松本伊代 インタビュー

第1回 筒美京平が愛した
“トレジャー・ヴォイス”とは?


「はっきり言って美声ではないが、実にユニークな響きのある声、ちょっと甘えっぽく、少年的でもある伊代さんの声が私は大好きです。『真夏の出来事』を唄った平山三紀(現・平山みき)の低くブツブツ切れる様な声、少年時代の郷ひろみの妙に鼻に抜ける声と共に、私の好きな三大ヴォイスのひとつです」

2004年リリースの『松本伊代BOX』のブックレットに掲載された筒美京平の寄稿文である。2020年10月に80歳で旅立つまで、あまたのヒット曲を世に出した偉大な作曲家が生前、殊のほか愛した歌手の1人が松本伊代であった。今や日本のスタンダードポップスとなったデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」(1981年)以来、シングルA面7曲を含む29曲を提供し、多忙を極めるなか2作のアルバムで全曲を手がけた筒美は、歌手・松本伊代を創り上げたと言ってもいい存在。その恩師への敬意と感謝を込めて、全曲筒美京平作品で構成されたアルバム『トレジャー・ヴォイス[40th Anniversary Song Book] Dedicated to Kyohei Tsutsumi』を40周年の節目にリリースした松本に、デビュー当時の思い出から今後の音楽活動に関することまでをたっぷりと語ってもらった。3回にわたるロングインタビューの第1回は、筒美作品や最新アルバムに対する思いをお届けする。

―― デビュー40周年、そして『トレジャー・ヴォイス』のリリース、おめでとうございます!

松本
ありがとうございます! まさか40周年のタイミングで、新曲を含むアルバムを出せるなんて思ってもいなかったので本当に嬉しいです。

―― 全曲新録音のアルバムは『MARIAGE~もう若くないから』(1991年)以来、30年ぶりのようですが…。

松本
え~、そんなに!? というのが正直なところです。2009年に(尾崎)亜美さんに曲を書いていただいたり、30周年の時にも新曲を作ったりしていましたので、そう感じるのかもしれませんけど…。今もイベントとかで歌い続けていますから、久しぶりという感覚がないんですよね。

―― もともと「40周年はこういう企画をやりたい」という構想はあったのでしょうか。

松本
個人的に「何か記念に残ることをしたいなぁ」とは思っていました。コロナ禍ということもあって、キャプテンの2人(北澤清子、山本恵子)とは「YouTubeで発信していけたらいいね」という話をしていたんですが、そんな時にビクターさんから「アルバムを作りませんか」というお話をいただいて。具体的に動き始めたのは5月以降ですが、声をかけてくださったことに感謝しています。

―― ビクターからは30周年の時に新曲「オールウェイズ・ラヴ・ユー」を含むベスト盤『オールウェイズI・Y・O [30th Anniversary BEST ALBUM]』(2012年)が、35周年の時はファーストアルバムとセカンドアルバムをコンパイルしたフォトブック付き企画盤『YAPPARI I・Y・O'16 [DELUXE PACK <35th Anniversary Special>]』(2016年)がリリースされています。今回はどういう提案だったのでしょう。

松本
当初は「オリジナル曲のセルフリメイクと新曲で構成しましょう」というお話でした。新曲については、もしかしたら(筒美)京平先生の未発表曲を歌えることになるかもしれないということでしたので、それが実現したら素晴らしいだろうなと。後日、デモを聴かせていただいたら、とても素敵なメロディだったので「歌えたらいいなぁ」という思いがさらに強くなりましたね。

―― 筒美先生はデビュー曲の「センチメンタル・ジャーニー」以来、「TVの国からキラキラ」(1982年)や「ビリーヴ」(1984年)など、多くのヒット曲を伊代さんに提供されています。聞くところによると、先生は伊代さんの声がとてもお気に入りだったとか。

松本
とても光栄なことだと思っています。私はそのことを2004年のBOXに寄せられた先生のコメントで初めて知ったんですけれども、いい意味でショッキングで、嬉しい驚きでした。それまでそういうお話を伺う機会がなかったので「京平先生は私のことをこういう風にご覧になっていたんだ」って。

―― 公の場で発言することを好まなかった筒美先生にしては珍しいことでした。しかも600字近い長文で、「私としては、デビューから1、2年位迄の歌がやはり一番好きです。下手でも、精一杯、無心になって歌に取り組んで行く感じが、ヒシヒシと伝わって来るからです。もうお母さんになった伊代さんを時々TVで見かけたりすると、すぐに私の心の中では“なぁにかに、さっそわァーれてェー”というメロディーがこだま(木霊)してしまいます」というくだりには伊代さんへの愛情を感じます。

松本
ありがたいですよね。実を言うと、私はずっと自分の声が好きじゃなかったんです。子供の頃、ラジカセで録音した自分の声を初めて聴いた時は「私ってこんな声なんだ…」としばらく立ち直れませんでしたし、のちにレコーディングスタジオで録音した声を聴いた時も「あ~、やっぱり変な声…」って(笑)。でも京平先生はその声を個性として捉えて、魅力的に聴こえるような曲をたくさん作ってくださった。感謝の言葉しかありません。

―― 筒美先生からコメントをいただいて、ご自身の声に対する認識は変わりましたか?

松本
受け入れられるようになりました(笑)。京平先生もおっしゃっていますが、特にデビューした頃の歌声が好きになりましたね。今よりも太くて低い声なんですけど、曲に合っている。最初の2枚のアルバム(1981年『センチメンタルI・Y・O』、1982年『サムシングI・Y・O』)を聴くと、技術面では未熟でも、ストレートに一生懸命歌っているのが伝わってきます。もちろんどのアルバムにも思い入れがありますけど、あの声は今の私には出せないので、いろんな方に聴いていただけたら嬉しいです。

―― 今回の『トレジャー・ヴォイス』は筒美先生の作品だけで構成されていて、10曲中5曲がセルフリメイク。オケはオリジナル音源を使用しているんですね。

松本
そうなんです。当時のオケは錚々たるミュージシャンの方たちが演奏されていて、最高のクオリティですからね。リメイクするなら、そのオケで歌いたいと思いまして。京平先生は素敵な曲をたくさん書いてくださったので、選曲は悩みましたけど、皆さんがよくご存じの曲や、今の私が歌っても違和感のない曲をセレクトさせていただきました。

―― オリジナルのオケを使用ということで、キーも当時のままですが、難なく歌いこなされていて驚きました。女性歌手の場合、年齢を重ねるとキーが低くなりがちですが、伊代さんに関してはそれがない。

松本
もともと声が低くて、高音を張り上げるタイプの曲が少ないからかもしれません。特に京平先生は私に合わせて作ってくださっているので、歌いやすい曲が多いんです。それでも「ラブ・ミー・テンダー」(1982年)や「ビリーヴ」は高音が続くところがあるので、最初はちょっと大変だったかも。練習するうちに高い声も出せるようになっていった感じです。

―― 「センチメンタル・ジャーニー」についてはいかがでしょう。今まで何千回、何万回と歌ってきた歌だと思いますが。

松本
確かにいちばんたくさん歌ってきた歌ですから、どこかで慣れが出ていたのでしょうね。ディレクターさんからの指示もあって、今回は丁寧に向き合って歌いました。これまではあまり深く考えず、サラッと歌うことが多かったんですけど、歌い直すにあたって、改めて詞の意味を考えたり、デビュー当時、飯田さん(初代担当ディレクターの飯田久彦)から受けた歌唱指導のことを思い出したりもして。

―― ここからは新曲について伺います。資料によると、もともとはビクターのあるディレクターが1975年頃に筒美先生から預かっていたメロディで、たまたまリリースする機会を逃していたものだとか。そのメロディに湯川れい子先生が詞を乗せて「イエスタデイ・ワンス・モア」という作品になったわけですね。

松本
ええ、京平先生がどなたに向けて書かれた曲かは分からないんですけれども、ありがたいことに私が歌わせていただけることになって。しかも京平先生と一緒にデビュー曲を作ってくださった湯川先生が詞を書いてくださることになって「私って、なんてラッキーなんだろう」と。

―― 筒美先生と湯川先生は伊代さんの初期シングル「センチメンタル・ジャーニー」と「ラブ・ミー・テンダー」を手がけたコンビ。その2曲は片やドリス・デイ、片やエルヴィス・プレスリーの代表曲と同じタイトルですが、今回はカーペンターズを思わせる曲名です。

松本
洋楽にお詳しい湯川先生らしいタイトルですよね。ちょうどその制作が進み始めた頃、私は胸椎の圧迫骨折で全治1ヶ月半と診断されて、自宅療養をしていたんですけど、その時に先生からお電話をいただいて。「ちょっと訊いてもいいかしら」ということで、質問に答える形でヒロミさんとの馴れ初めや、新婚旅行の時のエピソードとかをお話しさせていただいたんです。後日、完成した歌詞を拝見したら、私がお話した “あの頃” のことがちゃんと織り込まれていたので、「やっぱり湯川先生はすごい!」と思いました。

―― タイトルのイメージ通り、ノスタルジックでチャーミングな歌詞ですよね。

松本
その歌詞とメロディがマッチしていたからだと思うんですが、マイクの前に立って歌い始めたら、自然と昔の歌い方を思い出したというか。テクニック的なことではなくて、あくまでイメージなんですけど、少女のような気持ちで歌うことができたんです。まるで京平先生と湯川先生のマジックにかかったようでしたが、それは船山(基紀)先生のアレンジの力も大きかったと思いますね。

―― “恋愛三部作”(1986年から1987年にかけてリリースされた「信じかたを教えて」「サヨナラは私のために」「思い出をきれいにしないで」)など、これまでも伊代さんの楽曲を数多く編曲されてきた船山先生ですが、不思議と筒美作品は他のアレンジャーが担当していました。

松本
そうなんですよね。でも自分の曲に限らず「この曲のアレンジ、素敵だな」と思って調べると、「編曲:船山基紀」とクレジットされていることが多くて。今回はできれば船山先生にアレンジしていただきたいと思ってお願いしたら、嬉しいことに快諾してくださったんです。

―― 船山先生は筒美先生と最も多くの仕事をしてきた編曲家で、これまで300曲以上の作品をアレンジされています。

松本
京平先生のトリビュートコンサート(2021年4月に東京・国際フォーラムで開催された『ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート』)で久しぶりにお目にかかったのですが、すべての上演曲の編曲と指揮を執られている姿を拝見して、改めて偉大な先生だと思いました。新曲「イエスタデイ・ワンス・モア」はもともと私に向けて作られた曲ではないですから、最初は「どうやって歌えばいいだろう」と、難しさを感じていたんですけれども、船山先生のアレンジのおかげで自分に近づけることができたような気がします。それはやはり先生が編曲してくださったカバー曲に関しても感じたことなんですが。

―― さすが船山先生。名盤と言われている伊代さんのアルバム『天使のバカ』(1986年)と『風のように』(1987年)を全曲アレンジされているだけあって、伊代さんの良さを引き出す術を心得ていらっしゃるんでしょうね。

松本
今回は新曲とカバー曲合わせて5曲のアレンジをしていただいたんですが、段階ごとに「今こうなってるよ」と聴かせてくださったこともありがたかったです。今までもオケ録りに立ち会うことはありましたけど、アレンジが出来上がっていく様子を体験できたのは初めてのことでしたから。

―― カバーの4曲はジャズ調の「くれないホテル」(オリジナル:西田佐知子)、ポップな「真夏の出来事」(同:平山みき)、スパニッシュ風の「あなたがいたから僕がいた」(同:郷ひろみ)、アゲアゲの「シンデレラ・ハネムーン」(同:岩崎宏美)と多彩なラインナップですが、いずれも原曲のテイストを残しつつ、伊代さんのオリジナリティが感じられる仕上がりです。

松本
ありがとうございます。カバーした曲はそれぞれの歌手の方に向けて京平先生が書かれた曲ですから、原曲の歌の方がいいに決まっているとは思いますが、聴かれた方が「これはこれでいいね」と言ってくださったら嬉しいですね。今回、改めて感じたのは、京平先生は歌い手に合わせて曲をお作りになっているということ。私に書いてくださった曲は歌いやすいのに、他の方の曲を歌おうとするとすごく難しい。それを歌いやすいようにアレンジしてくださったのが船山先生でした。

―― カバーをするうえで心がけたことはありますか。

松本
原曲を歌われている方は皆さん、個性が強いので、それに引っ張られて物真似にならないようにしようと。でもいざ歌ってみると何となく物足りないんですよね。特に「真夏の出来事」は平山さんの歌い方のインパクトが強くて、「私はどうしたらいいだろう」と思っていたら、船山先生がテンポを上げてくださって。そのおかげで少しは松本伊代流になれたかなという気がします。

―― セルフリメイクと新曲にカバーが加わったことで、伊代さんのボーカリストとしての多面的な魅力が伝わるアルバムになったと思います。リスナーの反応が楽しみです!

(取材・構成/濱口英樹)


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