7月21日

プロデュースはヒュー・マクラッケン、山下久美子のNYレコーディング

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初めての海外旅行が山下久美子の写真撮影に自費で参加したニューヨーク。そしていい思い出はほとんどなく、海外なんて、特にニューヨークなんてもう二度と行くまい、僕は日本で死ぬまで生きていくぞ、と心に決めたのが1982年の夏。

※「自腹で往復43万!ニューヨークでたまたま観たブロンディ最後のツアー」をご参照くだされ。

しかし、その時撮影された写真が11月には写真集『Ah-SICK』として出版され、やはり同月リリースされた、大村憲司さんと作ったアルバム『Baby Baby』で、「赤道小町」以降のテクノ色強めな方向性も一段落かなというムードの中、次のアルバムはやっぱりニューヨーク録音でしょう、という声が宣伝プロデューサーの渡部洋二郎さんを中心に高まってきました。

もちろん私は大反対で大抵抗しましたが、単に海外がイヤだ、あるいは自信がない、というような理由では聞き入れてくれるわけもなく、浜辺の砂城の如く、大きな波にひとたまりもなく押し崩されてしまいました。

そして私が乗り気じゃないものだから、渡部さんがコーディネイターを探してきて、ほとんどの段取りをセットアップしてしまいました。サウンドプロデュースをヒュー・マクラッケン(Hugh McCracken)にお願いするということも、私が決めたわけではなく、いつのまにか決まっていたのです。

その時、私はヒュー・マクラッケンがどういう人なのかまったく知りませんでした。にも関わらずこのレコーディングは、詞・曲をすべて日本で作っていくものの、リズム録り(ドラム、ベース、リズム・ギター、キーボードなどサウンドの骨格となる楽器の録音)から、ボーカル、ミックスダウン(マルチトラックに分けて録音されている音をステレオの2トラックにまとめる作業)、カッティング(実際溝を刻んでレコードの元を作ること)まで、すべてをニューヨークで行う計画でした。

今から思えば、大胆と言うか、いいかげんと言うか……。

ヒューのことを一応簡単に説明しておきますと、1960年代から活躍していたセッション・ギタリスト&ハーモニカプレイヤーで、参加したアルバムは数知れず、その中にはポール&リンダ・マッカートニー『ラム(Ram)』、ポール・サイモン『時の流れに(Still Crazy After All These Years)』、スティーリー・ダン『うそつきケイティ(Katy Lied)』『ガウチョ(Gaucho)』、ドナルド・フェイゲン『ナイトフライ(The Nightfly)』、ビリー・ジョエル『ストレンジャー(The Stranger)』、ジョン・レノン&オノ・ヨーコ『ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)』、…… と超メジャーの超名盤がずらり、プロデュースやアレンジの経験もありますが、ともかくミュージシャンとしては超一級なんです。

ググればすぐに判る今と違って、こういう裏方メインの人のことって簡単に調べられなかった時代ですから、失礼なことに、そんなすごい実績も何も知らないまま、それよりも二度と行きたくなかったニューヨークで、しかも全レコーディング作業をやり遂げなければならない不安と緊張でいっぱいだった私が、ジョン・F・ケネディ空港に降り立ったのは1983年5月4日のことでした。帰国予定は6月9日、1ヶ月以上のニューヨーク生活が、私の2度目の海外体験となりました。

結果から言いますと、ヒューはとにかくメチャクチャいい人で、その後もニューヨークを訪れる度に必ず食事など共にし、来日時には拙宅にお招きするなど、ずっと親しくさせてもらうことになります。残念ながら2013年に70歳で亡くなられましたが。当時は40歳か。私は28歳。

初対面からヒューは満面の笑顔で迎えてくれ、我々を安心させてくれました。そして、前年来たときは英語が皆目聞き取れなくてショックでしたが、ヒューはゆっくり話してくれるので、よく判るのです。

最初、日本人だから意識的にそうしてくれていると思っていたら、実は彼、そもそもとてもゆっくりしゃべる人なのでした。日本人で言うと戦場カメラマンの渡部陽一みたいな感じ?

ともかくまずは、ヒューの人柄のよさに少しだけ気持が落ち着いて、久美子本人も含めた我々の1ヶ月の滞在場所となるソーホーのだだっ広いロフトで、やたら元気な渡部洋二郎先輩の果ない四方山話と、ビールと時差ボケで、ゆるゆるとニューヨーク第1夜は更けていったのでした。


スタジオはパワー・ステーション、山下久美子のNYレコーディング につづく

2017.10.23
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カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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