ビリー・ジョエルのベスト盤、タイトルはビリー・ザ・キッドのリズム感を狙う
ビリー・ジョエルの担当として私の初めての作品は1982年『ナイロン・カーテン』。そして1983年『イノセント・マン』の大ポップアルバム… と、素晴らしい作品に恵まれて70年代後半のミリオンヒット2連発(『ストレンジャー』と『ニューヨーク52番街』(以下、NY52))には届きませんが、80年代に入っても、“ベストセリング・アーティスト” としてのビリーのイメージとポジションを守ることができました。そして翌84年の日本公演も大成功。ビリーのキャリアとして2回目のピークを迎えていました。そういう絶頂期に発表されたべストアルバムが、今回のテーマ『ビリー・ザ・ベスト』です。
日本では当時、“安い” “早い” の輸入盤が大都市中心に急激に拡大しつつあり、我々が製造販売している国内盤のライバルともいえる存在になっていました。洋楽系メジャー各社はヒットアーティストの新譜では、価格の設定から発売日に至るまで、この輸入盤を大きく意識していました。とは言え、発売スピードは何とか対応できても、価格差だけは、簡単には解決できず、日本盤としての解説書や対訳などの価値でユーザーに選んでもらうしかなかったのです。
こういうマーケット事情の中、アルバムは1985年7月27日に緊急発売されました。時代的にはアナログ盤がビジネスの中心にありLP、カセットは21曲収録で4,000円の設定ですが、CDは輸入盤の心配がなく、まだこの時代では実験的な期間中でもあり、25曲収録の5,000円でした。
実はCBSよりビリーのベスト盤が発売される、という情報が入った時から邦題は決めてました。単なる語呂の調子だけですが、末永くみんなに呼んでもらえるように『ビリー・ザ・ベスト』です。もちろん、“ビリー・ザ・キッド“ のリズム感から拝借しています。
ディレクター・キャリアの中でつけた邦題の中では、ジャーニーの『ライブ・エナジー』とこれが自分の中では一番のお気に入りです。ちなみにスプリングスティーンの1986年のライブにも『THE “LIVE” 1975-1985』とつけましたが、振り返ってみれば、これは私のクセですが、あらたまった時とか、ポイントを強調したい時に、この定冠詞を使っています。ビリーでは "ヒット曲の多さ" にですし、ブルースでは “ライブの強烈さ” に敬意を表したものです。
自分がやったらさらに20万枚上積み! 誰にどう売るか… が重要
直近の『イノセント・マン』も、このベスト盤発売の頃までには80万枚近く売れていたので、これは誰が担当しても売れないわけありませんが、これは自分でディレクターの仕事を否定していることになりかねません。例えば、「誰がやっても50万枚は売れる作品だぞ」と言われた時、「自分がやったらさらに20万枚は上積みしますよ」という意気込みの中にディレクターとしてのプライドや知恵が積み込まれているものです。
発売当時、私もディレクター・キャリアとして5年目を迎えていました。商品の詳細情報到着以前から、その5年を集約させてマーケティング・プランニングを遂行していました。選曲は大体予想が付きます。2枚組とはいえ、そこはビリーのベストですから基本作業でも30万枚ぐらいは売れるはずですがそれじゃ面白くありません。仕事として50万枚は売りたいですね。アルバム1枚ものだとすると100万枚を狙う気持ちです。
当時の洋楽マーケット、特にこのテの作品は学生~20代半ばまでが大票田でした。『ストレンジャー』&『NY52』のミリオンから6、7年が経過。ユーザーは社会人になって25歳ぐらいになると、仕事への集中や結婚やら… と急にお小遣いの優先順位でもLP購入は下位にダウンです。私の学生時代の音楽仲間ですら会社勤めを始めて数年も経つと、すっかり音楽から遠のいちゃってました。
そういうユーザー事情の中、簡単に言えば “誰にどう売るか” を考えるのが洋楽ディレクターの役割です。あえてビジネスチックな表現を使いますが、マーケティング戦略を設計し、そして戦術に落とし込んでいく… というわけです。ま、平たくは、かつてのファンに戻ってきて欲しかったし、新しいファンで過去作品をもってなかったら買って欲しいし、ビリーは知ってるけどまだアルバム買ったことがないなら、“これがお買い得よ” と各世代別ユーザーに対してメディアを選んで訴求していくのです。
「ビリー・ザ・ベスト」のセールスポイントは?
さて、この『ビリー・ザ・ベスト』のセールスポイントを整理していくと、こうなりました。
① ポップス史上最強のベストアルバム~ “全曲誰でも知ってる” ヒット曲集
② LPは21曲で4,000円、1曲あたり190円。割安感。日本盤のみ「オネスティ」収録(アメリカ盤はその代わり「ドント・アスク・ミー・ホワイ」)カセットも21曲。でもCDは25曲
③ 16ページの豪華解説写真集
④ このベストのみに収録された新曲が2曲
特に解説書を兼ねたNY写真集は、当時の輸入盤対策もかねており、4,000円という価格に対する付加価値として、ユーザーに満足してもらいたかったものです。写真はファッション誌などで活躍されているカメラマンから借用。NYの景色写真ですが、ビリーの曲のイメージに合わせて選びました。全てモノトーンで、すごく深みがある格好いいショットばかりです。
緊急発売でなかったら、もっとページ数が多い仕様にしたかった… ということはよぉく覚えています。つまり印刷の行程効率の最優先で、定番パターンとして16P仕様を選ばざるを得なかったわけです。21曲分の歌詞とNY写真集を一緒にレイアウトするので、スペースにもあまり余裕はなく、ユーザーのみなさんに、満足していただける自信があっただけに希望案が通らなかったこと、本当に残念でした。
またこれは仕方ないことですが、CDはブックレットのサイズに制限があり、この写真集的な解説書はLPだけのものでした。ちなみにこの解説写真集をビリー本人はすごく喜んでくれてました。元からUS盤に比べると日本製品の丁寧さは一目瞭然ですし、輸入盤対策として色々な付加価値をつけることについては、CBSの連中も十分に理解を示していますし、クオリティの高さについてもウケがよかったです。
今だから言える? 貴重な初回生産分、じつは…
当時はこのように、LP盤、カセット、CDと3種のパッケージを同時制作進行させていました。こういう作業、緊急発売ものでは、商品事故が一番怖いもの。文字校正は何度見ても心配になるほどです。… と言いつつ、以前にもカミングアウトしたことがありますが、実はこの時もやらかしています…。
CDのパッケージ裏の曲目メニューの中で、DISC1-7曲目の「イタリアン・レストランで(SCENES FROM AN ITALIAN RESTAURANT)」の英題のレストランの “R” が “B” になってました。発売日に銀座山野楽器を訪問した際、自分で発見し、速攻会社に戻って制作進行の女子を呼んでこっそり修正。“B”となっているものは貴重な初回生産分です。
結果、商品は予想を大きく上回るスピードで売れて大ベストセラーとなりました。発売年だけでも、2枚組にも拘わらず50万枚近くのセールスでした。
追加広告では “一家に一枚” 的な強気なキャッチで攻めていたことを思い出します。当時購入していただいたユーザーの皆様のおかげです。ありがとうございました。
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2022.08.23