対談企画

第4回決して懐メロにならない松本隆作品の秘密


松本隆作詞活動50周年を記念したリマインダーオリジナル対談企画、「平成生まれと昭和生まれ、松田聖子の歌に出てくる男の子、女の子」。世代も性別も違うリマインダーのカタリベ二人の対談から、今なおファンの心を捉えて離さない歌詞の魅力について掘り下げていきます。
松田聖子が歌う松本隆が作詞を手掛けた楽曲は、なぜ今の時代も色褪せずに決して懐メロにならないのか?その理由がお二人の考察で解明しました。キーワードは “ひとさじ、ふたさじのファンタジー” 目から鱗の最終回です。
第1回 → 「松本隆作品の魅力、キーワードは『少女マンガ』」
第2回 → 「松本隆が描く歌詞の中の男の子、女の子」
第3回 → 「松本隆が紡ぐ言葉のマジック」

― お二人の話を聴いていると、松本先生の世界には、非日常感があるのと、男女のリアリティというふたつのものが見えてきますよね。

アヤ
恋愛だとリアリティはあるけど、二人の中にはファンタジックな物語性もあると思うんですよ。だからリアリティとファンタジーは繋がっている部分もあると思います。
80年代は、街とか日常が舞台として機能していた時代だなっていう風に思うし。今、たとえばマッチングアプリであった人ととりあえず付き合うことにして… みたいな歌詞があったとしても、たぶんときめくことはないと思います(笑)。日常にもドラマがあったし、非日常の世界にも連れてってくれたし、それは一続きだった時代だとは感じます。
ししゃも
当時もリアリティはあったと思います。ただ、リアリティをそのまま歌詞にしてしまうと、まったく夢がないというか。松本先生は、リアリティのある世界にひとさじ、ふたさじのファンタジーをふりかけている感じがするんです。
聴き手にリアリティをそのままぶつけても、逆に認めたくないところがでてくると思うんです。そこに夢がある感じに、たとえば似顔絵をちょっと綺麗に書かれると嬉しいみたいな、そんな風にファンタジーを加味することによって、聴き手にとっての理想のリアリティになるんだと思います。
アヤ
すごい! 今ゾクゾクしました! 松本先生の作品は「ひとさじ、ふたさじのファンタジー」! 本当にそれですね!
ししゃも
それは本当に思います。でも、本当のファンタジーにしてしまうと手が届かなくなってしまう。でもそうすると、手が届くわけですよ。それがキレイに見えるし、良く見える。すると憧れにもなるんですよね。
アヤ
確かに聖子ちゃんの曲を聴いているとそういう気持ちになってきますね! ひとさじふたさじのファンタジーで見える世界がキュンキュンするものに変わるなって思いますね。
ししゃも
自分が女性の気持ちを分からなくても、そういう松本先生の曲を聴くと、分かったような気持ちにさせてくれるんです。そういう曲が多いんですよね。
「何で先生、女性の気持ちがそこまで分かるんですか?」と聖子さんが言った記事とかを読んだことがありますが、本当にそうだと思います。
アヤ
聖子ちゃんの曲には、日常生活の中をヒロインとして生きる女子の強さを感じます。「ハートをRock」は、真面目な男子からクラシックのコンサートに誘われて、退屈だったんだけど、そんなあなたを変えたい… という歌詞の内容なんですが、普通はそういうデートに行ったら “クラシックのコンサート面白くなかったな。もう会わないかも” で終わりそうな話を、“あなたのハートをLOCKしたいの!” という気持ちで生きていく聖子ちゃんって、目の前にいる人達にとって常にアイドルなんだなって思います。ドラマもなく別れそうなのに、帰りの道でわざと間違った道を教えて少しでも長く一緒にいようとしたり、そういう部分からも日常自体がファンタジーになるんだなって思いますね。
ししゃも
この曲は男目線で聴いてもキュンキュンしますよね。歌詞の中の「♪眼鏡を外したらハンサムね 違う人みたい」っていうのも、俺にも言ってくれよって気持ちにさせてくれます(笑)。自分も高校生の頃地味なタイプで、絶対こういうのはないな… と思いながらも憧れるわけです。
アヤ
男の子にとっても少女マンガの世界に浸っている感じですね。男子にとって、聖子ちゃんみたいな女の子が現れて、こういうシチュエーションが起こったら楽しいって思いながら聴いているのは意外でした。
ししゃも
たぶんね、70年代のアイドルの曲は男の人も女の人もキラキラしているんですよ。特に男性はイケメンでスポーツも出来て女の子が憧れるという構図が多かった気がします。でも聖子ちゃんは今言った感じだし、松本先生がマッチに書いている歌詞でも決してキラキラはしていないんですよね。やはり、リアルな少年少女を描いているような気がします。
アヤ
そういう日常生活を描いているからこそ、そこにふりかかるファンタジーが映える気がするし、ファンタジーだけだと少しぼやけてしまうところに日常の手触り感があって、ちょうど理想と現実の間の不思議な時間が80年代にはあったんだと思います。夢に生きていた時代だとも思います。そこにある時間とか空間を感じさせてくれるのが、松本隆さんが作った松田聖子さんなのかなって思います。

― そういう感覚の松本隆先生が描く松田聖子作品というのは、今聴いても懐かしいという感覚ではないですよね。なぜ懐古にならないのでしょうか?

ししゃも
まず、懐メロになってないんですよね。今聴いても全然新鮮なんですよ。また少女マンガを例に出しますが、あの頃のマンガっていまだに何度も読み返すんですよ。ということは、それ自体も昔のものという感覚はない。ということは、誰の心にも十代の頃のピュアな感性って絶対残っているんですよね。どれだけ成長しても。当時の松本先生の曲を聴くと、その部分に触れるんですよね。だから、今聴いても古さを感じないし、今のものとして聴けるのかな。
アヤ
昭和の少女マンガって今読んでも色褪せないものがあって、でも逆に今の時代に同じような作品がなくって…。聖子ちゃんの曲に対してもそれと同じように感じるものがあって、その秘訣っていうと…。
ししゃも
恋をする気持ちであったり、人を労わる気持ちであったり、もしくは、悲しい気持ちの根本って何年経っても変わらないと思うんですよね。だからそこにフォーカスして、なおかつ松本先生は季節感とか景色を取り入れているので、その年代のその場所をピンポイントに書いている作詞家ってあまりいないんです。それが、どの時代で聴いてもはまるんだと思います。
アヤ
松本先生の作品はドラマチックではあるんですけど、一つ一つの物語やシチュエーションが装置として機能していて、心の動きを軸に描いていると思います。いつの時代も変わらないときめきを書いているからこそ、名作の映画や物語と同じように残っていくものだと思いますね。
時代性にあまり媚びすぎていないというのもあると思います。その時代の恋というより、松本先生がこれまで触れてきたであろう映画だったり、音楽だったり、物語だったり、そういったものが含まれていると感じます。
ししゃも
いつまで色褪せないのは、そういうところですよね。

4回に渡ってお届けした年齢も性別も超えたカタリベ同士の対談、いかがでしたか?
“少女マンガ” というキーワードからスタートして “ひとさじ、ふたさじのファンタジー” という名言まで飛び出すお二人ならではの考察から、松本隆先生、シンガー松田聖子が作り上げた世界が普遍的だということがクッキリと浮かび上がったと思います。

不自然なししゃも

ユーミンとPerfumeと80年代アイドルを こよなく愛する50代の大阪在住のオッサン。
3人の姉から様々なジャンルの音楽の洗礼を受け、ガキのころから流行りの音楽にはそれなりに敏感だった。音楽の仕事に就きたくてピアノ調律師になるも限界を感じて早々に挫折。
お堅くサラリーマンになるも音楽は続けたいから今もユーミントリビュートバンドで鍵盤弾き。音楽を取り上げられたら間違いなく死にます。

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ミヤジサイカ(アヤ)

昭和的サロン「ニュー・パルリー」の店主。昭和カルチャーをテーマにしたイベント・企画をオンライン上で運営する。昭和歌謡についてのエッセイを執筆。歌謡曲バーでのアルバイトを経験。昭和の音楽と共にある人の思い出を聞くのが好き。安井かずみに憧れており、六本木のレストラン「キャンティ」をきっかけに”サロン”に興味を持つ。

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司会・構成:本田隆(リマインダー)
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