a lonf vacation 40周年 平成生まれ鼎談


第1回平成生まれは「ロンバケ」にいつ出会い、
どうやってキャッチしたのか。

(構成:本田隆)

平成生まれの人たちの「ロンバケ」との出会いは、TVCMだったり、松田聖子の楽曲からだったり、さくらももこのエッセイからだったり、その入口は様々。ふとした瞬間から入り込む大滝詠一のエモーショナルな世界は、今の音楽からは感じることのできないぐらい貴重な存在のようです。

―『A LONG VACATION』平成生まれ鼎談を始めたいと思います。まずは皆さんの自己紹介を。では、ルネさんからお願いします。

ルネ
郷ルネと申します。いま早稲田の大学院生で、横にいるアヤちゃんと「ニュー・パルリー」という昭和スナックをオンライン上でやっています。
好きな音楽は70年代の歌謡曲と、人の思い出話に結びついている歌ですね。いろんな人の思い出話を聞くのが好きで「思い出吸血鬼」を自称しています(笑)
アヤ
ミヤジサイカです。相方のルネさんと一緒にZOOMで「ニュー・パルリー」を開店しています。ここではアヤちゃんという名前を使っています。
子どもの頃から昭和歌謡が好きで、両親の車の中で聴いていたユーミン、サザンから入って、生活と共に昭和の音楽がありました。大学生になってから歌謡曲バーでアルバイトするようになって、そこからどんどん昭和の趣味が広がっていったような感じです。
『A LONG VACATION』もそうやってバイトをしている中で出会った音楽なので、今日はお話しできるのが楽しみです。リアルタイムの人がロンバケをどうやって聞いていたのかとか、流行っていた時代の空気感とかも含め大好きなので、そういう部分もお話しできればと思います。今日はよろしくお願いいたします。
昌太郎
高橋昌太郎です。普段は音楽活動をしていて作曲も手掛けています。昭和ポップスや昭和歌謡のお仕事をさせていただく時は「音楽勉強家」という肩書でやらせていただいてます。
これは萩原健太さんのラジオに出させていただいている時に、いきなり「肩書は?」って言われたんです。その時、とっさに出たのが、この「音楽勉強家」だったんです(笑)これは、晩年に大滝詠一さんが、音楽を研究する際に自称勉強家とされていたので、そこから拝借しました。

―「A LONG VACATION」は1981年3月21日リリースされました。いまから40年前ですね。皆さんカゲもカタチもなかった頃だと思うのですが、ロンバケとの出会いはいつごろ、どうやってキャッチしたのか。そのあたりの話からお聞きしたいと思います。

昌太郎
大滝詠一さんという存在は、幼稚園ぐらいから知っていました。TVドラマの『ラブ・ジェネレーション』なんかでもかかっていましたし。
しかし、『A LONG VACATION』となると、2004年にソニーのハンディカムのCMで、ちょうど入学したばかりの少年の後ろ姿をお母さんが撮影しているという映像のバックに「スピーチ・バルーン」が流れていたんですよ。その瞬間にグッと引き込まれました。
その時父親に「この曲誰?」って聞いて、教えてもらったんです。

―お父様はファンだったの?

昌太郎
うちの父親は山下達郎のファンでした。その影響で僕も小学校5年生の時に達郎さんのファンクラブに入ってもう18年目になるのですが、その流れで大滝詠一さんに入っていきました。
だから当初は大滝さんの曲を達郎さんの曲だと思っていたんです。達郎さんが抑えた歌い方でそういう世界観を出した新曲だと思っていたんです。だから、大滝詠一という名前を聞いた時も達郎さんのペンネームだと思っていて(笑)

―すると、山下達郎や大滝詠一の音楽が幼いながらに他の音楽とはなんか違うな?と感じていたわけですよね。

昌太郎
その時は、サウンドよりも声質に惹かれていんです。大滝さんのクルーナー唱法というんですが、歌い上げるというよりは耳元で囁くような、言葉を丁寧に扱うというか。
だから、大滝さんの歌の特徴のひとつとして、詞がすごく心に入ってくるじゃないですか。そういうところが普通の歌手とは違うなと感じていました。ちなみにみなさんは、どんなところから入っていきましたか?
アヤ
私はそもそも歌謡曲や昭和の曲が好きというのがあったのですが、せいぜいユーミン、サザン、聖子ちゃんあたりを車の中で聴くような感じで、それでも周りに昭和の話ができるコってあまりいなくて。
大学3年生の時に昭和歌謡バー、新宿にあったスポットライトという店でアルバイトしていたのですが、そこで働いて一週間目ぐらいにお客さんに「聖子ちゃん好きなの?どの曲が好きなの?」って聞かれて、「風立ちぬ」ですって答えて…
それって今思うと大滝詠一イズムなんですけど、どこか懐かしく、エモーショナルでのびやかな感じが他の聖子ちゃんとは違うぞ!思って、自信満々に答えたわけです。
他所だと「夏の扉」とかじゃないんだ。ぐらいの話で終わるんですが、「誰作ったか知ってる?」って言われて、ハタチの私は答えることが出来なかったんです。これは恥ずかしい!と思って「ん…」で終わったのが大滝さんとの出会いでした。
その後、スポットライトでいろんな曲と巡り合って、私の好きな曲には大滝詠一というクレジットが入っているぞと気づくんです。その中でも「恋するカレン」がめちゃめちゃ好きで、スポットライトの常連さんに初めてこの曲を聴かせてもらった時、なんだ、この切なくて、オトナっぽくて…当時エモいって言葉が流行していたのですが、私にとってもエモいっていうのはこれだ!と思ったんです。
この懐かしくて、苦しくて、甘い。これが私にとってのエモーショナルなんだって、お客さんのおじさんたちに力説していたのが、この「恋するカレン」なんです。
で、この曲が流行っていた時代に青春時代を過ごし、車に乗って好きなコのことを思い浮かべていた世代の人たちが、当時を味わいながら聴いているのを横目で見て、いいなぁと思ったのがきっかけです。
ルネ
私はずっと昔の歌ばかり聴いていたんです。小学生五年生の時にフィンガー5が好きになって、そこから昔の歌がとにかく好きになって、何が流行っているとかも知らず、自分が好きな歌だけを聴いて暮らしてきたんです。
大滝詠一さんに出会ったきっかけは妙で、さくらももこのエッセイだったんですよ。「名前がわからない物の買い方」がテーマのエッセイで、その中で、さくらももこがお姉さんに名前もタイトルもわからないレコード買ってきて欲しいって頼まれるのがあって…。
ヒントが、曲の最初のほうで、レモンだかミカンだかを輪切りにしている歌(笑)そんな歌聴いたこともないと思いながら、レコード屋さんに行って、店員さんに「レモンだか、ミカンだかを輪切りにする歌ってありますか?」って聞くんです。
店員さんはすごく困られたみたいなんですけど、偶然お店で「♪薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて~」という歌詞の「カナリア諸島にて」が流れてきたというオチなんです。
その後、地元の古本市に行ったら、この『A LONG VACATION』のレコードが売り出されていて、「あっ輪切りの歌じゃん!」と思って買ったんです。それがカッコよくて、中学生の頃だったんですが、この世界に入りたいなぁ。ってしみじみ思いました。
ルネさん自前の「A LONG VACATION」
昌太郎
ルネさんは、ロンバケをさくらももこさんのエッセイで知って、そのジャケットのことは知っていたのですか?
ルネ
いや、知らなかったんです。でもEIICHI OHTAKIで、「あ、エッセイに出てきたやつだ」って分かりました(笑)だからこんなカッコよかったんだ、輪切りの歌のジャケット!と思ったんです(笑)
昌太郎
で、初めてレコードを再生するわけじゃないですか。再生して、それこそ「君は天然色」の冒頭のチューニングの「ターン」っていうAの音が鳴るじゃないですか。あの瞬間の衝撃って凄くないですか?
ルネ
もう、うわーってなりました。だって輪切りの歌から、そんなカッコいい状況を想像していなかったし(笑)別世界に連れていかれた気がしました。こんな景色が本当にあったのかなって思って…。かなしいほど豊かな時期があったんだなって思いました。

<第2回>
次回は永井博さんのあのジャケットについて平成生まれの3人が深く考察します。

高橋 昌太郎(たかはし しょうたろう)

1991年生まれ。作曲家、音楽勉強家、ディスクジョッキーなど。
小学校4年生のとき、テレビドラマの主題歌として流れてきた山下達郎の「LOVELAND, ISLAND(ラブランド、アイランド)」に衝撃を受けて昭和ポップスの虜に。
ジャンル問わず、音楽の歴史や芸能文化を研究、発表したりしている。
Twitter : @ongakubenkyouka
Instagram : @shotaro_reverblue

郷ルネ

1994年生まれ。早稲田院生。オンライン昭和スナック「ニュー・パルリー」のママ。11歳の時、フィンガー5にシビれて以来、昭和に傾倒する日々を送る。70年代歌謡曲、80年代アイドル、グループサウンズ、渋谷系も好き。映画と古着好き。

ミヤジサイカ(アヤ)

1996年生まれ。東大院生。オンライン昭和スナック「ニュー・パルリー」のママ。カーステレオから流れていた、ユーミン、サザン、松田聖子… 80年代の音楽に心を奪われ幼い頃から昭和カルチャーに親しむ。歌謡曲バー「スポットライト」の元アルバイト。同世代の友人たちと昭和的スポットに出かけ、バブル期のカルチャーを追体験するのが趣味。

<< | 特集TOPへ