6月21日

YMO の必然と黄金の6年間、変わっていく時代と新しい音楽のカタチ

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イエロー・マジック・オーケストラのセカンドシングル「ライディーン」がリリースされた日
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YMO とは高橋幸宏サンのことである。

―― なんて書くと、お前は何を言っているんだと叩かれそうだけど、かの秋元康サンだって、かつて「AKB48とは高橋みなみのことである」なんて言ったくらいだし、それに対して、「いや、もっと何十人もいる」とか「前田敦子だろ」なんて野暮なツッコミをする人はいない。

僕が言いたいのもそういうこと。僕なりに YMO 的なものを突き詰めていくと―― 高橋幸宏サンに行き着いたということだ。

もちろん、YMO ―― イエロー・マジック・オーケストラが細野晴臣・坂本龍一・高橋幸宏という稀代の3人のミュージシャンの才能が結集し、1978年から “散開” する83年までの6年間に一世を風靡したのは言うまでもない。

奇しくも今年、僕はこのリマインダーで1978年から83年を「黄金の6年間」と題して、連載的なコラムを書いている。それは東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングな時代だったからである。

映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のヒットで街にサーファーディスコが雨後の筍のように出現し、ユーミンが『流線形’80』でシティポップスへと進出、村上春樹が『風の歌を聴け』でアメリカ文学の風を文壇に送り込み、フジテレビが「楽しくなければテレビじゃない」と開き直った、あの時代――。

そんな「黄金の6年間」は、83年の東京ディズニーランドの開園をもって収束する。計算され尽くした圧倒的なエンタテインメントの登場で、それまで試行錯誤を重ねてきた混迷の時代は、1つの終焉を見る。

もう、お分かりだろう。YMO が活動した6年間が、まさにその「黄金の6年間」とピタリと重なるのだ。単なる偶然だろうか。いや―― 僕は必然だったと思う。

司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』の最後のページに、刺客に倒れた竜馬への司馬の思いを綴った一節がある。

「天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。」

僕は―― YMO が活動した6年間も、不思議とこの一節に符合するように思えてならない。時代の転換期に颯爽と現れ、新しい音楽のカタチをポップに僕らに見せてくれた3人。だが、その使命が終わると、散り際も鮮やかに散開した――。

YMO が結成されたのは、1978年2月19日である。その日、細野晴臣サンは自身のソロアルバム『はらいそ』の収録曲「ファム・ファタール」の録音で、坂本龍一サンと高橋幸宏サンとセッションしたあと、彼らを自宅に招いて、焼きおにぎりを振る舞った。

この時、こたつに入りながら、かねてより温めていた YMO の構想―― 白魔術(白人音楽)でも黒魔術(黒人音楽)でもない、シンセサイザーを駆使した黄色人種独自の音楽 “イエロー・マジック” を作りたい―― と語ったところ、2人も賛同。ここに、YMO が結成される。

有名な「4人目の YMO」の話がある。細かな経緯は、糸井重里サンの「ほぼ日」の記事『横尾忠則、細野晴臣、糸井重里、3人が集まった日。』に詳しいが、YMO は当初、美術家の横尾忠則サンも参加する予定だったという。もちろん、横尾サンは楽器ができない。しかし、ミュージシャン以外の人物がバンドに入って、アートワーク的に化学反応を起こすケースは海外にいくつか例があり、新しもの好きの細野サンの誘いに、横尾サンも快諾する。この時の細野サンの頼み方がいい。

「テクノカットにして、タキシードを用意してください」

YMO にとってアイコンは大事だった。細野サン自身も YMO 結成を機にそれまでの長髪を切り、テクノカットに。教授(坂本龍一)も以前はジーンズにゴム草履とファッションに無頓着だったが、幸宏サンにコーディネートを一任する。そう、YMO をビジュアル面からコーディネートしたのが、幸宏サンだった。初期の代表的アイコンである通称「赤い人民服」も彼のデザインである。

ここで、YMO における3人の立ち位置を簡単におさらいしておこう。

まず、細野サンがリーダー兼プロデューサー。YMO のコンセプトやネーミングを考えたのは彼である。

次に教授。YMO の音楽を理論化し、構築するのは彼の役目だ。この時、教授をサポートするのが、シンセサイザープログラマーの松武秀樹サン。ちなみに彼も「4人目の YMO」と呼ばれる。

そして、幸宏サンが前述の通り、YMO におけるビジュアルやファッション担当。それともう一つ、彼には大事な役目があるが―― おっと、その種明かしはもう少しあとにしておこう。

そうそう、横尾サンはその後どうなったか。YMO 結成の記者会見の日に、ちょうど締切が立て込んでしまい、それに追われて無断欠席。結局、そのままフェードアウトしたとか(笑)。

if もしも、横尾サンが YMO にいたら―― ビジュアル面のアートワークは横尾サンの担当になり、幸宏サンの出番はなかっただろう。そうなれば、YMO のファッションは僕らの知るポップ路線ではなく、アート志向に。伝説的グループは、全く違う軌跡を辿っていたかもしれない。

閑話休題。1978年11月25日、ファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』で YMO はデビューする。しかし、大々的なプロモーションは行われず、この時点で一般にはほとんど知られていなかった。だが、心配ご無用。これは細野サンの作戦だった。

「まず、世界で売れてから、日本へ凱旋する――」

実際、所属元のアルファレコードは同年秋にアメリカの A&M レコードと業務提携しており、同社の海外戦略の第1号アーティストが YMO だった。

翌79年5月、そんな次第で、米国版『イエロー・マジック・オーケストラ』がリリースされる。そのオリエンタルで無機質なサウンドは、米国の音楽評論家から絶賛され、瞬く間にかの国で話題になる。

そして同年8月には、YMO はロサンゼルスのグリーク・シアターでザ・チューブスのオープニング・アクト(前座公演)を三夜連続で行い、観客が盛り上がりすぎて、予定の演奏時間を延長するなど爪跡を残す。

ちなみに、この時、サポートメンバーとして当時24歳の矢野顕子サンも参加している。YouTube で映像を見られるが、このアッコちゃんがツインテールで可愛いこと! 教授がホレたのも頷ける。

同年9月25日、YMO のセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が発売。後に「テクノポリス」と「ライディーン」がシングルカットされ、1年後にはオリコンチャートでアルバム1位となり、ミリオンセラーを記録する歴史的名盤となるが―― まだ、この時点で日本における YMO の知名度は低く、チャートは低迷する。

そして10月、初のワールド・ツアー「トランス・アトランティック・ツアー」が、イギリス・ロンドンを皮切りにスタートする。赤い人民服にテクノカット、オリエンタルで無機質なサウンドに、聴衆に媚を売らないクールな演奏が評判を呼び、パリ、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンと、各地で話題に――。

ちなみに、このツアーにも矢野顕子サンはサポートで参加するが、既にお腹に教授の子を宿していた。後の坂本美雨である。そう、美雨サンは YMO のサウンドを胎教に育ったのである。

1979年12月、帰国。既にこの時点で、海外における YMO の活躍は、逆輸入される形で日本でも話題沸騰。中野サンプラザで行われたコンサートは「凱旋公演」と呼ばれるまでに。細野サンの予言通りだった。

僕が、やっと YMO を意識して聴き始めたのも、この辺りだ。少し前に「テクノポリス」がシングルカットされていたが、僕らの周りで圧倒的に人気なのは、同名のロボットアニメのタイトルで子供たちには馴染み感のあったアルバム曲の「ライディーン」だった。

無機質だけど、ポップ。テクノだけど、盛り上がる――。今もって、YMO の代名詞として1曲だけ選ぶとしたら、多くの人は「ライディーン」を思い浮かべるのではないか。事実、2007年にキリンラガー CM の企画で YMO が期間限定で復活を果たした際も、使われた楽曲は同曲をアレンジした『RYDEEN 79/07』だった。

1980年6月21日、セカンドアルバムから満を持して「ライディーン」がシングルカット。そう、今から39年前の今日である。そして何を隠そう、同曲の作曲者こそ、高橋幸宏サンなのだ。

「YMOとは、高橋幸宏サンのことである」と冒頭で僕が申し上げた意味がお分かりいただけただろうか。

そして、もう一つ―― 先に伏せておいた YMO における幸宏サンの大事な役目。ともすれば楽曲の方向性を巡り、対立しがちな細野サンと教授の間を、まるで接着剤のようにつなぐ “要” の人。

もう一度言う。YMOとは、高橋幸宏サンのことである。

2019.06.21
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カタリベ
1967年生まれ
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