BOØWY と言えば良くも悪くも氷室と布袋のバンドであった感がある。1987年7月に「Marionette -マリオネット-」がリリースされた時には彼らの人気も絶頂で、まさかその5ヶ月後に突然解散を発表するなどとは夢にも思わなかった。
彼らの活動が始まったのが80年、その後コアなファンを中心に活動していたが、85年の「ホンキー・トンキー・クレイジー」が大ブレイクのキッカケだったように思う。
大学のクラブの同級生で高崎出身の男がいたのだが、氷室と布袋は BOØWY 結成前から地元では有名であり、彼らがブレイクした時にはまるで自分の事のように自慢していた。
さて、BOØWY の楽曲は「聴くは易し、歌うは難し」である。カラオケで彼らの曲を歌うには相当な音感が無いと歌いこなせない。しかしその友人はそんなことお構い無しに、郷土愛丸出しで歌っていた。
鏡の中のマリオネット
自分の為に踊りな
ある時、その友人を含む同じクラブの仲間数名で酒を飲んでいたら、カラオケをしようという事になった。当時は今時の通販で売っているようなカラオケマイクなどなく、2台のラジカセを用意し、1台で曲テープを流し、もう1台にマイクを挿してスピーカーの代わりにしていた。
泣き顔でスマイル
すりきれてシャイン
踊るならレイン
その友人が感情を込めて「わがままジュリエット」(86年)を熱唱するのだが、かなり残念な感じになってしまう。恐らくこの曲が BOØWY の中で一番歌うのが難しいのではないだろうか。
はなればなれじゃ CRY CRY CRY
悲しがらすような HOW TO LOVE
酔っ払いの我々は「その曲を誰に贈りたい?」などと合いの手を入れて楽しんだ。
後日クラブのリクリエーションの一環で車数台を連ねて BBQ に行った。車には後輩の女の子などが分乗している。
「これ BOØWY、よかったら道中に聴いてよ」
一緒にカラオケをしていた仲間がカセットテープを差入れた―― はじめの内、テープからは氷室京介のビートが利いた流行曲が流れていたのだが…。
突然、酔っ払いによる音程もリズムも狂った「わがままジュリエット」のアカペラが流れ出した。そう、マイク代わりにして歌っていたカセットデッキはしっかり録音されていたのだった。
「その曲を誰に贈りたい?」
「は~い、後輩のミキちゃんで~す」
高崎の友人は車内で爆死していた。
歌詞引用:
Marionette -マリオネット- / BOØWY
わがままジュリエット / BOØWY
2018.06.02
YouTube / Celica DoubleX
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