第1回「私と明菜ちゃん」との出逢い
中森明菜×リマインダーとして5月から大特集しています。82年のデビュー曲「スローモーション」からワーナー時代にリリースされた楽曲を連日ピックアップ。これに引き続き6月9日に明菜さんのワーナー時代全タイトルを網羅したシングルボックス『ANNIVERSARY COMPLETE ANALOG SINGLE COLLECTION 1982-1991』がリリースされます。これを記念して平成生まれ女子が語る「私と明菜ちゃん」というテーマの鼎談にしていきたいと思います。
― 先ほどからBGMとして中森明菜が流れていますよね。僕らはリアルタイムで中森明菜の歌をどこで聴いていたかな… って思い出してみると、街で聴いていたんだな… っていう印象がありました。80年代っていうのは有線なんです。喫茶店に入っても、町中華に入っても、ゲームセンターに入っても有線放送で中森明菜が流れていた時代だったんだなぁ… って。彼女の歌を改めて聴いて街の風景がパッと浮かんだんですね。
でも、みなさんは中森明菜って自分から主体的に動かないと手に入らない音楽ですよね。まず、一番初めに聞きたいのは、中森明菜にいつごろどうやって出逢ったのかということです。その時の気持ちも含めて教えてください。
- さにー
- 私は、そもそも昭和ポップスの全体が好きなんですけど、その最初のきっかけが明菜ちゃんでした。今28歳なんですけど、21歳、大学3年の時に人間関係が上手くいかなくて、夜な夜なYouTubeを観て自分の心を癒す音楽を探していた時期があったんですね。そこでたまたまおすすめの中に中森明菜さんがでてきたんです。「十戒(1984)」を最初に観て、「なんじゃこれは!」ってそこで衝撃を受けたんです。中森明菜さんって凄い人だったんだな… っていうのと、それに加えて、この時代(80年代)って全員とんでもない時代なんじゃないか! って思って。それから周辺の音楽を掘り始めたんです。だから中森明菜さんとの出逢いは昭和ポップスとの出逢いでもあるんです。
― なぜ中森明菜が響いたんですか?
- さにー
- 「愚図ね カッコつけてるだけで 何もひとりきりじゃでできない…」っていう歌詞がありますよね。「ひとりきりじゃできない」って言ったあとに、そっぱをむいていた明菜さんがこちらに視線をよこした瞬間に心を鷲掴みにされました。どこにカメラがあるかとか、どういう世界観かとか、そういうことをおそらくすべて考えた上でこの人は歌っているんだな… っていうことが伝わってきて。そんなパフォーマンス×音楽の世界観の完成度に圧倒されました。
- アヤ
- 私は大学3年の時から歌謡曲バーでアルバイトを始めたんです。だから有線に近い感じかもしれない。アルバイトをしているときに明菜ちゃんの曲が流れて、それで知りました。
我が家は母が聖子ちゃん好きで聖子育ちだったんです。でも「飾りじゃないのよ涙は」だけは知っていて、e-kara(イーカラ)とかで歌っていたんです。でも、大人になって歌謡曲バーで初めて「スローモーション」の時の明菜ちゃんを観たんですね。それまでは可愛いといえば聖子ちゃん、カッコいいと言えば明菜ちゃんって思っていたのですが、「なんだ! この天使のようなチャーミングさは!」って衝撃を受けました。目がぱっちりしていてタレ目でぼってりした唇が半分開いていて魅惑的な感じ! 西洋画の天使みたいな感じで釘付けになりました。「スローモーション」の曲もめちゃめちゃ気に入って、今も明菜ちゃんの中で一番の曲は「スローモーション」じゃないかなって思うくらい好きなんです。胸の奥がソーダ水みたいにシュワシュワしちゃうような(笑)。そういうデビュー時の明菜ちゃんの艶めかしさみたいな感じに圧倒されて、この曲をカラオケの十八番にしたいぞ!と決めてからは、ずっとカラオケで歌っています。
- ルネ
- 私が明菜ちゃんに出逢ったきっかけは、本当に変なんですけど、算数の問題集なんです。その算数の問題集を作った人が茶目っ気ある人だったみたいで、「聖子さんは500円のリンゴを2つ買いました明菜さんは700円のナシを3つ買いました」みたいな感じで聖子と明菜が問題文の人名として選択されていたんです。その時聖子ちゃんのことは知っていたんです。小学校5年生ぐらいだったんですけど、家に聖子ちゃんのCDボックスがあって、めっちゃ好きで聴き込んでいました。それでなんとなく「聖子ちゃん」の反対語として「明菜ちゃん」があるって認識していたんですよ。で、問題文を見たあとにTSUTAYAに行って明菜ちゃんのベストアルバムを借りて聴いてみたというのが出逢いでした。その問題を作った人には今も感謝しています(笑)。
それが無味乾燥な受験の中に、誰かの趣味を発見したみたいな感じですごく嬉しくて「これは明菜も聴かなきゃ!」って思ったんです。
私も最初に聴いたのは「スローモーション」だったんです。ベスト盤の1曲目に入っていて。そこで映画の世界へ連れて行かれるような良さを感じましたよね。 - アヤ
- 私は“「スローモーション」デビュー” が遅くて、ハタチを過ぎてからですね。店長が「スローモーション」好きだったので、ずーっと流れていたし、お客さんのリクエストでも1位になっていました。だから働いている間に歌詞を覚えましたね。
- さにー
- 私もアヤちゃんもハタチを超えてから明菜ちゃんに出逢っているわけですが、ルネさんは小学校5年生の時に聴いて、その世界観をどう受け取りましたか?
- ルネ
- 最初に聴いた時CDだったのでヴィジュアルイメージがなかったんですよ。だからさっき、さにーさんが言ったようなパフォーマーとしての明菜ちゃんの魅力に気づくのは大分遅れたんです。その時は歌詞の世界にのめり込んでいって、そうすると、それまで明菜ちゃんといえば大人っぽいというイメージだったのが、最初はお姫様みたいなイメージだったと分かるんですよね。だって「スローモーション」の「そのあとを駆けるシェパード 口笛吹くあなた」ってありますよね。ここからもお姫様とか少女漫画の主人公みたいなイメージから出発して、「少女A」ですごい突っ張って「1/2の神話」でも「この娘って悪い娘じゃないかしら?」みたいなことを色々思いながら聴いて… どんどんイメージが変わっていくじゃないですか。女の子の成長の変遷みたいなものを感じて、そこにすごく憧れました。私の人生が本格的に始まる前だったから、このような素晴らしい出来事がすべて起こるに違いないって思いながら聴いていました(笑)
- さにー
- それで映像の明菜さんに出逢ったのはいつぐらいですか?
- ルネ
- 中学生ぐらいですね。もっと色々掘り始めて、当時の映像を流す歌番組を意識して観始めて「えっ、こんな歌だったんだ!」っていう驚きばかりでした。今もよく覚えているのが高校生ぐらいの時に観たマツコデラックスさんの番組だったんですが、「十戒」の映像に触れながら、「この目線のつけ方や振り付けは明菜が自分で考えていたのよ」ってマツコさんがおっしゃっていて…
- アヤ
- マツコさん、ミッツさんにもらった明菜のイメージって結構あるかもしれない。
- ルネ
- そうなんですよね!このおふたり経由で明菜へのリスペクトを深めるっていうのは結構ありました。
- アヤ
- マツコさんが「明菜よ!!」で語尾を強めると、「あぁそうなんだ!」って思うところはあります(笑)。
- さにー
- 明菜さんって映像で観た時の方が胸を掴まれる感じが強いんですよね。パフォーマンス自体もそうなんですけど、その時代だと音楽番組は生演奏じゃないですか。「禁区」とか打ち込みの部分もありますが、テレビではすべて生演奏でやってるじゃないですか。その豪華さと、たったひとりで立っている明菜さんが、あの孤高な世界観を作っているというのも大きいと思います。
ああいう “陰” の要素をもっているアイドルって今いませんよね。聖子さんのフォロワー的アイドルは今もたくさんいると思うんですよ。アイドルの始祖みたいな方だし。でも、明菜さんのフォロワーっていないというか真似できないですよね。聖子さんは真似できるというわけではないのですが。私の世代は明るい、しかもグループアイドルが主流になっていたので、ソロのアイドルで、しかも陰の要素を振りまきながらもすごくカッコよくて可愛いって、私の世代にはいない。だからこそ惹かれたというのはありますね。 - アヤ
- あと、明菜さんはアイドルではなくて、アーティストっていうのも言われると思いますが、それ以上に “女優” だと思っています。曲の世界に入り込んで、それを完璧に演じるみたいな…
「十戒」がなぜ音源で聴くより映像がいいのかっていうと、透け感のあるフワッとした衣装なんです! そこにフェティッシュな手袋とブーツを合わせるっていう! あれって曲のリズムと振りが一致しているなかで、すごく映えるんですよね。音楽とリンクしてショーを観ている感じがするんです。伝統芸能、無形文化財みたいなことを思ってしまう。だからどの番組に出ていてもパフォーマーとしてシングルごとのカラーがあっていろんな表情を見せてくれる。ひとつ決まったシングルに紐づいたひとつの世界をどの番組でも魅せてくれるというのがいいんですよね。 - ルネ
- 中森明菜印っていうね。
- さにー
- 曲の振り幅がものすごいじゃないですか。それに合わせてそれぞれの世界観を交互にだしていくというのがすごいですよね。
- アヤ
- みなさん、「スローモーション」好き… みたいなのがあったと思うんですが、「少女A」で、次これ歌うよ… ってなった時に「これ歌いたくない。スローモーションのほうが好き」ってはっきり言えるってすごいですよ。当時17歳ですよね。いわゆる普通の(笑)ほとんどの人は17歳じゃ言えないし…
- ルネ
- 明菜ちゃんって、自分の意志をしっかり言葉にする人なんですよね。山下達郎を憤慨させたこともあるらしいです(笑)。
竹内まりやが作詞作曲して山下達郎がプロデュースした『駅』あるじゃないですか。明菜ちゃんがこの曲を歌うことになった時、山下達郎としては、朗々と歌い上げて欲しかったらしいんです。でも彼女は断固拒否して、「私は切々と歌いたい」と、、ウィスパー気味にポツリポツリと歌ったんですね。達郎、は思い描いていた世界ではないと感じて「違う!」と憤慨したらしいんです。だから後に竹内まりやがセルフカバーすることになったんです。まりやはオーケストラをバックに朗々と歌い上げていて、今や竹内まりやの代表曲になっていますよね。そんな竹内まりやバージョンができたのも、明菜ちゃんが「私の「駅」はこれじゃない」と思ったから。こうしてふたつの「駅」が生まれたんですよね。
若いアイドルが「私の歌はこれだから」って言ったのに対して、山下達郎は確かに憤慨したけれども、「デキるやつ」とも思ったんじゃないかしら。
<次回予告>
次回は、もっと深く楽曲にフォーカス。平成生まれ女子たちの琴線に触れた中森明菜の楽曲は?
歌詞の深読みやステージパフォーマンスについても熱く語ってもらっています。
さにー
Webサイト「あなたの知らない昭和ポップスの世界」を運営。昭和ポップスに興味を持った若者を沼の底まで引きずり込むべく各種活動をしている。
後追い世代のためのコミュニティ「平成生まれによる昭和ポップス倶楽部」でコラム執筆中。
NHK第1にて「さにーのZOKKON!昭和ポップス」に出演。(毎月第2・第4金曜 10:33 〜10:50)
Twitter : @syowa_suki
ミヤジサイカ(アヤ)
昭和的サロン「ニュー・パルリー」の店主。昭和カルチャーをテーマにしたイベント・企画をオンライン上で運営する。昭和歌謡についてのエッセイを執筆。歌謡曲バーでのアルバイトを経験。昭和の音楽と共にある人の思い出を聞くのが好き。安井かずみに憧れており、六本木のレストラン「キャンティ」をきっかけに”サロン”に興味を持つ。
Twitter : @aya_parlee
郷ルネ
昭和的サロン「ニュー・パルリー」の店主。昭和カルチャーをテーマにしたオンライン上のイベント・企画を運営する。学生時代は手書きのミニコミ誌に記事を書いたり、ゴールデン街でアルバイトをしていた。11歳の時、フィンガー5にシビれて以来、昭和の風景や文化に傾倒する日々を送る。70年代の新宿、80年代の新興住宅地、90年代の渋谷の景色とそれに似合う音楽が好き。
Twitter : @rune_parlee