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浅香唯 インタビュー

第3回“アイドル四天王” と呼ばれていた自分
そして “これからの浅香唯”


今回で最終回となる浅香唯インタビュー第3回目では、『スケバン刑事』、風間三姉妹との現在にもつながる絆や “アイドル四天王” と呼ばれた当時の心情、そして、“これからの浅香唯” について語ってもらいました。
第1回はこちら>>第1回「シンガー・浅香唯が今も歌いつづける理由」
第2回はこちら>>第2回「宮崎の少女が浅香唯になるまで、過酷な撮影が続いた『スケバン刑事』を振り返って」

― 今でも風間三姉妹の交流は続いているのですか?

そうですね。このコロナ禍になってからは全くですけど、その前までは、由真がアメリカに行っちゃっているので日本に帰った時は必ずみんなで会うっていうことで。1年に1回ぐらいかな。

― もう戦友みたいなものですね。

そうですね。ただ『スケバン刑事』を離れてからは不思議とこの話をしない時がしばらくあったんですよ。誰もその話をしたがらない… というか、別にしなくてもいいかな… って感じだったと思うんですけど、ある時からフッと思い出したかのように3人で『スケバン刑事』の話をし始めて、その時から落ち着いて振り返られるようになったというか…。それまでにだいぶ時間がかかりましたね。

― しなかった時期というのは、やはり辛い思い出が多かったとか、そういう部分ですか?

なんか、しなくても良かったのかなぁ… って。3人で会ったりはしていたんですよ。私は由真と住んでいるところが近かったりしたので、一緒にウォーキングしたりとか、ご飯作りすぎたから持っていってあげるとか、そんな関係性だったので、『スケバン刑事』で繋がっていたというのは、どこかで忘れかけていたのかなぁ… とは思います。

家族同士の会話から生まれた “風間三姉妹” コンサート

― そういうことだったんですね。それほど仲も良かったし、自分たちのルーツが『スケバン刑事』だっていうことが、ある時、みんなの気持ちの中に芽生えてきたということですね。

そうですね! 今まで3人で会っていたのが、由真が結婚して、そこにご主人がいて… とか、私も結婚して旦那がいて… とか、3人だけじゃなくて、そこにそれぞれの家族が集まるようになってきたときに昔を懐かしんで話すようになってきました。

あと、私の旦那が「スケバン刑事が集まるとやっぱすごいな」って何気に言ったことがあって、そこから「そうだね(笑)」ってなって、そんなところから昔話が始まって、そこから3人でコンサートやってみる? なんて話が広がっていきました。その時は「いやいや出来ないでしょ」ってなりましたが、そういうちょっとした冗談から本当に実現したんですよね。

― やはり、近い人たちだから… っていうのがありますよね。誰かが仕組んだというのではなくて。

本当ですね。自分たちからの自然な発信というか気持ちだったし、「はい、やりなさい」と言われたのではなく、「やってみようか」っていうところからでした。でもみんな「本当に出来るの?」っていう不安しかなかったんですよ。でも、やはり、その不安は3人で解消できるんだな… っていう。あの頃みたにお互い励まし合って。それで出来るんだんね! みたいに。

キャラが違う4人。“アイドル四天王”って呼ばれても… という戸惑い

― 『スケバン刑事』で人気が急上昇して、その頃から “アイドル四天王” と呼ばれてきますよね。

“アイドル四天王” というのは、周りの人がそう呼んでいただけで、私もそうですけど、他のみなさんもそんなにピンときていなかったと思います。それに4人が揃ったことは、後にも先にも1回しかなかったですから。1回だけ全員が揃ったことがあるんですよ。その時も4人でそういう話になって、“アイドル四天王” と呼ばれても… っていう戸惑いもあったし、お互いに「あっ美穂ちゃんだ。静香ちゃんだ」みたいに、お互いアイドルであっても特別な存在ではありました。

― みんなキャラクターが違いましたしね。デビュー時期はみんな同じで85年ですよね(工藤静香のみソロデビューは87年)。“アイドル四天王” と呼ばれる以前の芸能界は、おニャン子クラブの人気が凄くて、その後に本格的なアイドル指向に変わっていった時期でもあると思います。その中で、自分が一番ライバルだなと思った人はいましたか?

当時のアイドルの皆さんってキャラクターが全く違っていたんですよ。そのキャラクターを活かして活動されていたので、「この人私のライバルだな」っていうのは、他の人もなかったんじゃないかな… って思います。
たまたま私は静香ちゃんと楽曲のリリース時期がいつも同じで、歌番組で一緒になるから、逆に私としては嬉しかったですね。だから強いて言えば静香ちゃんかな?

― それぞれのキャラクターも、楽曲のタイプも全然違いますよね。

全然違います。だから被るところも、ぶつかるところもなく。でも何回会っても「わぁー静香ちゃんだ!」って思いますし… 四天王とか言っていただくのは有難かったのですが、多分静香ちゃんも「フ~ン、そうなんだー」ぐらいにしか思ってなかったんじゃないかな。

楽曲は全部可愛い我が子。全員出来がいいんです

― でも未だに言われ続けていることが凄くて、時代、時代を見ていっても、80年に松田聖子さんがいて、82年のデビューに小泉今日子さんがいて… という、その流れで浅香さんがいるというのは、時代を俯瞰した上でも特別な存在だったと思います。でも、多忙を極めた時期のアイドルって大変だったと思います。

大変でしたが、楽しいことの方が、圧倒的に多かったので、だからやってこれたと思います。

― その中でも歌手というのが、自分の中の中心だったと思いますが、一番思い入れのある楽曲というのは?

楽曲は全部我が子なので、「この子は出来がいいんですよ」っていうのは、特別にいなくて、全員出来がいいんです。
代表曲が「セシル」とか「C-Girl」とか「Believe Again」とか言われるんですが、「いやいや、同じぐらい出来のいい子がたくさんいるんですよ!」って(笑)。やはり、選べないですよ。死ぬまでには1曲選んで、送ってもらう時の曲にしようと思いますけど(笑)。

―「楽曲提供するアーティストも当時のヒットメーカーのNOBODYのおふたりだったり、TMネットワークの木根尚登さんだったり、織田哲郎さんだったりして、その中で、作家さんが変わると楽曲のスタイルも変わってくると思います。達成感とか苦労とかありましたか?

幸いみなさん、楽曲を作っていただく時に私をイメージしてくれました。織田哲郎さんに関しては、私が歌ったら、想像していた仕上がりとは違っていたと言われたことがあったんですよ(笑)。でも、それはそれで、新しい世界ができたわけだから。曲を作った方がイメージしたものと、仕上がったものが必ず一致するかというと、そうではない時もありますよね。
でも楽曲は私をイメージして作ってくださっているので、私はそこに乗っかって表現するという部分に専念していました。
レコーディングの時も木根さんとかNOBODYのおふたりとかスタジオに来てくださって、「ここはこういう感じに歌ってもらいたくて作った」とアドバイスしてくださったこともありました。それでも、作曲者の方のイメージとは違うということがありましたね。

ステージで倒れてもいい! 今も変わらない魂を込めてステージに立つ信念

― 浅香さんの楽曲であるわけだから、浅香さんらしさが出せれば一番良いと思います。そんな浅香さんが一番多忙を極めた頃は『YAWARA!』が公開されて「True Love」が1位になった1989年ぐらいですか?

その前から忙しかったですね。

― 1989年の『ロックンロール・サーカス・ツアー(YUI ASAKA SUMMER TOUR’89 ROCK’N ROLL CIRCUS)』で高熱を出されたというのもありましたよね。

ありました、ありました(笑)。そうなんですよ。若いとは言え体力的な限界みたいなものもあって、その頃バタバタしてましたね。ツアーが何回か振替になったりもしました。

― それでもやり遂げたことというのが、今ものステージにも生きている感じですか?

そうですね。私はステージに立っているときは、万が一ここで倒れてもいいや! っていうぐらいの気持ちで臨んでいます。魂を込めてステージに立とうと思っているので、これは若い時から変わらないですね。

新しい浅香唯、新たな冒険。恐れずいろいろなことにチャレンジしたい

― だから歌い続けていられるんですね。最後の質問ですが、ずっと応援してくれているファンの人たちに今の心境をお願いいたします。

私がライザップをやらせてもらったのも、50歳の時にまだまだ “浅香唯” でいようと思ったので、ちょっと新たな冒険で始めた… というのもありました。Instagramを始めたり、今年に入ってYouTubeを始めたりとか、新しいことにチャレンジしています。この歳になって、まだ新しいことにチャレンジしていいんだっていう気持ちになりました。

以前までは、心のどこかで、「私、もう50歳になっちゃうのか」って思ったんですが、でも実は、全然年齢じゃないんだな… って今は思っています。気持ちひとつで変わっていけるんだなっていうのが、50歳を超えて分かったというか、気づいちゃったんです。だから、これからもっともっと恐れずに色々なことにチャレンジしていけたらいいなって思っています。

― これは女性のファンの方にも大きなメッセージになりますよね。

ライザップをやったことによって、「えっ? その年齢で頑張っても出来るんだ!」って知ってもらいたいし、ボディメイクって若い人がやるものだっていう勝手な思い込みが私の中にもありましたが、でも、それも年齢を言い訳にしているだけで、本当にその気になれば、人って何でもできるんだ。50代、60代の人って全然元気じゃないですか。
私もいきいきしている同世代の人に励まされたり、たくさん元気をもらったりすることが多いので、私もそのひとりになりたいなっていうのはありますね。

― では、ファンの人たちは、これから新たな浅香唯に出会えることがあるんですね。

そうですね!ライザップをやって、私が今までやらなかったことを始めて、「この人なんか始めちゃった!」っていう驚きがあったと思いますが、そういう驚きをこれからも感じてもらえたら嬉しいです。

浅香唯さん、長時間に渡るインタビューに答えてくださり、ありがとうございました!

インタビュー・文章:本田隆(ライター/リマインダー)

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