以前、当コラムで伝説の人「矢沢君(仮名)」を紹介した。詳しくは『伝説のひと、YAZAWAくんの語る山口百恵の「プレイバックPart2」』をご参照頂きたいが、ざっくり話せば、矢沢君は面倒くさくて、うざったく、おバカというか、調子に乗った小学生であった。
その続きだが、氏は「昭和の小学生」の本質を見事に体現していた人物であった。配られたプリントは家に持ち帰らずロッカーに山積みになっており、ランドセルの掛け金を止めないから、前屈みになると必ず中身をそこら中にぶちまけていた。習字道具、絵の具、リコーダーなども当然教室に置きっぱなしなので、学期末には一人だけ単身赴任の引越ぐらいの分量を家に持ち帰っていた。
その矢沢君は昼休みなると、自ら掃除用具入れに入り、手拍子を要求してきた。
「矢沢! 矢沢! 矢沢!」
クラスのみんなが、しょうがないから手拍子でリズムをとってあげると、掃除用具入れの扉をバンっと開いて登場する。演目は西城秀樹の「ヤングマン」である。
「すんばらすぃ~ Y.M.C.A」
あのイントネーションで歌い上げる。きっと宿題そっちのけで練習してきたのだろう。その他の持ち歌は、沢田研二の「ダーリン」やサザンオールスターズの「勝手にシンドバット」である。特に勝手にシンドバットの早口のところを得意としていた。
そう「シャイなハートにルージュの色がただ浮かぶ」というところである。沢田研二の「ダーリン」も発音は「ンダーリン」と、よく特徴を摑んでいた。6年3組の全員が永遠に彼を忘れることはないであろう。
彼の逸話をもう一つだけ紹介しておくと、友だちの誕生日に各自プレゼントを持ち寄ったのだが、彼は戦艦のプラモデルを「作って」持ってきたのである。
「どう、良く出来てるでしょ」
「……ちがうんだよ、矢沢君」
その場にいた全員が、荷馬車に乗せられていく仔牛ドナドナのような瞳で彼を見つめていた。大切な事だからもう一回言っておこう。彼は伝説の人だった。
2017.03.18
YouTube / iroirod34b
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