2月1日

【1984年の革命】松田聖子「Rock'n Rouge」マーケ時代の到来!アイドルが化粧品CMに出演

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化粧品のCMに、楽曲を歌うアイドル自らが出演


それは、1つの “事件” だった。

時に、1984年2月――。カネボウの春のCM「バイオ口紅(ピュアピュア)」に、松田聖子の16枚目のシングルとなる新曲「Rock'n Rouge」が起用され、そのCMに聖子サン自身も登場する。淡いピンクの衣装に、髪型はストレートボブ。小ぶりな花束を抱え、大勢の女性たちと共にピュアな笑顔を振りまいた。

 PURE PURE LIPS 気持ちはYES
 KISSはいやと言っても反対の意味よ
 PURE PURE LIPS 待っててPLEASE
 花びら色の春に I WILL FALL IN LOVE

そう、化粧品のCMに、楽曲を歌うアイドル自らが出演する――それは “事件” だった。それまで同業界のCMは、楽曲とモデルが棲み分けされ、歌手は歌声を披露し、その名が画面右下にクレジットされるもの。CMの中で微笑むのは専門のモデルか女優と決まっていた。元来、化粧品業界とモデル業界は親和性が高く、そこに歌手が割り込むのは検討すらされなかった。

資生堂とカネボウのCMはヒットソングの宝庫


資生堂とカネボウが、季節ごとにキャンペーンコピーを掲げ、CMソングと共に、大量の出稿でトレンドを仕掛け始めたのは、1970年代の後半である。当リマインダーでは、カタリベの一人の大野茂教授のシリーズ企画「資生堂 vs カネボウ CMソング戦争」に詳しい。大抵、春は口紅、夏はファンデーション、秋はアイシャドウ、冬は保湿クリームがキー商品となり、それらをモチーフに数々のヒットソングが生まれた。出演したモデルや女優が注目されたこともあった。

例えば――

▶︎ 77年春:資生堂「マイ・ピュア・レディ」
歌 / 尾崎亜美、モデル / 小林麻美

▶︎ 78年夏:カネボウ「Mr.サマータイム」
歌 / サーカス、モデル / 服部まこ
 
▶︎ 80年春:資生堂「不思議なピーチパイ」
歌 / 竹内まりや、モデル / マリアン

▶︎ 81年春:カネボウ「春咲小紅」
歌 / 矢野顕子、モデル / 林元子

▶︎ 82年春:資生堂「い・け・な・いルージュマジック」
歌 / 忌野清志郎&坂本龍一、モデル / 津島要

▶︎ 83年夏:カネボウ「君に、胸キュン。」
歌 / YMO、モデル / 相田寿美緒
                     ――etc

―― まさに、ヒットソングの宝庫。当時、シンガーソングライターが時代の花形だった所以である。とはいえ、実は空振りした例も少なくない。そうなると、キャンペーン自体の広告効果も薄まりかねない。そこへ、1984年春にアイドル・松田聖子がCMソングを歌い、かつ出演したことで、80年代後半、その流れが大きく変わる。

▶︎ 86年春:資生堂「色・ホワイトブレンド」
歌・モデル / 中山美穂

▶︎ 86年秋:カネボウ「ノーブルレッドの瞬間」
歌・モデル / 国生さゆり

▶︎ 88年春:カネボウ「吐息でネット。」
歌・モデル / 南野陽子

▶︎ 88年夏:カネボウ「C-Girl」
歌・モデル / 浅香唯

▶︎ 88年秋:カネボウ「MUGO・ん…色っぽい」
歌・モデル / 工藤静香

▶︎ 88年秋:資生堂「彼女とTIP ON DUO」
歌・モデル / 今井美樹

―― 見ての通り、件のCMソング戦争は、アイドルの代理戦争へと移行した。こちらもヒットソングが並ぶが、特に88年のカネボウの春・夏・秋のラインナップが凄い。いずれもオリコン1位と大ヒット。シンガーソングライターとアイドルの違い―― 安定感だ。ソングライターは曲によってランキングの浮き沈みがあるが、アイドルは本人のパーソナリティも含めた楽曲のランキングなので、そこまで差は出ない。基本、リスクは低い。

作家性の時代からマーケティングの時代へ。松田聖子がもたらした革命


そう、松田聖子が化粧品のCM業界にもたらした革命―― それは、丁半ばくちの “作家性の時代” から、リスクを下げて、確実にヒットさせる “マーケティングの時代” への偉大なる一歩だった。誰に、どんなコンセプトで、何を仕掛ければ、どんな効果があるか―― それをあらかじめ予測できて、大きく外れないのがマーケティングである。

なぜ、それが “1984年” だったのか。これにも理由があった。その前の時代―― 1978年から83年に至る6年間を、僕は常々「黄金の6年間」と呼んでいる。音楽・テレビ・映画・広告・出版等々、あらゆるエンタメの分野の境界線が曖昧になり、そんなクロスオーバーから新しい才能が次々に生まれた。メインステージである東京は、最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった。いわば試行錯誤の時代だった。

黄金の6年間 1978-1983 ~素晴らしきエンタメ青春時代 (日経BP)



それが終焉を迎えたのも、ある意味、マーケティングの影響だった。黄金の6年間の最終年となる1983年4月―― 千葉の浦安に開園した東京ディズニーランドである。その計算され尽くした圧倒的なエンタテインメントに、日本人は敬服した。僕らがモラトリアム(試行錯誤)の時代の終焉を予感したのは、この時である。

MTVというメディアを効果的に使ったマイケル・ジャクソン


同様の現象は、時を同じくしてアメリカでも起こった。象徴的なのは、83年12月に発表された、かの有名なマイケル・ジャクソンの「スリラー」のミュージックビデオ(MV)だ。実は、アルバム『スリラー』の発売は、さかのぼること1年前の82年12月。その第7弾のシングルカットとして、表題曲「スリラー」が選ばれ、マイケルの指名でジョン・ランディス監督によって13分を超えるMVの大作になった。そして、同MVはMTVによってヘビーローテーションされ、翌1984年―― 同アルバムは世界的大ヒットとなる。

マイケル・ジャクソンは、MTVというメディアを使い、何を仕掛けると、どう反応があるのか、綿密に計画を立てたという。音楽という作家性の世界から一歩踏み出し、映像という総合的なエンタテインメントに仕上げ、最も影響力のあるメディアを使って利益を得る―― それは、紛れもなくマーケティングの発想だった。



そして、日本でその空気の変化にいち早く気付いたのが、かのチーム松田聖子だったのである。

1984年、アーティストへと深化した松田聖子


1983年暮れ、若松宗雄プロデューサーを始めとする同チームは分岐点に立っていた。かの年は “1983年の松田聖子” と呼ばれるほど多くの伝説を生み、特に後半―― 共に両A面となった「ガラスの林檎 / SWEET MEMORIES」と「瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ」は質・セールスともに結果を残し、この年、アイドル・松田聖子はアーティスト・松田聖子へと “深化” した。

それだけに、翌84年の最初を飾る、次の曲へのプレッシャーは大変なものだった。「このまま、アーティスト聖子を深化させるか、それとも――」

そこへ、当の聖子本人から、次はアップテンポで行きたいというリクエストが入り、若松サンは腹を決める。「アーティスト聖子の持ち味を生かすには、ある意味、逆を狙うのがいいかもしれない」―― 彼は、思うところあって聖子の意見を受け入れ、次はアップテンポで行く方向性を打ち出す。折しも、天の声か、化粧品メーカーのカネボウからタイアップの話が舞い込み、春らしい楽曲という大枠が固まった。

それを聴いたユーミンは、ディスコで踊れるABBAのようなユーロポップをイメージして、比較的短時間で作曲したという。彼女が聖子サンと関わったのは、年2枚のオリジナルアルバムを出していた、いわゆる「黄金の6年間」の後半。出せば1位が約束させられた上で、確実にヒット曲を提供する側のプレッシャーたるや。そこで打率10割を達成するのは、もはや天才を超え、神の領域に近い。

それだけに―― 曲を受け取った側の松本隆サンの作詞のプレッシャーもハンパなかった。ある意味、バラードのほうがまだ書きやすかったかもしれない。アーティスト聖子に相応しいアップテンポの歌詞とは何か。しかも、サビの部分は既にカネボウ側からアイドルソング全開の「♪PURE PURE LIPS」を使うようお題が来ている。これは相当の難題である。

有名な話だが、同曲の作詞に煮詰まった松本隆サンは、一時連絡が取れなくなったそう。これも有名な話だが、YouTubeには同じメロディで全く違う歌詞のテイクがアップされている。ここから推察できるのは、レコーディングのギリギリまで、直しに直しを重ね、熟考を重ねた悩める天才作詞家の姿である。

完璧なアイドルソング、「Rock'n Rouge」




そして―― 晴れて「Rock'n Rouge」が完成する。松本サンは開き直って、普遍的な男女のドライブデートを描いたと謙遜するが、散りばめられたワードを見ると、その完成度の高さに驚く。なんと―― 完璧なアイドルソングだった。 “一周回って” という言葉が、これほど似合う楽曲もない。一周回って、21歳の女性が普通にドライブデートする、キラキラで完璧なアイドルソングに仕上がったのである。

 グッと渋い SPORTS CARで
 待たせたねとカッコつける
 髪にグリース光らせて
 決めてるけど絵にならない

誤解を恐れずにいえば、それは “作詞” というより、もはや “コピーワーク” に近い(褒めてます)。YouTubeに上がっている別テイクと聴き比べると分かるが、説明台詞をギリギリまで削ぎ落し、キャッチーなワードを立たせて、最終的には芸術品のようなアイドルソングに仕上がった。それを、アーティスト聖子がアイドルのように歌う。ある意味、それは “発明” だった。

松田聖子の天性のアイドル性とは?


アイドルがアーティストへと深化する時、ともすれば、難解な道へはまり込んで、ファンを置き去りにしかねないケースが生じる。その先駆者はビートルズだろう。もちろんファンは、“推し” が成長する姿は否定しない。しかし、ビートルズが賢明だったのは、難解な方向を模索しつつも、大衆性―― つまり、彼らのレーゾンデートルである “メロディ” を失わなかった点。その絶妙なバランスが晩年、「ヘイ・ジュード」や「レット・イット・ビー」を生んだ。

そんなビートルズの “メロディーメイク”が、聖子サンにとっての “天性のアイドル性” だった。「Rock'n Rouge」は、それを完ぺきに読み切った松本隆サンの一世一代の賭けだったと思う。レコーディング間際の音信不通も、今思えば、名曲を生むための必要なプロセスだったのではないか。そして何より―― 天の計らいか、同曲が使用されたカネボウの「バイオ 口紅(ピュアピュア)」のCMに、聖子サン自身が出演したのである。その姿は、100%の笑顔を振りまく、紛れもないアイドル・松田聖子だった。

 1ダースもいる GIRL FRIEND
 話ほどはもてないのよ
 100万ドル賭けていい
 アドレスには私きりね

「Rock'n Rouge」は売れに売れた。歴代の聖子サンのシングルと比較すると、なんとベスト5だ。「青い珊瑚礁」や「夏の扉」、「瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ」より上である。同曲はオリコンで4週連続1位となり、1984年の年間シングルでも堂々の3位となった。チェッカーズの「涙のリクエスト」や中森明菜の「十戒」をも上回った。

アーティスト聖子が演じる、アイドル松田聖子。これも1つの革命かもしれない。若松プロデューサーの “ある意味、逆を狙う戦略” は当たった。

2024年、松田聖子サンは今も現役のアイドルである。

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2024.03.17
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カタリベ
1967年生まれ
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