2月5日

寺尾聰「ルビーの指環」都会をタフに生きる男にはシティポップがよく似合っていた

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時代はクロスオーバー、シティポップは足し算の音楽?


音楽を引き算、足し算で考えるととても興味深い――
たとえば、パンクロックは引き算だった。つまり70年代にそれまで複雑化した音楽の流れをすべて断ち切り、初期衝動のみを体現するシンプルなロックンロールで原点回帰したからだ。故に、言葉が、メッセージが、残像が人々の脳裏に深く刻まれ、アクションを起こすことを容易にする。フォークソングもまたしかりだ。生音のギターと肉声が主体だったからこそ、連帯を生み、カルチャーの一翼を担うようになった。

では、足し算だとどうなるだろう。それぞれの時代に生まれた様々な音楽を踏襲し、時流に合わせた世界観を醸し出す。それは人々のライフスタイルに溶け込み、安らぎを与え、自分の周りの空気の色を変える。まさに音楽に精通した職人だからこそ成せる技である。言うまでもなくシティポップは後者である。

シティポップという音楽ジャンルが注目されて久しい。その名の通り都会的で洒脱、洗練された心地よい音作りは、ロックが本来持っている衝動とは対極であり、70年代のアーシーな雰囲気から一転した80年代の始まりを象徴していたかのように思う。

この都会の夜を彩るサウンドには、ジャズ、フュージョン、AOR、ソウル、ディスコなど様々なジャンルがクロスオーバーされ、メロウなグルーヴ感を醸し出しているのが特徴だ。音楽の融合により醸し出される洗練された世界観。現在でもこの系譜は脈々と受け継がれ、サチモスなどの人気バンドも登場している。

シティポップの原点はフォークと背中合わせ?


僕が中学生だった80年代の始まりに、このシティポップというワードは既に浸透していた。角松敏生や安部恭弘、山本達彦などの軽妙なサウンドをラジオでよく耳にして、「違う世界だなぁ」と深く入り込むことはなかったが、その一方で、「オトナになったらこんな世界に触れることもあるのかなぁ」という憧れを抱いていたことも事実だ。

そんな洗練された音楽は、当時どこからやってきたのだろうか。それは同時期に音楽ジャンルとして確立していたニューミュージックとシティポップが背中合わせで共存していたように、70年代の前半のフォーク全盛期にその起点があったように思う。

60年代の終わり、反体制の象徴だったフォークソングが、ほどなくして GARO「学生街の喫茶店」や、かぐや姫「神田川」などの叙情派フォークに移行。若者たちの生活感溢れるライフスタイルを歌にし、共感を呼んだ。このフォークブームの背中合わせに荒井(松任谷)由実もいた。

新しい感覚のアーティスト + 技巧派ミュージシャンの融合


彼女が1975年にリリースした名盤『COBALT HOUR』に収録されている「ルージュの伝言」は、そんなシーンの中では、とにかく革新的で洗練された新しい風だったことは言うまでもない。アメリカンポップスのフレーバーを散りばめたこの楽曲は、当時まだ見ぬ都会の感覚だったことは容易く想像できる。

それは、当時日本でも最先端のムーブメントであったロックンロール・リバイバルとも合致した。ちなみにこのムーブメントの立役者であり、後に原宿を拠点に空前のフィフティーズブームを巻き起こす原宿クリームソーダの山崎社長には、この時のユーミンの衣装であったボーリングシャツのデザインを頭に叩き込み、後に商品化して爆発的にヒットしたという逸話がある。つまり、フォークソングの繊細で叙情的なイメージと原宿という流行発信地で最先端の感覚であったポップなアメリカンテイストの足し算が洗練された都会のイメージとして世の中に認知されることになったのだ。この感覚もまたシティポップ的だったと言えるだろう。

また、同時期に、はっぴいえんどのギタリストとして活躍した鈴木茂がセカンドソロアルバム『幻のハックルバック』をリリース。バックを務めたハックルバックのメンバーに、フォーク全盛期にボブ・ディランの影響を大きく受けた楽曲で人気を博した西岡恭蔵氏のバンド、オイルフットブラザーズでも活躍したドラマーの林敏明がいた。

このアルバムは現在、シティポップマニアの間で極めて人気が高く、当時のアナログ盤には高価なプレミアムがついている。つまりユーミンのような新しい感覚を持ったアーティストの登場や、フォーク出身の技巧派ミュージシャンたちが足し算を重ね、シティポップという形態は練り上げられていったのだ。それは時代の転換期における必然的な出来事だったのかもしれない。

シティポップを象徴する、寺尾聰「ルビーの指環」


そんなシティポップという枠の中で、誰もが知っている最も象徴的な楽曲と言えば寺尾聰の大ヒット曲「ルビーの指環」ではないだろうか。オトナの悲しい別れを歌いながらジャージーな旋律が、それまでテレビから流れる歌謡曲とは圧倒的に違う雰囲気を醸し出していた。

寺尾もまた、カレッジフォークの匂いをふんだんに散りばめて人気を博したザ・サベージのベーシスト出身で、70年代にはソロとして3枚のシングルをリリース。その後も音楽活動から離れなかった寺尾は必然的な時流の中で全楽曲を作曲し、80年代に一世を風靡するアレンジャー井上鑑氏と腰を据えて傑作アルバム『Reflections』を創り上げた。

「ルビーの指環」はこれに収録され、TBS系『ザ・ベストテン』では12週連続1位という偉業を成し遂げたミリオンヒットだ。また、「ルビーの指環」のヒットにより、それ以前にリリースされ、同じく『Reflections』に収録されたいた「SHADOW CITY」や「出航 SASURAI」もチャートに送り込むほどの影響力をお茶の間に及ぼした。どこか寂し気で洒脱な寺尾聰の世界=シティポップという印象で認識している人も多いはずだ。

西部警察、探偵物語… テレビドラマとシティポップの相乗効果


僕がそんな寺尾のサウンドに酔った背景には、同時期に彼が出演し、大人気を博していたテレビ朝日系ドラマ『西部警察』の役割も大きかったように思う。ここで寺尾が演じる松田刑事ことリキは、常にレイバンのサングラスを掛け、どこか斜に構え刑事然としないアンニュイな雰囲気を醸し出していた。僕が子供心にカッコいいなぁと思える初めてのオトナだった。それはシティポップの洒脱なイメージとぴったり一致した。将来こんなオトナになりたいなぁと思った感覚は今も朧気ながら心の中にある。

『西部警察』だけではなく、松田優作主演の『探偵物語』には SHOGUN の「BADCITY」、草刈正雄主演の『プロハンター』にはクリエーションの「ロンリー・ハート」がそれぞれ主題歌として起用されていたことも記しておきたい。都会をタフに生きる洒脱な男にはシティポップがよく似合っていた。このような相乗効果もまた、シティポップが時代の音として多くの人々に受け入れられた要因ではないだろうか。

それは、そんなドラマの登場人物が一見スマートで軽妙でありながら、様々な人間模様やトラブルを抱えていたのとおなじように、シティポップもまた、フォークソングの時代から試行錯誤され、ミュージシャンの技術の粋を集め完成されたものだということと僕の中ではダブってしまう。なにはともあれ、僕にとってオトナへの憧れの第一歩だったシティポップは今も寺尾聰のイメージそのままだ。


※2020年2月5日に掲載された記事をアップデート

2021.02.05
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