京都・木屋町で働いていると、いろいろな人にお世話になります。私が大学生だったせいもありますが、普通じゃ入れない「一見さんお断り」の飲食店に連れて行ってもらったりね。
特にお世話になったのは、祇園・木屋町界隈で「先生」と呼ばれていた方です。呼び方は「せんせい」ではありませんよ。アクセントを前に置き「せんせ」です。間違えないように。歳の頃なら当時50代、私が働いていた店によく寄られる方で、毎日のように街に現れては、次から次へと河岸(かし)を変える、一日に何軒も顔見せで回られるのです。
たまに「小山くん、いる?」と店に電話が入ります。もし店が忙しくなければ、そのまま先生が飲んでいる店におじゃまし、そこで1杯いただきます。「お腹すいてない?」と食事をいただくこともあります。私はもちろん、店のチーフや先輩のTさんもご馳走になることが多かったですね。
あるとき、東京から兄貴が京都へ遊びに来ていました。兄貴も学生だったので、しばらく私の下宿で寝泊まりし、昼は自分で京都見物、そして夜は、私のバイト先で飲んでいたのです。その日もいつものように先生がいらっしゃいました。
「せんせ、うちの兄貴です」
「え、東京から来はったん?」
しばらく2人でバカ話をしていましたが、そのうち意気投合したのか、先生が「ちょっとお兄さんと出てくる」と店を出ました。
しばらくして戻って来たのですが、どうも兄貴が興奮気味。なんと宮川町のお茶屋さんに連れて行ってもらったのだそう。「えっー」って感じですよ。だって、私もまだ連れていってもらったことがないのに。たまたま東京から来ていた兄貴が、私より先に連れていってもらうとは...
先生は、若い世代の面倒をみるのが好きで、「東京から来た若いあんちゃんに、京都を体験させてあげよう」という気持ちだったと思います。でも、うれいしいものですね。兄貴がそんな体験をしたのは、私がその店にいたからこそ。まあ、日頃の私のおかげといっても過言ではないでしょう(その後、私も数回、連れていっていただきました)。
さて、先生は、カラオケを全く歌いませんでした。初めてお会いしてから数年経っても、お聴きしたことは皆無です。ところが、ある曲をきっかけに、急に歌われるようになりました。それが『愛燦々』です。ご存じ、美空ひばりさんの名曲で小椋佳さんが提供したことでも知られています。歌は決してお上手とは言えませんが「ほんまに、ええ曲」と感慨深げだったのが印象的です。もちろん、それ以外の曲を歌うことはありませんでした。
私が東京に就職した後もお付き合いさせていただき、先生が東京にいらっしゃるときには、必ず声をかけてくださいました。いつも銀座で待ち合わせ。その後は、2~3軒回ります。先生は、京都以外でも夜の街を回っていたのです。これ、すごい付き合いの広さですよね。
ちなみに「先生」のお仕事は「琴」の販売。なんの先生かというと、本人はおっしゃらなかったですけど「お花」だそうです。ですが、私にとっては、京都の夜を教えてくださっただけでなく、「こんな人になりたいものだ」と教えていただいた先生です。現在は他界されましたのでお会いできないのがとても残念なのです。
私にとって本当にいい出会いでした。京都に行き、その店で働かなかったら出会うこともありませんでした。「人生って不思議なものですね」
愛燦々 / 美空ひばり
作詞・作曲:小椋佳
発売:1986年(昭和61年)5月29日
2016.12.01
YouTube / Butcher .k
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