井上昌己 インタビュー

最終回 タイアップソングの制作秘話と
初のDVD化の映像作品について


井上昌己は1989年5月24日、シングル「メリー・ローランの島」、アルバム『彼女の島』でデビュー。90年代ブームになった「ガールポップ」というジャンルの先駆者としても知られる存在だ。そしてデビュー33年目を迎えた今年2021年、デビューから約10年間所属したトーラスレコード時代に発表したアルバム18タイトル(ベストアルバムを含む)のサブスク解禁と同時に、映像作品4タイトルを一つに集めた『LIVE&CLIP COLLECTION 1990-1996』が発売される。今回このリリースタイミングで、デビューするまでのエピソードや、トーラスレコード時代の制作秘話などを中心にインタビューさせていただいた。
最終回の今回は、多くのタイアップソングを世に送り出してきた当時の制作秘話を含め、この度リリースになる映像作品のお話を中心に伺った。

第1回→ 井上昌己の学生時代〜デビュー前夜
第2回→ ついにデビュー!そして“ガールポップ“ムーブメントの先駆者に

初のタイアップソング「瞳 -まなざし-」作曲は財津和夫

― 井上昌己さんといえばトーラス時代のシングルは特にタイアップが多くついていたという印象があるのですが、やはりレコード会社の方の力は大きかったですよね。タイアップがついていた楽曲について伺いたいのですが、最初のタイアップソングは、セカンドシングルの「瞳 -まなざし-」(1989年6月21日発売)ですよね。

昌己
この曲は財津和夫さんに書いていただいた曲ですが、『土曜だエブリバディ!』(ABC系)のエンディングテーマに起用していただきました。私がまだCDデビューする前に、この番組に出演させていただき、生でエンディングを歌ったことがあります。この時が私の初めてのTV出演です。

― サードシングルの「YELL! -16番目の夏-」(1989年6月21日発売)は『熱闘甲子園』(ABC系)挿入歌ですから、今でも胸熱になる方が多いのではないでしょうか?

昌己
この曲は毎年夏になるとラジオなどにリクエストが来るようです。敗者を称える歌ですが、甲子園でも最終的に優勝するのは1校じゃないですか、そういう意味では戦うすべての人に「YELL!」が届けばという気持で今でも大切に歌っています。

― 「魚座(さかなざ)たちの渚」のカップリング曲「ラ・ブートニア」(1990年1月24日発売)は『花の万博EXPO'90』イメージソングですが、当時は様々なタイアップソングがありましたね。

昌己
この曲は、万博の会場で多くのお客様の前で歌ったのを憶えています。大きいタイアップもありましたが、地方局の番組のタイアップや深夜放送のヴァラエティなどのタイアップも多かったですよ。

代表曲「恋はLiberty」は、
“ぐるナイ” の初代エンディング

― 昌己さんの代表曲でもあります「恋はLiberty」(1994年3月30日発売)は人気番組『ぐるぐるナインティナイン』の初代エンディングテーマでしたね。

昌己
「恋はLiberty」はぐるナイの初代のエンディングだったのに、Wikipediaで調べると何故か私の曲だけ載ってないんですよ。番組の記者会見にナイナイ(ナインティナイン)さんと一緒に出席したのに…!(笑)。でも、インストア・イベントなどでこの曲を歌うと、聴きに来てくださる方がいらっしゃるので、タイアップソングの力というのは大きいと思います。

― 「純心」(1995年11月8日発売)はアニメ『怪盗セイント・テール』初代エンディングテーマ、「Up Side Down-永遠の環-」(1996年5月20日発売)は二代目のエンディングテーマでしたが、やはりアニメのタイアップというのは影響力大きいですか?

昌己
フリーライブで明らかに私のファンでないと思われる、若い世代の女性の方がいらっしゃるときは、セイント・テールの曲が好きなアニメファンということが多いです。タイアップがきっかけで曲を知って下さるというのはとても嬉しいですし、私にとっても大切な曲です。

コンサートの定番ソング「恋が素敵な理由」制作秘話

― そして、井上昌己さんの代表曲である「恋が素敵な理由」(1993年1月20日発売)ですが、「CASIO SUPER電子手帳Jr.」CMソングに起用されヒットになりました。当時の制作秘話を教えてください。

昌己
「恋が素敵な理由」はタイアップを取るためにキャッチーなメロディを作ったのですが、コンペに出して見事採用になりました、最初はサビしかない曲だったので、そこから膨らませて1曲に完成させた曲です。実は「お願い お願い」の部分には最初英語の歌詞がついていたんですよ。

― この曲は楽曲の良さと、時代の流れに沿ったサウンドがマッチしてヒットに繋がったように思います。コンサートでは必ずこの曲を歌って下さるので、ファンとしては嬉しいです。

昌己
通常のライブでは出来るだけ皆さんに喜んでいただけるような選曲を心がけています。ここ10年くらいマンスリーライブをやらせていただいているんですけど、そちらではアルバムの隅々の曲までファンの方がリクエストして下さるので、ほぼすべての曲が埋もれずに済んでいます。選曲のバランスはマンスリーと通常のコンサートで取れているのかもしれません。

― ファン投票をすると見事に票が割れてしまうんじゃないですか?

昌己
同じような曲を作っていると、最初に自分が飽きてしまうのでいろいろなタイプの曲を作るようにしています。様々なタイプの曲を作るのが原因なのか、ファン投票をすると見事に票が散ってしまうんです。25周年の時にリリースした「Welcome to my home」はファン投票を参考に選曲をしたんですが、30曲の収録曲に対して200数十曲のリクエストが来てしまい選曲するのに苦労しました。

ここまで長い間活動出来たのはファンに支えられているおかげ

― ここまでのお話を聞いていると、昌己さんにはいろいろなタイプのファン層がいらっしゃるように感じます。

昌己
そうですね「ガールポップ」的なキラキラしたアレンジが好きなファンや、バラードを好きで聴いて下さるファン、アニメのタイアップから入ってくれたファンもいらっしゃって、自分で言うのもなんですが、ここまで長い間活動出来たのはいろいろなタイプのファンに支えられているおかげだと思っています。

― 先日ライブを拝見させていただいて「悪いひと -もうひとつのBitter-」(1995年2月22日発売)の曲の良さを今さら再確認しました。

昌己
ありがとうございます。ライブでは定番ソングでもありますし、ファン投票の中でも圧倒的に人気の高い曲です。この曲は常にキャッチーな曲を模索する中で生まれた曲でした。90年代はタイアップがないとシングルが発売できない時代でしたし。

― デビュー時にいつか全曲を自作曲でアルバムを作りたいと思っていたとおしゃってましたが、早くも1991年のアルバム『Balancin' Love』は全曲自作曲のアルバムになりましたね。

昌己
ようやくソングライターとしてレコード会社からも認めて頂けた時期の作品だと思います。とにかくメロディだけは溢れるように出てきたので、そこから選ばなければいけなかったスタッフは大変だったと思います。たくさんのメロディを作っている中で、Aメロはこっちがいいけど、サビはあっちの方がいいねという風に、よりキャッチーで良い曲を制作していた時期です。

― そしてヒットになった「恋が素敵な理由」のヒットを受けて、1993年のオリジナルアルバム『愛の神様 恋の天使』がオリコンのTOP10入りを果たし、1994年のアルバム『Bitter』『Sweet』は同時にTOP10入りするヒットになったわけですが、とにかく絶好調な時期でしたね。

昌己
嬉しさよりも忙しさの方が先に立って大変な時期でした。レコーディングやキャンペーンで全国あちこちに飛びまわっていましたし、あまり休みもなかったような記憶があります。当時は若かったし今思えば調子に乗っていた時期で、夜の11時くらいに友達と待ち合わせて遊びにいったりしていましたね、健康だったし喉だけは強かったので寝なくても歌はちゃんと歌えたんです。今は絶対に無理ですが(笑)。

トーラスレコード時代のアルバム作品がサブスクで聴ける!

― そして、12月8日には井上昌己さんのトーラス時代のベストアルバムを含む18タイトルのアルバムがサブスクで解禁になります。

昌己
今、このようなお話を頂けるというのは、これまで歩みを止めることなく活動を続けて来れた自分へのご褒美に思えてきます。サブスクを通じて新たに私の曲を知っていただけるチャンスでもあるので。

― トーラス時代(1989年~1998年)の作品の中にはターニングポイントになったアルバムがいくつかあると思います。デビューアルバム『彼女の島』や『Balancin' Love』『愛の神様 恋の天使』は当然、昌己さんのキャリアの中で重要な1枚だと思いますが、他に印象に残っているアルバムはありますか?

昌己
海外でレコーディングをしたアルバム『Up Side Down』(1996年発売)です。ダブリンでレコーディングをしたんですけど、当時のディレクターがU2好きで、その影響で私も好きになり、彼らがアマチュア時代に出演していたライブハウスを借り切ってレコーディングをした思い出のアルバムです。ダブリンの街の様子は今回発売になる映像作品にも映っていますのです、是非ご覧ください。

映像作品も初のDVD化、「LIVE&CLIP」にも注目

― そしてサブスク解禁と同時に、映像作品4タイトルが『LIVE&CLIP』というタイトルになって発売になります。

昌己
当時はVHSとレーザーディスクで発売されていましたが、DVD化されるのは今回が初になります。

― 今回当時のコンサート映像が2本収録されていますが、デビューの翌年に日本青年館で行われた『matiere CONCERT -日本青年館1990.6.18-』が収録されていますね。

昌己
日本青年館は初めてのコンサートツアーのファイナルでした。今回ちらっと見ましたが当時の緊張感を今でも思い出します。何だか照れ臭くてじっくり見ることが出来ませんが(笑)。

― 昌己さんがきちんと自分の言葉でトークしている姿が印象的です。

昌己
当時はまだ全然アドリブが効かなくて、かなり完璧にゲネプロをやっているんです。特に初期は完璧に作りこまれたコンサートだったと思います。

― そして今回、日本青年館から約5年後に開催された『Fair Way Live』も収録されています。NHKホールのコンサート映像ですが、昌己さんの成長ぶりが伺われますし、自信のようなものがみなぎっていますね。

昌己
当時の怖いものなしの自分が良く映像に現れていると思います。当時のトーラスのスタッフのおかげで、映像作品もかなりこだわって作られているのを改めて感じますね。

― ステージ衣装も華やかで印象的ですが、衣装はどのように決めていたんですか?

昌己
当時は一から衣裳を作っていたので、曲の雰囲気に合わせて自分の思い描くイメージをかなり投影してもらいました。衣装の早替えも多かったですし、当時はステージでダンスもしていたので動きやすさを含めてかなりこだわって制作していました。

― 美人シンガーソングライターとして有名だった昌己さんなので、衣装を含めてアイドル的に見ていたファンの方も少なからずいたと思います。

昌己
当時まったくそういう意識がなかったのですが、随分時間が経ってから、私をアイドルだと思っていた方が結構いらっしゃることにびっくりしました。この間も秋葉原のお店の昭和のアイドルコーナーに当時の私の本が置いてありましたが、私はアイドルでもないし昭和でもない!(笑)。

クリップ集、映像監督は岩井俊二

― そして今回の映像作品には1991年にリリースされた『Balancin' Love』というタイトルのクリップ集も収録されていますが、当時の作品にしては随分凝った作りになっていますよね。

昌己
この作品は岩井俊二さんが監督を手掛けて下さった作品です。当時の岩井さんはまだ映画を撮っていない時期で、MVの監督を中心にお仕事をされていたと思います。岩井さんが監督を務めた東京少年のMVを当時の私のディレクターが見て、井上昌己でもストーリー性のあるものを作りたいということで、岩井さんにお願いしたんです。私も出来ない演技をやって台詞を言ってますからね(笑)。「この人は絶対に大物になる!」と思っていたので、後に映画監督で有名になったのもうなずけます。

― 2024年にはデビュー35周年を迎える井上昌己さんですが、コロナ禍でもその歩みを止めず、発信を続けてきた姿に多くのファンの方が励まされたと思います。最後に今後の展望のようなものを教えていただけますでしょうか?

昌己
今後も取り立てて奇をてらったことも出来ないと思うんですよね、あくまでもマイペースで体調管理に気を付けて音楽を届けていきたいと思います。年齢的なこともあるので、たまに歌の壁にぶつかることはありますが、基本的に喉は強い方なのでケアをしつつ歌い続けていきたいと思っています。特にここ4年くらいは歌う前の日にお酒を飲むのを止めてます(笑)。

― 今回のサブスク解禁や映像作品の発売で、昔ファンだった方が戻って来るタイミングにもなると思いますので、是非歌を届け続けて下さいね。

昌己
はい、ありがとうございます。これからも応援よろしくお願します。

(インタビュー・構成/長井英治)


小学生のころから始めた作曲。中学生、高校生でその土台を確かなものにし、大学生になってデビュー。そして「ガールポップ」という日本の音楽のムーブメントに大きく貢献。今も、そして今後も継続して音楽を届けてくれるというメッセージを残してくれた井上昌己さん。貴重なお話を、ありがとうございました。

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