1978年、小学6年生の時に矢沢君という友だちがいた。
矢沢君は12月31日23時59分59秒にジャンプして、「俺、今年の元旦地球にいなかった」的な発言をするタイプの男の子であった。また県境での反復横跳びをこよなく愛する男でもあった。
そんな矢沢君は給食に関しても様々な伝説を作った。
一例を挙げるとサクラ印ハチミツ(透明なビニール製で絵の具みたいな形状をしているが、蓋が人の頭みたいになっており、口でねじ切って使う)を、蓋をしたままあらん限りの握力で握りつぶし、教室中にハチミツをぶちまけたり、ソフト麺を餅になるまでこね回したり、テトラパックの牛乳を踏みつぶし、「パンッ!」という音と共に残っている牛乳が女の子の体操服に掛かって顰蹙を買ったりしていた。
とにかく迷惑というか、うざったいというか、バカというか、いずれにしても伝説の人ではあった。
同年流行した曲は当サイト(Re:minder)でも取り上げられている。ガンダーラ、サファリナイト、野性の証明などなどである。しかしこの年、私の印象に最も深く残ったのは山口百恵の「プレイバックPart2」である。
なぜこの曲に印象が残っているかというと、矢沢君が「この歌い出しの “緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ” ってあるじゃん。NHKでは商品名を言えないから “緑の中を走り抜けてく真っ赤なクルマ” って歌ってるの知ってた?」と、どうでもいいトリビアを鬼の首を取ったかのようにクラスで話しまくっていたからだ。
言うまでも無いことだが、山口百恵は73年にデビューし、わずか7年後の80年に引退している。たった7年の活動期間だったが、その存在は昭和の歌姫と言っても過言ではない。
武道館で行われた引退記念公演で「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」と歌唱後にマイクを舞台の上に置いて去っていったことをご記憶の方も多いだろう。
人間引き際でその後の評価が乱高下するものである。
では矢沢君は? というと、その後私立の中学校に進学したので消息を知っている人は居ないのだが、風のうわさでは変なビデオに出ていたらしい。伝説の人である。
2016.05.28
YouTube / Fiona
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