平成生まれ女子鼎談「私と明菜ちゃん」- 特集 Re:minder × 中森明菜


最終回今の音楽と中森明菜の違い

中森明菜×リマインダーとして5月から大特集しています。82年のデビュー曲「スローモーション」からワーナー時代にリリースされた楽曲を連日ピックアップ。これに引き続き6月9日に明菜さんのワーナー時代全タイトルを網羅したシングルボックス『ANNIVERSARY COMPLETE ANALOG SINGLE COLLECTION 1982-1991』がリリースされます。これを記念して平成生まれ女子が語る「私と明菜ちゃん」というテーマの鼎談にしていきたいと思います。最終回である第4回は、中森明菜と今の音楽との違いについてです。

― これまでは、昭和ポップスの中で中森明菜という存在がいかに特別なものだったか、歌手、パフォーマーとしての完璧さと、素顔が垣間見られる部分に魅力があったことを語ってもらいましたが、今回は「歌姫・中森明菜」にポイントを絞っていきたいと思います。

昭和に限らず優れた歌手というのは、いつの時代も現れていると思いますが、中森明菜の決定的な違いはどこですか?

さにー
今のアーティストの方々って、セルフプロデュースもするし、自分で楽曲を作っている人も多くいますが、その方々との違いは “大衆性” かな… と思っていて、今、音楽にはたくさんのジャンルができて、誰もが親しむという大衆性がほぼなくなってきていると思うんです。ランキング見ても、紅白を観ても、「この人誰?」ってよくあると思うんです。その中でアーティストがどういう人に曲を作るかと言うと自分の中の世界を表現するだったりだとか、あるいはすでに顔が見えているファンに向けて作ると思いますが、80年代、明菜ちゃんの場合は、老若男女すべての人に届くように作られていると思います。そこが好きなところでもあるんですね。昭和ポップスが好きな理由もそこになります。

家族全員でテレビを観て、全員で楽しんでいた時代に、全員に届くように見せ方を研究して、全員に届くように魅せ方を研究して、全員に届くようにプロデュースして、それがさらにヒットするという大衆性がすごいと思います。
アヤ
大衆性というところでいうと、そこに表裏一体にあるのが、プレッシャーだと思っています。例えば聖子ちゃんがスタジオに現れると場が華やかになるけど、明菜ちゃんは、場に緊張感をもたらした、という話を読んだことがあるんです。聖子ちゃんって、みんなのメディアだし、プロジェクトがあったと思いますが明菜ちゃんって、B面だったはずの「DESIRE~情熱」をA面にするだとか、つまり大衆に向けて歌う音楽にひとりで矢面に立つ存在ってすごいプレッシャーだと思う。もちろん聖子ちゃんにも1位を取り続けなくてはいけないなどというプレッシャーもあったと思いますが、聖子ちゃんが来ると現場が華やぐ、一方明菜ちゃんが来ると緊張感が立ち込める。ふたりともすごくプロ意識があったと思いますが、明菜ちゃんは当時、新しいことを追求しているから、孤高だけではなく、いろんな責任を背負ってあの場に立っているから、自分が選んだものの責任を果たさなくてはならない… という思いが表れているのだと思います。

もうひとつは、明菜ちゃんは止まってない… ということかな。変わらないままいる印象を抱かせる人って、変わり続けている人だし、すごくおしとやかで、たおやかな中に苦悩しながらも前に進もうとするエネルギーを感じます。見かけはクールですが、あの「スローモーション」から出てきて、ツッパリにいって、その後もめまぐるしく変化をしていくという。その変化が歌姫たる所以だと思います。やはり、今ご本人の姿を表舞台で観れない時であっても、明菜ちゃんが変わり続けていたことは感じているから、時代を超える歌姫だと思います。
ルネ
もし現代に明菜ちゃんのようにセルフプロデュース力に長けていて、歌う楽曲にこだわりがあるアイドルがいても、それによって引き起こされる影響は全然違う。自分莫大な影響力を持っているということを分かっていて、その上で自分の表現をしたい、という覚悟が中森明菜という存在を作ったのだと思います。
アヤ
ひとつの舞台に巻き込む人数とかも違うと思うし。
ルネ
全然違いますよね。今の音楽と比べると、マーケットがあまりにも大きいっていうのもあるし。でもその分、許される幅も大きかったと思うんです。

聖子ちゃんは王道を行って、場を明るくしてプロジェクトを体現しているから、その聖子ちゃんがいるからこそ、人生を賭けての表現をセルフプロデュースできたっていうのもあったと思います。
アヤ
演歌が常連だったレコード大賞を取れたのも明菜だから… っていうのもありますね。

― 今のサブスク時代の音楽と中森明菜は、どこが圧倒的に違いますか?

アヤ
私が普段聴いている最近のアイドルの曲はコールしたり、オタ芸打ったり、合いの手ありき… みたいな部分があります。明菜ちゃんも「DESIRE~情熱」とか「はぁ!どっこい!」とか掛け声かけるのは私も好きですが(笑)明菜ちゃんの楽曲に合いの手を入れるイメージってないですよね。

共同性っていうか、今はファンと一緒に作り上げていくというイメージが大きいですが、明菜ちゃんは違いますよね。明菜ちゃんのステージは映画を観ている感覚に近いですね。
さにー
野口五郎さんが言ってたんですけど、70年代、アイドルはプロ歌手予備軍だったと。まさに明菜さんも後年はアーティストになっていますけど、デビューした時すでにプロ歌手予備軍としてのアイドルだったのかなと思います。
アヤ
アイドルではない女性歌手で思い浮かぶのはシンガーソングライターがメインで、作詞家・作曲家がついて歌う歌手って、昔ほど多くないのかなと思います。誰かから楽曲提供されてそれを完璧に歌手となれば尚更。
ルネ
作詞家、作曲家を介在している歌姫っていないですね。

― 昭和の時代は役割分担がはっきりしていて、それが良かったのかもしれないですね。

アヤ
役割分担でいうと、最近は全部歌詞を書いて、曲も作って、自分の好きなパッションで… というシンガーソングライター系の人と、逆にセルフプロデュースでも音楽を作る人、歌う人、MVのような映像を作る人みたいな分業に特化したプロジェクトを多く見かけますよね。

K-POPとかはプロが作った曲を完璧にアーティストが体現するっていうものだし、そこは中森明菜のスタンスと近いかもしれないですね。
ルネ
そういえば、韓国で、明菜ちゃんってすごく人気が高いらしいです。YouTubeとかでも、韓国のファンの人が作っている明菜ちゃんの動画がたくさんあって、かなり高評価が付いているんです。だから、誰かが作った楽曲を表現するというK―POP的な価値観の最高峰に明菜ちゃんは今も君臨しているんだと思います。
アヤ
最後の最後、アウトプットするところを細やかな神経で具現化する。そういう明菜ちゃんを “伝統芸能” だと思っています。演目が決まっているものを表現するという、舞踊とか、歌舞伎の芸能性、職人的なものを感じますよね。

― おそらく、作詞家の人はこういうイメージ、作曲家の人はこういうイメージ、アレンジの人はこういうイメージ。では明菜さん、歌ってもらいましょう… ってなった時に、彼女は、それ以上のものを生み出すんでしょうね。

アヤ
そういう部分を担っている人なのかもしれませんね。女優的でもありますよね。そこが特別な存在である所以だと思います。
ルネ
美学があって。明菜ちゃんって本名で活動しているというところも大きいと思います。そこに覚悟とか責任感とかを感じますよね。

松田聖子は、蒲池法子から松田聖子になった。つまり、”松田聖子になる前の時間”が存在しますが、明菜ちゃんは中森明菜になる前というのが存在せず、生まれた時からずっと”中森明菜”になってしまう。それはすごい覚悟ですよね。
さにー
もともと芸名が用意されていて、それを拒否して本名でいくと決めたときから覚悟があったんだと思います。その責任感がどこから来るのか… って考えると、やはり自信があったのかなぁ… っていう風に思って、その時点で自分らしさとは何かということに気づいていたんだと思います。どれだけ俯瞰して観れる人なんだろう… って。

松田聖子さんはプロジェクトの中で与えられた役割を完璧にこなしていくというイメージが私の中であるのですが、それとは対照的に中森明菜さんは、自分をどこまで俯瞰してどう見せるかっていうスタンスだったと思いましたね。
アヤ
“自分らしさ” というのが明菜ちゃんのキーワードだったと思えて、「ジプシー・クイーン」あたりの異国に行くイメージも、常に自分探しの旅というか、“らしさ” とは何かを問い続けて、唯一無二の自分… っていうのを人前で表現するのは、そこに淋しさとか、孤独さとか、そういう部分と表裏一体で、それでうまくいかなくなることもあると思う。

芸名を拒否して、自分らしさでやっていくことを決意した人。その覚悟はロックスターっぽくもありますよね。

自分の名前で、ひとつの生き様の中で、いろんな楽曲をやっていこうっていう、それが “中森明菜” というブランドであり、その中で “らしさ” を模索していった人ですね。

4回に渡ってお届けした平成生まれ女子鼎談「私と明菜ちゃん」いかがでしたか?
やはり、リアルタイムで観たファンとは違った視点や深い考察力が素晴らしかったと思います。
やはり、中森明菜は時空を超えて多くのファンに今も愛されているようです。

さにー

Webサイト「あなたの知らない昭和ポップスの世界」を運営。昭和ポップスに興味を持った若者を沼の底まで引きずり込むべく各種活動をしている。
後追い世代のためのコミュニティ「平成生まれによる昭和ポップス倶楽部」でコラム執筆中。 NHK第1にて「さにーのZOKKON!昭和ポップス」に出演。(毎月第2・第4金曜 10:33 〜10:50)
Twitter : @syowa_suki

ミヤジサイカ(アヤ)

昭和的サロン「ニュー・パルリー」の店主。昭和カルチャーをテーマにしたイベント・企画をオンライン上で運営する。昭和歌謡についてのエッセイを執筆。歌謡曲バーでのアルバイトを経験。昭和の音楽と共にある人の思い出を聞くのが好き。安井かずみに憧れており、六本木のレストラン「キャンティ」をきっかけに”サロン”に興味を持つ。
Twitter : @aya_parlee

郷ルネ

昭和的サロン「ニュー・パルリー」の店主。昭和カルチャーをテーマにしたオンライン上のイベント・企画を運営する。学生時代は手書きのミニコミ誌に記事を書いたり、ゴールデン街でアルバイトをしていた。11歳の時、フィンガー5にシビれて以来、昭和の風景や文化に傾倒する日々を送る。70年代の新宿、80年代の新興住宅地、90年代の渋谷の景色とそれに似合う音楽が好き。
Twitter : @rune_parlee

司会・構成:本田隆(ライター/リマインダー)
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