私の知りえない当時の原宿の、文化的豊穣さを感じられます。ジェフ・チャンというヒップホップライターの書いた『ヒッポホップジェネレーション Can't stop, won't stop』というヒップホップの歴史を著した大著があるのですが、実はそこにも「ハラジュク」が出て来て、びっくりしました。
『1983年、「ワイルド・スタイル」の関係者は東京・原宿のショッピングエリアを訪れた〜。ポマードをたっぷり塗りつけたリーゼント・ヘアで〜、ジーン・ヴィンセントやジェリー・リー・ルイスの曲に合わせて踊る少年少女たち。〜「三日もしないうちに、公園でDJをやる人たちが現れた。グラフティの真似事も始まっていたよ」〜。新たな街、新たな国で、アフリカ・バンバータのプラネット・ロックが産声をあげた。(第10章)
当時の原宿は歴史に刻まれるほど、ヒップホップをも消化する力を持っていたことに驚くとともに、ラジカセ・「サウンド・システム」との技術的な相乗効果があったのだ、と理解できました。
2017/05/30 18:43