4月21日

伊藤銀次が語る【松原みき&カステラムーン】返せなかったジュリー・ロンドンのレコード

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あきらかにアイドルの枠を超えた松原みきの歌唱力とセンス


近年、世界的にブレイクしている松原みきさんは、当時としては破格のアイドルだった。1970年代の終わり頃、ポップスの才人、林哲司さんが創り出した、「真夜中のドア」を含む彼女のデビューアルバム『Pocket Park』のサウンドのすばらしさに、しっかりと呼応した歌唱力とセンスは当時としては画期的で、あきらかにアイドルの枠を超えたものだったのだ。

彼女の1979年のデビューから1981年までの、ほぼ2年間、彼女のステージバンド “カステラムーン” のリーダーを務めた僕は、それをとても身近に実感させられたのだった。

松原みきのフェイバリットソング「Cry Me A River」


みきちゃんの、ただのアイドルとは思えないアーティスティックな部分が醸成されたのは、その家庭環境にあったのを知らされたのは、彼女が持っていたラジオ関東(現ラジオ日本)のレギュラー番組、『電撃わいどウルトラ放送局』でのことだった。

毎週この番組の中で、みきちゃんが僕のギターで生歌をご披露するコーナーがあって、そのとき、みきちゃんがこの曲を歌いたいのと貸してくれたのが、なんと女性ジャズシンガーのジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」の入ったアルバムだったのだ。

みきちゃんの年齢で、なんでこんな曲を知ってるのだろう… とたずねてみたら、お母さんがジャズシンガーだったので小さい頃からよく聴いていたフェイバリットソングだったとのこと。この事実にはちょっと驚かされたけれど、放送当日、彼女の伴奏をつけながら、なるほどと納得がいったものだった。彼女の少し潤んだようなブルージーな歌い方のルーツはそこにあったのだと。



プロデューサーとかけあってアルバムに収録された「Cupid」


いつもアイドルらしくニコニコとしている中に、ときおり見せる、アーティスト的な “我” の強さやさりげない自己主張も、当時としては破格のアイドルだったと思うのだが、そんなエピソードをもうひとつ。

ぼくがリーダーを務めたみきちゃんのバックバンド、カステラムーンは、バンドだけでも、ライヴハウスで、インスト曲を中心としたライヴをやっていた。当時僕はスティーリー・ダンのサウンドにハマっていて、「April Dancer」という、スティーリー・ダンっぽいイメージのインスト曲を書き下ろして、そのライヴでメンバーと共に演奏していたのだが、僕たちのライヴを見にきてくれていたみきちゃんがこの曲を気に入ってくれてた。

そこで、「銀次さん、この曲わたしレコーディングしていいかな?」と言ってくれたのだ。えっ? それはうれしいけど、でもインストだよ? しかもコード展開やメロディーの感じがもろジャズ・フュージョン的なので、当時の日本の音楽シーンではむずかしいのでは―― と思ったのだけれど、逆に、幼少からジャズで育っていた彼女の好みにはもうドンピシャで、とても気に入ってくれたようで、早速次のアルバムに入れるためにプロデューサーとかけあってくれたのだった。

そのプロデューサーとは、沢田研二さんのディレクターであり、のちに吉川晃司君、大沢誉志幸君、山下久美子さんなどを世に送り出し、そしてなんと僕の『BABY BLUE』をプロデュースすることにもなる名伯楽の木﨑賢治さん。驚いたことに、みきちゃんのプレゼンが通って、この「April Dancer」に三浦徳子さんが詩をつけてくださり、タイトルも「Cupid」となってレコーディングされることとなったのだった。

曲のアレンジは大村雅朗さんで、うれしいことに、もともとの「April Dancer」のイメージを残しつつも、かっちりとしたモダンなアレンジでとてもかっこいい仕上がりに。僕としては、元々の間奏のフレーズをそのまま使ってくれたことがことのほかうれしかったね。

カステラムーンのライヴのために作った曲が、アルバムタイトル曲に


そしてできあがってきたアルバムを手にして、またもやびっくり。なんとアルバムタイトルも『Cupid』!! なんとなくカステラムーンのライヴのために作った曲が、アルバムタイトル曲になっちゃったのだった。

これもすべてみきちゃんの目利きとひらめきのおかげ。それどころか、なんだか僕よりうんと若くフレッシュなみきちゃんに逆にプロデュースされちゃったような、そんな不思議な気持ちになったものだった。

後年、みきちゃんは作曲家としても活躍することになるけれど、その片鱗はもうここに現れていたのかもしれない。まさかこんなに早く亡くなってしまうとは誰も思いもしなかったと思う。まだまだ生きてアーティストとして活躍してほしかった。そして世界的なこの松原みき再評価の風にあたってほしかった。

そして実は、僕には大きな後悔があるのだ。それは、あの時みきちゃんから借りたジュリー・ロンドンのLPレコード、いつか返そう返そうと思いながら返し損ねてずっと手元にあることなのだ。

もうみきちゃんには残念ながら返せなくなった。だからこのアルバム、これからも彼女の思い出と共に、僕が生きているかぎり、ずっと大切に持っていようと心に決めたのだった。

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2023.08.28
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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