12月5日

【佐橋佳幸の40曲】EPO「12月の雨」ユーミンの曲をシュガー・ベイブっぽいサウンドで!

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連載【佐橋佳幸の40曲】vol.19
12月の雨 / EPO
作詞:荒井由実
作曲:荒井由実
編曲:佐橋佳幸

佐橋佳幸、プロ活動の第一歩はEPOのサポート


佐橋には、その音楽人生に大きな影響を与えたふたりの “センパイ” がいる。ひとりは、清水信之。そしてもうひとりは “EPO” こと佐藤栄子。中学生の頃からミュージシャンになることしか考えていなかった佐橋が、進学した都立松原高校でふたりの先輩に出会ったことから未来が大きくひらけていった。その物語については本連載のプロローグ日本が誇るギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】奇跡の都立松原高校と道玄坂のヤマハ渋谷店で詳しく語ってもらったけれど…。

当時高校2年生だったEPOセンパイに出会ったのは、佐橋が1年生の時のこと。佐橋の腕を見込んだ3年生の清水センパイから、自分が卒業した後、すでにプロデビューに向けて動き始めていたEPOの活動をサポートしてほしいと頼まれたのだ。そうして彼女のレコードデビューに向けたデモ録音の手伝いやライヴのバッキングを務めることに。それが佐橋にとってもプロ活動の第一歩となった。

「中学の時に “人力飛行機” ってバンドを始めた時、アマチュア時代の佐野(元春)さんとか村田(和人)さんとか杉(真理)さんのステージを見て、“大学生ともなると、アマチュアでもすごい人がたくさんいるんだなー” と衝撃を受けたんですけど。高校に入ったら今度はいきなりEPOセンパイがいるわけじゃないですか。当時から歌だけでなく、すでに書いた曲もすごかったの。何これ!? と思って」

「中学の時は、高校に入ったらすぐにでもプロになるんだと思ってたのに、いきなり清水センパイとEPOセンパイと出会って。さすがにちょっと挫折しそうになりました(笑)。いくら偶然の巡り合わせとはいえ、いちばん最初にEPOセンパイレベルのシンガーソングライターに出会っちゃったら、そりゃ誰だって自信は揺らぐよね。試練でした(笑)。でも、みんなが励ましてくれたし、EPOセンパイも清水センパイも何も知らない新入生の僕にいろんなことを教えてくれた。結局あの時代、ふたりの音楽観とかを通していろいろ学べたのがよかったんだろうな」

「UGUISSとしての活動も始めていたけど、それとは別に清水センパイから引き継ぐ形でEPOセンパイのバンドもやって。前にも話したように、当時 “世田谷のジャコ・パストリアス” と呼ばれていた天才高校生ベース奏者で、現在はサックス奏者の山本拓夫くんとの出会いも、そのEPOバンドを手伝ってもらったのがきっかけだから。いろいろなつながりが生まれて面白かった」

アレンジャーとして初めて手がけたEPOの作品は「12月の雨」


EPOはその後、大学在学中の1980年、シングル「DOWN TOWN」(シュガー・ベイブのカバー)でデビュー。以降も「土曜の夜はパラダイス」「う、ふ、ふ、ふ」「音楽のような風」など次々大ヒットを放ち多忙な日々を送っていた。佐橋も機会があるたびにEPOのレコーディングやライブに参加。本連載でも以前触れた通り、UGUISS解散後の佐橋がプロのセッションギタリストとして初めて参加したレコーディングもEPOのデビューアルバム『DOWN TOWN』収録の「語愛」だった。が、アレンジャーとしてEPOの作品を手がけたのは意外と遅く、その7年後のこと。彼女の9枚目のスタジオアルバム『POPTRACKS』に収録された本曲「12月の雨」が初だった。

「ようやく自分が仕切る形でEPOセンパイの作品に関われた思い出深い曲です。バンド解散後は清水センパイとEPOセンパイが所属するヴァーゴ・ミュージックって事務所に僕も籍を置いていたから、しょっちゅう顔を合わせていたし。最初の頃は仕事もお金もないから会えばごはん食べさせてもらったり、ギターをちょこちょこと弾かせてもらったり、かわいがってもらってました。そのうち僕はアレンジャーとしてもけっこう忙しくなっていくんですが、この時までEPOセンパイからアレンジを頼まれる機会はなかった。きっかけは何だったのかな? スタッフと相談して、この曲は佐橋にやらせてみようってことに決まったらしいんですけど…」

EPOセンパイからの暗黙のメッセージとは?


『POPTRACKS』は山下達郎、大貫妙子、荒井由実、サザンオールスターズなど、EPOがリスペクトするアーティストたちのカバー曲を数々収録したアルバム。自身のルーツともいえる曲たちを振り返ることで、その先へとつながる未来の自分をも見据えたい…。そんな思いをこめた1枚だった。そこに10代の頃からの音楽仲間であり、これから共に未来へと向かってゆくことになる佐橋という若き才能を起用してみせたわけだ。

「「12月の雨」は言うまでもなくユーミンさんの名曲。この曲が入った『MISSLIM』ってアルバムは高校時代にEPOセンパイと一緒によく聴いてたの。だから、もちろん曲はお互いよく知っていたんだけど。でも、センパイがどういうアレンジにしようと思っていたかを聞いて、ちょっとびっくり。“シュガー・ベイブっぽくしたい” って。当時、EPOセンパイはセンチメンタル・シティ・ロマンスと一緒にやることも多かったから、“センチ” のメンバーにも参加してもらってシュガー・ベイブ風にしたいという話だった」



なんとも面白い、けれど難しいお題。そうか、だからこそ自分へのオファーだったのか、と佐橋は気づいた。“この面白さ、サハシならわかるよね…” というEPOセンパイからの暗黙のメッセージだった。

「 “なるほど、わかりました” と。それでドラムはシュガー・ベイブの初代ドラマーで、後にセンチに加入する野口明彦さん。当時のセンチはもうベーシストが流動的だったから、ベースは僕が知り合ったばかりの有賀(啓雄)くんに来てもらって。パーカッションはペッカー(橋田正人)さん。ペッカーさんは僕がフリーになって間もない頃、清水センパイとポンタさんのユニット“NOBUYUKI, PONTA UNIT” のために書いた「DIGI-BOO」(1985年)って曲にヴォーカル&パーカッションで参加してくれたのが縁で親しくなりました。もしかしたら、いわゆるスタジオミュージシャンの方で初めて知り合った人かも。

「あと、キーボードはダンガンブラザーズバンドの大谷幸さん。大谷さんにはあの頃めちゃめちゃお世話になったの。UGUISSが解散した時、大谷さんは僕らの機材をまとめて引き取ってくれたんです。つまり、買ってくれたの。あれは本当に助かった。そんなこともあって、その後も大谷さんとはずっと交流があって。それで来てもらいました」

EPOの中にある “シュガー・ベイブっぽい” ギターサウンド




それにしても、なぜ佐橋だったのだろう。当時のEPOバンドのギタリストは前述の通り、中学生時代の佐橋が渋谷ヤマハの店頭でライヴを見て憧れたシュガー・ベイブのオリジナルメンバー、村松邦男。もちろん村松もアレンジャーとして活躍していた。だったら村松でいいじゃないか、と誰もが思うはず。

「そうなんですよ。村松さんがいるのになんでオレなんだと思いますよね。でも、このアルバムのひとつのテーマは “EPOセンパイがこれまでの自分を作ってくれた音楽を振り返りながら、これからの自分が歌うべき曲を書く” というもの。ほら、センパイ、シュガー・ベイブのカバーでデビューしたけれど、実際にはシュガー・ベイブと共演してはいないじゃない? センパイの記憶の中にある “シュガー・ベイブっぽい” ギターサウンドって、ホンモノの村松さんのギターよりも、むしろ高校時代からずーっと隣で弾いていたサハシの “村松さんっぽい” ギターだったんじゃないかな(笑)」

「シュガー・ベイブ時代の村松さんに影響を受けてきた僕が、その村松さんも好きなジョン・ホールとか、あの辺のいわゆるブルーアイド・ソウル系というか、R&Bというか、アメリカンルーツっぽい要素をあれこれ取り入れたスタイルのギター。センパイは10代の頃からずっと自分の傍で後輩が弾くそういうギターで歌っていたわけだからね。「12月の雨」のレコーディングでそのことを言われたの。“サハシ、ああいうの得意だったよね?” と。“もちろんです!” ということで、あとはもう僕もやりたい放題。間奏のギターソロなんてジョン・ホールなりきりだし(笑)。もちろん村松さんへのオマージュも満載。村松節をばしばし入れまくってます。これ、聴いてわかる人は僕と同じくらいの村松マニアですよ(笑)」

「この時期、村松さんも同じヴァーゴ・ミュージック所属でしたから、村松さんが聴いたら “サハシ、バカだなー” って爆笑されるなぁって考えながら、思いっきりオマージュして弾きました。コーラスは、センチの告井(延隆)さん、中野(督夫)さん、野口さん。つまり、ユーミンの曲を、シュガー・ベイブ風に、センチメンタル・シティ・ロマンスのサウンドで演る…という、ものすごい欲張りな1曲です」

信頼しあう仲だからこその付かず離れずの距離感


10代の頃からの長い付き合いになる先輩後輩。が、意外にもEPOと佐橋はそれほど頻繁に共演してきたわけではない。それぞれの道を歩み、けれど何かあればいつでも一緒に…。信頼しあう仲だからこその付かず離れずの距離感。でも、今でも、東京でライヴをやる時、センパイから “ちょっとギター弾いて” と連絡があればふたつ返事で馳せ参じる。

「そこはまぁ、センパイの命令は絶対ですから(笑)。ただEPOセンパイ、80年代後半にはロンドンに拠点を移していたんだよね。レコード会社もヴァージンに移籍して。その頃はいちばん交流が途絶えちゃっていた時期だったな。音楽的にも当時流行のブリティッシュサウンドの方向にぐっと接近していって。高校の頃からずっと変わらなかったアメリカンな感じからガラっと変わってしまった」

「90年になると今度は米国留学。セラピストとしての活動も並行して始めて。音楽的にもスピリチュアルというか、ヒーリング的な要素が入ってきたり。もちろんどれも素晴らしいんだけど、僕とは完全に守備範囲が違ってきてしまったなぁ、と。高校生の時に出会った “ポップなEPOセンパイ” のイメージがあまりにも強かったせいもあって、正直あまりぴんとこないなと思ってました」

EPOセンパイの沖縄のバンドメンバーと一緒に演奏




昨年12月、佐橋はEPOが現在拠点としている沖縄に招かれ、鍾乳洞でのコンサート『EPO AQUANOME GANGALA〜ミライカナイ〜』にゲスト出演した。沖縄・南城市にある天然の鍾乳洞・ガンガラーの谷でおこなわれるEPOにとってライフワークともいえるライブシリーズ、3年ぶりの開催だった。佐橋の言う “守備範囲の違う” 世界への客演。沖縄でEPOと活動を共にするバンドに、東京からのスペシャルゲストとして加わる形で参加した。

「ところがね、そのライヴでEPOセンパイの沖縄のバンドメンバーと一緒に演奏した時、それまでちょっと “遠く” に感じられていたものとか、自分とは守備範囲が違うからと遠巻きに見ていたものとか、実はそうでもないなっていうのがわかったんです。たとえば “ジョニ・ミッチェルは何をやってもジョニ・ミッチェルだった” みたいな。そういう感覚を、理屈を超えて実感した。たしかにその時演奏した曲はものすごくスピリチュアルな感じで、僕がかつて一緒にやっていた頃とは全然違う要素がたくさんあったんだけど」

「でも、ひとつひとつの言葉とかメロディーとか、音楽の作り方、キャラクターは変わってないんだよね。自分からはちょっと遠いと感じてきたスピリチュアル路線の楽曲も、実は僕がよく知っているEPOセンパイの曲調なんだってことに気づけたのは大きな収穫だった。EPOセンパイのほうもね、沖縄のバンドメンバーの中に僕が混じったことによって全体がすごくポップになったと感じていたみたいで。それはサハシのおかげ、と喜んでくれて。お役に立ててよかったです。ほんと沖縄まで行ってよかった」

間もなく半世紀に及ぼうとしているふたりの長い交流を改めてかみしめる、旧友どうしならではの深い共演だったということかもしれない。

「ほんと、友達でもこんな長い付き合いの人は珍しい。ましてやミュージシャンとなると、いちばん長いのはEPOセンパイってことになりますね。あ、それで急に古い話を思い出したんだけど。センパイのセカンドアルバム『GOODIES』(1980年)って(山下)達郎さんが3曲くらいアレンジしているんだよね」



「でね、オレその時、レコーディングスタジオに見学に行ったの。センパイに “今日、達郎さんが来るよ” って言われて、“うそーっ!? 山下達郎、来るんですかっ!? 見に行っていいですか?” って(笑)。もう本当にただのファンの見学状態。僕、まだ18〜19歳だよ。すでにUGUISSとしての活動はしていたけど、まだ全然デビューも決まっていない。バックバンドのバイトをしていた頃かなぁ。だからその時、達郎さんには挨拶すらしてない。ずーっとスタジオの端っこでレコーディングを見ていました。あれはたしか「分別ざかり」という曲を録っている時だったんじゃないかな。至近距離で初めてホンモノの山下達郎を見たのはその時ですね(笑)。いやぁ、すっかり忘れてた。これ、達郎さんにも言ってない話だよ。懐かしいなぁ」


▶ LIVE INFORMATION
・GO GO EPO 2024 ~Birthday~
・2024年5月10日(金)
 会場:Billboard Live OSAKA
・2024年5月12日(日)
 会場:Billboard Live YOKOHAMA

・出演
 EPO / vocals
 <センチメンタルシティロマンス>
 細井豊 / keyboards
 瀬川信二 / bass
 種田博之 / guitar
 野口明彦 / drums

 佐橋佳幸 / guitar
 佐野聡 / trombone


次回【佐橋佳幸の40曲】につづく(3/30掲載予定)

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2024.03.23
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カタリベ
1964年生まれ
能地祐子
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