4月28日

稲垣潤一とユーミンの異色コラボ、ドライブ感に満ちた「オーシャン・ブルー」

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稲垣潤一のシルキーヴォイス、デビュー当時は “硬質” だった?


2019年9月に開催された『夕刊フジ ミュージック presents 林哲司 produce AOR JAPAN Liveコンサート』でのこと。作曲家の林哲司さんが、ゲスト出演の稲垣潤一さんを「ポップスを歌うために生まれてきたヴォーカリスト。シルキーヴォイスで、作曲家としてぜひ曲を書きたいと思う方」と紹介した。加えて、筒美京平さんが、ご自身が提供した曲を何度も何度も聴いていた… というエピソードも林哲司さんから披露された。

シルキーヴォイス。絹のような、美しく、強く、やわらかく、それでいて凛とした、なめらかで母音が響く切れ味の良い声。やわらかい着心地のシルクのパジャマは一生ものだが、そんな上質のパジャマを素肌にふわっと羽織ったときの心地よさを、いまの稲垣潤一さんの歌に感じる。

もっとも、デビュー当時の稲垣潤一さんの声にわたしが感じた印象は、“硬質” だった。買ったばかりのパジャマはまだいくぶんかたい。洗って着ているうちにどんどんやわらかくなっていく。作品でいうと1983年「夏のクラクション」あたりから、硬い印象がやわらかくなっていったように思う。

ドラマー兼ヴォーカリスト、好きな曲を歌っていたハコバン時代


稲垣潤一さんは小学生時代、ビートルズに魅せられて音楽に興味を持ち、ドラムを叩き、中学3年のときに初めてバンドを組み高校生時代にはヤマハ主催の『ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』にも出場した。宮城県工業高校を1972年に卒業後、バンドで上京し米軍キャンプなどでも演奏したものの1年ほどで故郷の仙台に戻り、仙台でライブハウス、キャバレー、ディスコの専属バンド、いわゆるハコバンで幅広いジャンルのライブ活動をしていた(※1)。

ハコバン時代の稲垣潤一さんは、ドラムを叩きながら、曲によってはヴォーカルを担当し、自身が好きなビリー・ジョエルやビートルズなど、洋楽のロック、AORといわれるジャンルを中心に歌っていたという。「当時はメインヴォーカルではなかったため、自分の好きな曲を歌えて、それが今の稲垣潤一の原点になっている。ただ、ずっと英語の歌に慣れていたから、日本語をメロディに載せて歌うのにとても苦労した」と、2020年5月にオンエアされた『ミュージック・モア』(TOKYO MX)でご本人が語っていた。

稲垣潤一さんが最初に上京した1972年、立教女学院から多摩美術大学に進んだ大学1年生の荒井由実さんが「返事はいらない」でデビューしている。干支がひとまわりした後に「オーシャン・ブルー」を書きおろしたユーミンだ。

異色の一曲「オーシャン・ブルー」詞曲:松任谷由実、編曲:松任谷正隆


稲垣潤一さんのヴォーカルが、松任谷由実さんの詞と曲、松任谷正隆さんのアレンジで満たされた深い深い海のなかで、たゆたゆとゆらめく「オーシャン・ブルー」。稲垣潤一さんの40年近いキャリアのなかでも異色の一曲だ。

1984年のリリース当時、どこか少年のかおりが残る稲垣潤一さんが、ユーミンの曲を歌うことが話題になり、蓋を開けた作品は松任谷正隆さんのアレンジもあり、それまでにないドライブ感に満ちていた。1984年5月発売のアルバム『Personally』からの先行シングルだ。

当時のわたしは仮面浪人的になんとなく入学した女子大の1回生で、シルクのパジャマの着心地はまるで知らなかったし、カセットの棚にはユーミンも稲垣潤一も山下達郎も村田和人もEPOも安部恭弘も松田聖子も是方博邦もナニワエキスプレスもビリー・ジョエルもデュラン・デュランも一緒くたに並んでいた頃だった。

稲垣潤一の声でいちばん美味しいところはどこ?


AORを中心とした洋楽テイストを日本語で歌う稲垣さんには、職業作家とシンガーソングライター両方から多様な楽曲が提供された。どの作品も稲垣潤一さんの声のいちばん美味しいところ… 上のミからラのあたりのメロディが心に残る。

職業作家が提供したシングルの作品で挙げると、筒美京平さん作曲で大ヒットした「ドラマティック・レイン」、林哲司さんの「夏のクラクション」「想い出のビーチクラブ」。極めつけはファーストアルバムに収録された、マーティ・バリンのカヴァー、「ハート悲しく」。湯川れい子さんによる日本語詞、歌い出しのハイトーン「♪ どーうしてるの~」が印象的な名曲だ。マーティ・バリンの原曲も日本で大ヒットしたので、ご存知の方も多いのでは。

「オーシャン・ブルー」も、稲垣潤一さんの声のいちばん美味しいところが、サビの「♪ 明け方のオーシャン・ブルー」で効果的に使われている。

さすがユーミン「オーシャン・ブルー」にみる、詞曲のシンクロ具合


シンガーソングライターの曲は、詞と曲のフィット感が印象に残ることが個人的には多い。この「オーシャン・ブルー」も、詞と曲のシンクロ具合の深さが印象に残る。ふたつ例に挙げてみよう。

 生まれたばかりの愛が哀しくさせる
 ああどれだけ遠まわりしてきたの

短調(Dm)でずっと続いた歌が一瞬長調(D)に転調するBメロ部分だが、希望に通じる言葉が載るところで一瞬長調に転じて雲が切れるように明るくなる。またすぐに雲が翳り短調のままサビにつながるが、サビの終わりは長調に転じて明るい未来を思わせる。一夜を過ごし明け方を迎えた “ぼくときみ” が描かれる歌詞と、どきどきした緊張感があるメロディ。さすがユーミンと頭が下がる。

 肌寒ければじっと抱いていてあげる

1980年にオフコースの小田和正さんが「Yes-No」で「♪ 君を抱いていいの 好きになってもいいの」と歌った時にはファンの間で物議をかもしたと伝え聴くが、この稲垣潤一さんの「抱いていてあげる」もファンにとっては相当心を揺らす歌詞だ。「じっと」でユーミンが存在感のあるコーラスをかぶせているのも聴き逃せない。

もう一度聴いてみたい! 松任谷由実 × 稲垣潤一 のコラボ


「オーシャン・ブルー」は2003年にユーミンもセルフカヴァーアルバム『Yuming Compositions:FACES』で取り上げ、話題になった。ユーミンのメロディと稲垣潤一さんのヴォーカルの相性はいいと個人的に思っている。松任谷正隆さんも稲垣潤一さんのようなソフトな声のシンガーが好き、と著書の『僕の音楽キャリア全部話します』(新潮社)で記している。

松任谷由実さんが稲垣潤一さんに書いた作品は、現在のところオリジナルではこの「オーシャン・ブルー」がオンリーワンだが、おふたりとも現役だけに、同級生の組んだいまの新作を、もう一度聴いてみたい。


脚注(※1):本文にあります稲垣潤一の音楽との出会いや活動については『闇を叩く』(小学館文庫)、『かだっぱり』(小学館)の2冊に非常に詳しいので、興味のある方は是非そちらもご覧ください

2020.07.09
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