 滋覚大師 讃仰の御和讃
04. 唱礼(声明)
05. 琥珀伝説
06. 花鳥巡礼
07. 唐拍子(毛越寺延年)
08. 明けの方から
09. 求法心経(般若心経)
10. 浄土曼陀羅
▶ 本作は、当時コンサートに参加していた2代目・姫神本人が新たにミックスを行い、空間オーディオ(atmos mix)及び、通常のステレオ2mixの2025mix音源を配信。最新の技術を駆使することで、30年前のライブがよりリアルに再現されています。
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2025.08.26