平成が終わり新しい元号の年を迎えるというのに、僕らは昭和の終わりに思いを馳せていた。
酒の席では相変わらずの音楽談義。いつまで僕らはこんな話を続けているんだろう。ルースターズ、ロッカーズ、アナーキー、BOØWY、モッズ、鮎川誠、山善、爆裂都市、バトルロッカーズ、クラッシュ、ジョー・ストラマー… そしてブルーハーツ。
集まった僕らの口から溢れる記号の数々は十代の頃からさほど変わっていない。そこに潜むのは懐かしさ?
いや、そうじゃない。
記憶のなかで音楽は熟成し、生き続けている。だって年を重ねても僕らは変わらず聴き続けているのだから… 十代の時に出逢った音楽たちは、人生に寄り添ってくれている。音楽が鳴り響いた場面の記憶の残像が今も僕の脳裏をよぎる。
つまり、十代で出逢ったロックンロールの衝撃は、おいそれと「懐かしさ」というワードに変換されるほど安っぽいものではないということだ。十代の多感な心に音楽がコネクトする直前の物語をブルーハーツは「街」という曲でこんな風に歌っている。
アスファルトだけじゃない
コンクリートだけじゃない
いつか会えるよ
同じ涙をこらえきれぬ友達と
きっと会えるよ
毒ガスばかりじゃない
ドロ水ばかりじゃない
いつか会えるよ
同じ気持ちで爆発しそうな仲間と
きっと会えるよ
その時 おまえには 何が言えるだろう
その時 友達と 何を話すだろう
僕には今でもロックンロールにコネクトしている友人との出会いがある―― 同じ価値観で繫がっていても、そこには十人十色の思いが存在する。
北海道の札幌からすこし離れた地方都市で十代を過ごしたという友人… 彼女とは最近 SNS を通じて親しくなった。今回はその友人と酒の席で語り合ったブルーハーツの話をしようと思う。
インターネットなんて影もかたちもなかった80年代。ロックファンの唯一の情報源は、音楽雑誌だった。『PATi・PATi』『宝島』『FOOL'S MATE』そして『DOLL』。パンクロックに夢中になれば、みんな『DOLL』を読む。その友人も例外ではなかった。
地方都市では、発売日より1日、2日遅れて雑誌が書店に並ぶ。憧れのバンドが活躍する東京から、少し遅れて届いた雑誌を特集記事だけでなく、広告、読者ページ、欄外のトピックスに至るまで、ひとつの情報も漏らさず夢中で読み耽る。1ミリでも東京のストリートに近づきたいという思い… そして、そこで見つけた小さな記事。
「ブルーハーツが札幌にやって来る」
ニュースが飛び込んできたのは86年、ブルーハーツが自主制作シングル「人にやさしく」をリリースする少し前のこと。東京のライブハウスを中心に活動しているバンドが、地方遠征して自分たちの街にやってくるというのは、どんな日常の出来事にも勝るとびっきりの大ニュースだ。
また86年といえば、あの痛ましい日比谷野音の “ラフィンノーズ公演雑踏事故” が起こる前年である。当時、日本はバンドブームで沸き立っていた。それぞれのアプローチでロックの初期衝動を体現したラフィンノーズ、ブルーハーツ、KENZI、BOØWY、BUCK-TICK… 彼らは隆盛を極める直前にいた。
抑えきれない十代のオーディエンスの爆発しそうな気持ちは、日々、前へ前へとステージへと向かい加速していく。大人たちはそんな思いを抑制できる術もなく、全国のコンサートホール、ライブハウスでは、毎晩緊張が走っていた。主催者側は頭を抱えていたに違いない。
話を戻そう――。
ブルーハーツがやって来るのは、当時ススキノにあった「P」というライブハウス。階下にはディスコが入っており、ライブで観客が叫び、跳びはねる騒音と振動で窓ガラスにひびが入るなど、常々クレームが入っていた。そこで安全面への配慮ということから、ブルーハーツがやってきたその日に最悪の打開策が貼り紙告知されたという。
「当ライブハウスは階下への振動による苦情があり、当面、スタンディングでの観賞を禁止します」
ライブハウスと言えば、今も80年代もスタンディングが常である。だから、こんな状況でも椅子は用意されていなかった。爆発しそうな思いを抱えてこの場所にやってきた十代中心のオーディエンスたちは、冷たいフローリングに腰を下ろし、体育座りでブルーハーツを迎えたという。
それでもブルーハーツはいつものままだっただろう。ヒロトが前のめりで、観客席の向こう側、いや世界の裏側まで突き抜けるようなギラギラした視線で叫び、マーシーは私淑するミック・ジョーンズのようにギターを構えコードを掻きむしる。そんな彼らを眼前にしながらも観客は1ミリたりとも動くことを許されなかった。
「あの時のお尻の冷たさと、今すぐにでも跳ね上がりたい身体のもどかしさは、今もずっと自分の中にある」
その場所に居合わせた仲間たちはそれぞれ爆発できないもどかしさを抱えながら、自分の目線より遥かに高いステージにいるブルーハーツとどんな気持ちで向き合っていたんだろう。そして、そんな光景を会場で目の当たりにしたブルーハーツのメンバーの気持ちを思うとなおさら胸が痛んだ。
僕は決して見ることのない、その光景に思いを馳せた――。
ロックンロールが日々の抑圧からの解放であり、十代の閉塞感を破る唯一の起爆剤だった時代。特に80年代のオーディエンスの熱量はハンパじゃなかった。その頃の肌感を共有できる仲間とは話が尽きることがない。でも僕らは昔話に花を咲かせているわけではない。会話を楽しみながらも、あの時の熱量が30年近く経った今も心の中に消えずにあるかを、確認し合っているのである。
それと同時に、十代で知った「たったひとつの価値観=ロックンロール」が今でも心を浄化してくれることに感謝する。今年も、この見えない力が生きる糧になることを信じて…。
2019.01.04
YouTube / Everyman
YouTube / hamachi27
iTunes / THE BLUE HEARTS (リマスター・バージョン)
Information