シティポップのマスターピースとして、今や世界中で聴かれている「真夜中のドア」
1979年11月5日。松原みきのデビュー曲「真夜中のドア〜stay with me」のリリース日である。発売から45年を迎えるこの日、作曲者の林哲司がプロデュースした最新バージョンがデジタルリリースされることになった。
ここ5年ほど、「真夜中のドア」を巡る話題は、多くの音楽ファンが知るところであろう。2020年の11月頃よりSpotifyのバイラルチャート "グローバル バイラルトップ50" で急上昇し、同年12月には18日連続で世界1位を記録。英米はもとより世界各国のバイラルチャートで1位を獲得した。インドネシアの女性シンガーであるレイニッチがこの曲をカバーし、その動画が大反響を巻き起こし拡散されたことも記憶に新しい。現在、Spotifyの同チャートでは3億回以上、YouTubeでも約36億回をこえる再生回数を記録。シティポップの金字塔として、今や世界中で聴かれている楽曲となった。
45年の時を経て進化していくポップスの魔法
今回リリースされるバージョンは、オリジナルのボーカルテイクと、いくつかの楽器を残した以外、全て作り替えられている。新たなトラックのアレンジに林哲司とともに加わったのは “y@suo ohtani” こと大谷靖夫。作編曲家としてdream、鈴木亜美、玉置成美らへの作曲、Every Little Thingらへの編曲で活躍、昨年の林哲司作曲活動50周年プロジェクトでも、林作品コンピのリミックスを多数手がけている。
サウンド面ではオリジナルのAORテイストを残しつつ打ち込みを加え、ややファンク色を強めた音作りで、45年の時を経て進化していくポップスの魔法を聴く思いである。そして、意外なほど当時のボーカルと現代的なサウンドが自然な形で融合しており、改めて松原みきのボーカルのエターナルな魅力に気付かされることになった。
「真夜中のドア」がロングヒットした理由
ところで、「真夜中のドア」がなぜここまでのロングヒットになったのか。というより、45年前に作られた詞と、曲と、サウンドと、ボーカルが、なぜそのままの形で現代のリスナーに受け入れられたのだろうか。
ヒットの要因とその世界的な拡がりについては、冒頭で書いた通りSNS発信や海外DJたちの活動でお分かりの通りだが、大前提として、「真夜中のドア」が、経年劣化せず2024年の段階でも "今の音楽" として聞ける点がまず大きい。そして、その理由は林哲司のメロディーの魅力、加えてそのサウンドの特性、そして何より松原みきのボーカルにあるのではないだろうか。
「真夜中のドア」は、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)のディレクターであった金子陽彦から "そのまま英語がはまってもいいような洋楽を書いてほしい " との要望に沿って作られた曲だが、実際に歌入れしてみると、松原の濡れたジャジーな声質により、洋楽的に書いたつもりが、歌謡曲のような日本の王道ポップス方向に引っ張られた、と林哲司は語っている。
林哲司の描くメロディーラインを鮮やかに引き立てる松原みきのボーカル
ここで注目したいのは、松原みきのボーカルについての言及だ。ややハスキーで、あまりビブラートを用いずクリーンなトーンで歌い上げるスタイル。わずかに湿っぽさを感じさせる声の質感と、艶やかな響き。夜の匂いが漂う声は、母親がジャズシンガーで、幼少期からジャズに親しんでいた松原みきの出自にあるようだ。高校生の頃に上京、米軍キャンプなどで演奏し、六本木のジャズスポット、バードランドに飛び入り演奏、ここで名ピアニストの世良譲の知己を得るといったデビュー前の経歴も鑑みると納得のいくところ。
松原のボーカルは、アニタ・オディやクリス・コナー、ジューン・クリスティといった往年の白人女性ジャズシンガーに近い歌い方で、ハスキーな声質がサビの箇所に来るとグンと伸びていく点など、アニタに近い歌唱法を感じさせる。甘さと仄かな官能が混じり合ったこの歌い方は、林哲司の描くメロディーラインを鮮やかに引き立てる。ちなみに、松原のジャズボーカルに関しては、1985年に発売されたカバーアルバム『BLUE EYES』でその力量を存分に聴くことができる。
一方では、ソウル、AOR系の音作りとの相性も良い声で、ライトファンク的な楽曲での松原の歌唱は、1980年1月発売のファーストアルバム『POCKET PARK』収録の「cryin’」でも既に現れているが、1981年発売のサードアルバム『Cupid』でモータウン所属のLAのフュージョンバンドDr.Strutを演奏陣に迎えた楽曲で顕著になった。彼らと全面コラボした4作目の『Myself』では完全にポップソウル的な音に舵を切っている。
ただ、こういうボーカルは、日本のポップスの場合、引っ掛かりが少なく印象の薄いものになってしまう恐れがある。日本の歌謡曲は歌手の個性やクセといった特徴から曲想を導き出すケースがほとんどであるからだ。だが逆に、洋楽的な楽曲を引き立たせ、なおかつ自身の声がサウンドの一部として機能する利点もある。
メロディーとサウンドが一体となり、音で都会的な世界観を表現するシティポップという音楽の特性に、松原のボーカルは絶妙にマッチするのだ。さらに言うなら、声質や歌唱法に強いクセがなく、楽器のようにスムースに響くその声は、どの時代のトレンドのサウンドにも合致するだろう。
「真夜中のドア」が世界的な広がりを見せた要因
林哲司のメロディーについても言及しておきたい。林は自身の曲を自己分析する際に、よく “中間色" という言葉を用いる。マイナーコードで作られた曲の中に少しメジャーを入れたり、明るさと暗さのどちらにも振らない曲調は、林印とも呼べるもの。
林が作詞家の康珍化と組んだ杏里「悲しみがとまらない」は、めちゃくちゃ悲しい話を、めっぽう明るい曲調で歌う、という発想で作られた曲で、林はモータウン風のメロディーとアレンジを施している。手法としては「真夜中のドア」と同じである。加えて、サビの部分に英語のフレーズが挿入されるスタイルは、林哲司作品の一大特長で、前述の「悲しみがとまらない」をはじめ、杉山清貴&オメガトライブ「SUMMER SUSPISION」「君のハートはマリンブルー」、上田正樹「悲しい色やね」など、好例はいくつもある。
要は、英語を乗せやすい洋楽的なメロディーということだ。この曲が世界的な広がりを見せた要因に、日本語を理解できない外国人が聴いた際、英語のフレーズがとっかかりになり、そこを起点に洋楽的なメロディーの快感、サウンドの緻密さが耳に残るという流れがあるようだ。
一方でサウンド面は、当時の日本の音楽としてはかなり洗練されたアレンジで、歌謡曲的なキャッチーさやドギツさはなく、かといって時代の先端的な、流行を意識した音ではない。無駄のないシンプルな、それでいて緻密に各パートが構成された、この時代のAORサウンドである。先鋭的ではないが普遍性が高く、それゆえにサウンドもまた45年の時間に耐え得る魅力を持ち合わせていたのだ。
都会的な風景を浮かび上がらせる三浦徳子による歌詞
加えて、三浦徳子による歌詞も特徴的だ。「真夜中のドア」は再ブレイク後に、多くの人がその詞の解釈を披露しているが、多様な解釈が可能なのは、この女性がなぜ別れることになったか、出来事の原因となる理由を明確に描いていないからである。
状況と今の感情だけがそこにあり、その原因やドラマを敢えて描かないことで、メロディーやアレンジから想起させるものを聴き手が自由に解釈することが可能なのだ。実はこれこそが、シティポップ向きの表現である。なぜならシティポップとはメロディーとサウンドで世界観を聴かせる音楽であるため、状況描写で聞き手はそのシチュエーションに身を置き、音の響きと洋楽的なメロディーの運びで、曲そのものの持つ "感情" を受け取り、都会的な風景を浮かび上がらせるのである。
詞と曲とサウンド、そしてボーカル。どれか1つが突出していてもバランスが崩れてしまう。「真夜中のドア」は、この3要素が高い洗練度で融合していることにより、いつの時代に聴いても作品としてのクオリティの高さだけが聴き手に届く。それゆえスタンダードとなり得たのだろう。作者や歌い手のセンスから導き出される洗練だけは、いつの時代も普遍的な魅力を放つのだ。松原みきのしなやかな歌声は、時代を超えて響き渡る、永遠のアンセムと言えよう。
▶ 松原みきのコラム一覧はこちら!
2024.11.05